第24話 ローニエル鉱山を目指して



 早朝、殆ど荷を積んでいない荷馬車は川沿いの道を軽快に走る。


 横を流れる大きな川の名はアーゼル川。クロッフィルンを横切りこの地域一帯の農業を支える河川だ。この川沿いをアーゼル渓谷と呼び、上流にはローニエル山脈がある。そしてその麓にローニエル鉱山がある。



 ガタンッ ガタンッ ガタガタン


「うー揺れるね」


「そうだな」


 街を出ると路面は石畳から土や砂利に変わる。荷を積んでいない馬車はスピードは出るがその分揺れも激しい。


 商人はそんな揺れに慣れているようで涼しい顔をしているが、隣に座る少女は時折お尻を押さえ悲痛な表情を浮かべた。

 昨日買ったワンピースのお尻の所に小さな穴を空けて、そこから出した尻尾の先を街を出たばかりの頃はご機嫌に振っていたが、今はしょんぼりさせている。


「オル」


 手綱を引いて馬を一度停止させると、商人は御車台のベンチの板を開けて中から毛布を取り出す。それを折って少女の尻の下に敷いた。


「ふっかふか♪」


 少女がそこに座ったのを確認すると商人は「ふっ」と小さく笑みを溢し、また馬を走らせる。


「アタシだけ使っていいの?」


「俺は慣れてるからな」


「ふーん。凄いね。アタシはお尻が割れちゃうところだった」


「もう割れてるだろ」


 商人は苦笑し少女の尻尾の先が再びご機嫌に揺れる。



 今日も良く晴れていて彼らの背後には遠ざかっていくクロッフィルンの石でできた重厚な街並みが見える。

 横を流れる川の水面は朝日に照らされキラキラと白く輝いている。その上を水鳥が飛び荷馬車が進む方角へと去っていく。少女はその水鳥を目で追った。

 早朝の青白く澄んだ空とどこまでも続く地平線の間を鳥たちは飛んでいく。向かう先には薄っすらと白けた山脈が見える。


「あれがローニエル山脈だ」


「まだまだ遠いね」


「だな」


 イグとリュオは遠いのだから焦ってもしょうがないとでも言わんばかりにその山々を眺めながら苦笑した。




「ねぇイグ、持って行く品はそれだけで良かったの?」


 荷台を振り返りながらリュオが尋ねる。


「麦や野菜を持って行くのが定番なんだが、今は急ぎたい。ヴォッガまではずっと緩やかな登り坂だからな」


 ローニエル鉱山の前にはヴォッガという小さな町がある。イグ達はそこで鉄の原料となる鉱石を仕入れる。ヴォッガまではアーゼル川をずっと上流へ登っていく。麦や野菜を積んでしまっては馬車のスピードは4分の1程まで落ちてしまう。


 荷馬車の荷台には小さな木箱が2つ積まれていた。中身は今朝太陽が昇る前にヘイメルシュタット商会で仕入れた塩だ。箱には10キロの塩が入っていてそれが2箱。銀貨213枚で購入したものだ。


「こんな軽いものでも銀貨215枚くらいで売れるらしい。美味い商売だよ」


 ヴォッガまでは荷を乗せなければ3、4日で着ける。その日数で銀貨2枚稼げる計算だ。ここからクロッフィルンの通行税を引かれるが、それでも毎月の食費とオルトハーゲンの飼葉で銀貨5枚も必要としないイグにとっては美味しい商売だった。


