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「本当に、いいのか? 送っていかなくて」


 嫌な思い出が甦るのであろう先生に、私はひらひらと片手を揺らす。


「平気ですって。私、お姉ちゃんみたいにぼーっともぽーっともしてないんで!」


「いやでも、何かあったら。菊池あの、やっぱり送らせてくれ」


「しつこいな!」


 大きい声が出た。自分でもびっくりするくらい。


 さざ波はちょっと盛り上がって、ザザってまた引いていく。


 わざとゆっくり2回瞬きをした。


 この顔を忘れないように。


 さようなら、先生。その先は、言葉にはしない。


「そうだよな……お前にとったら俺は、大事なお姉さんを奪った憎い男だもんな」


「先生さ、それもう忘れていいよ。私、明日からいないし学校にー」


 私は靴を履きながら言葉を投げ捨てる。


 決して拾わないようにわざと語尾を伸ばし気味にして。


 先生の声は降ってこない。たぶん、呆然としてる。


「目的果たしたからさ。元いた街に戻るわ。まさか死にたがってるなんてねー。殺しがいもないわ。だからね、もう忘れて。じゃ! あ、このシャツだけはもらっとくね!」


 くるっと回転して、いま作れる精一杯の笑顔で叫ぶ。


「彼シャツみたいじゃね? これー」


 バカみたいとは思いつつ、そう言い残すと私は先生の家をあとにした。


 先生は何も言わなかったし、もちろん追いかけてなんて来なかった。


 駅までの道を歩きながら、LINE画面を開く。


 お姉ちゃんとの最後のやり取りが表示された。


 ――


〈告白した〉

【え? すごい。普段からは考えられない行動力。これが恋か】

〈卒業したら、付き合おうって言われた〉

【え! すごい。やったじゃん! お姉ちゃん、初彼氏じゃん! おめでとう!】

〈すごく嬉しい!〉

【よかったねぇ】

〈卒業まであと少しだし、ドキドキしちゃう。卒業したら私の誕生日もあるし。あ、もしかして誕生日に付き合おうって言われるのかなぁ〉

【誕生日言ったんだ?】

〈うん、言った。誕生石も言った〉

【あはは。やっぱりか。好きだねえ、誕生石】

〈うん。大好き。パワーストーンって響きが、好き。だからわたしはアクアマリンが好き。もちろん、ひなたちゃんのトパーズも〉


 ――


 そこまで読み返して、ふと顔を上げた。


 空には大きくて眩しい虹が出ていた。


 あの中に黄色はあるのだろうけれど、薄くって分かりやしない。そしてそのうち、空の蒼に溶けて消えていく。


「やば。エモ」


 短く呟いて、スマホのレンズを空に向ける。


 シャッターボタンを押しながら、私は少しだけ泣いた。


【了】

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膝上15センチのさざ波 @kokkokokekou

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