「帰りは下り坂だから、鉄をたくさん積んでも、そんなに大変じゃないのかな……?」


「まぁそうだな。それでも帰りは5日程は見ておいた方がいいだろう」


「そう言えばローニエル鉱山まで2日って言ってたのにどうして行きも3、4日かかるの?」


「ん?ああ、そのうちわかるよ」


 リュオは片方の眉をひそめ疑問の表情を浮かべる。




――――――




 お昼頃。


 二人は馬車を停めて草原の中にぽつりと立つ巨木の下でパンを食べていた。地上に張り出した大きな木の根に座っている。


 二人とも会話もなく景色を眺めながら昼食を食べていたが。


「ねぇ、……イグ」


「なんだ?」


「その……」


「ん?」


「あのね……」


「ああ……?」


 リュオは目を伏せもじもじしている。

 そして少し黙った後、小さな声を出す。


「バーバラさんとは……その、したの?」


「した?」


 イグはリュオの言っていることが分からず回答に悩む。


「したってなんのことだ?」


「……エッチ」


「お゛ッ ごほんッ ごほん お゛お……水、水」


 リュオは俯いて恥ずかしそうに言い、イグは思いもよらない質問にパンを喉に詰まらせた。


「はぁ はぁ くっ、……すまん取り乱してしまった」


「で、どうなの?」


 口に出して吹っ切れたのか今度は顔を上げてグイグイ近づいてくる。


「ねぇ?」


「いや、待てっ、近いっ」


「……っ!」


 そして強い視線でイグを見詰め無言のプレッシャーをかける。


「やる訳ないだろ」


「ほんと?」


「嘘ついてどうするんだよ」


「なら……、キスはっ!?」


「いやいや!してないって」


「ほんとにほんとっ?」


「本当だ」


「そっか、……よかった」


 リュオは胸をなでおろし、イグはこれはいったいなんなのか分からずどぎまぎしている。


 リュオは昨日初めてバーバラと会った。その後服を買ったりテンウィル騎士団の情報を掴んだりと色々なことがあったが、そんなことよりもイグとバーバラの関係をずっと気にしていた。

 昨夜イグはテンウィル騎士団に怯えていたが、親方を目の前で殺されたイグとは違いリュオはテンウィル騎士団なんかよりもこのことが気になってしょうがなかった。

 色々なことがあってなかなか聞き出すタイミングがなかったが、ずっとチャンスを伺っていたのだ。


「じゃあ、……その、……イグって経験無いの?」


「ごほんッ ごほんッ ……水」


 ようやく落ち着いて残りのパンをかじったらまた詰まらせた。


「どうなのよ?」


「はぁ はぁ それは秘密だ」


「むっ!教えてよっ!」


「ダメだ!」


「教えないってことはあるんだっ!」


「なんでそうなるんだよ」


「じゃぁ無いの?」


「だから秘密だ」


「ほらっ!あるんじゃないっ!」


「ひっ みっ つ」


「ぶー、教えてよ~」


「じゃぁお前はどうなんだっ?」


「あるわけないでしょっ!!!おーしーえーてー!」


 ゆさゆさ。リュオの手によって揺れるイグ。


「あっ」


 体も心も揺さぶられながらイグは何かを思い出す。


「なに?」


「そろそろ出発する時間だ」


「話し逸らそうとしてる」


「そりゃ逸らすわ!」


 実はイグには経験があった。相手は2歳年上。

 しかしここでバカ正直に答えれば、相手の女性はどんな人だったとか、どうだったとか、話しがどんどん進むのは目に見えていたし、体験の感想なんて恥ずかしくて答えられる訳もなく、イグは全力で話しを流そうと心に決めた。


 イグは拗ねるリュオを無視してオルトハーゲンを荷馬車に繋ぎ、御車台の上に登る。


「行くぞ」


「昨日は甘えてきて可愛かったな」


「うっ」


 リュオはため息を吐きながら御車台に乗った。


 荷馬車は軽快に走り出す。


「だいたい、俺はもう24だぞ。経験が無いのほうがまずくないか?」


「どうして?アタシは童貞の方がかっこいいと思う」


「お前な~」


 遺恨は残ったがとりあえずバーバラとの関係を聞けて安心するリュオと、無駄に疲れるからこんな話しは二度としないと心に誓うイグ。

 そんな主達の心情も知らずオルトハーゲンは今日も荷馬車を引く。順調な旅だった。






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