第5話 自由な朝

「へっ?」


 神宮寺ビルの最上階。


 その社長室で麗華(れいか)は雅彦(まさひこ)の横で間の抜けた声でそう言った。


 原因は目の前のデスクに着く父であり神宮寺財閥の当主、神宮寺(じんぐうじ)和正(かずまさ)である。


 時間を遡る事二時間前……




 とある高級マンションの一室で、神宮寺麗華はすばらしく爽やかな土曜の朝を迎えていた。


 ベッドから起きて、カーテンを開ければ眩しい太陽。


 テレビは朝のニュースを流して、トーストと目玉焼き、そしてコーヒーの準備をして朝食が始まる。


 トーストにバターを塗って、麗華は顔をほころばせた。


「執事もメイドも無し、起こしに来る人なし、無駄に豪勢な朝食無し、ああ、一体なんてすばらしいのかしら……」


 こんな普通の朝に幸せを噛み締めつつ、トーストも噛み締める。


「ホント、おはようからおやすみまで執事やメイドに管理された生活とやぁっとおさらば出来たわー。

やっぱ人間自分の事は自分でやんなきゃねー、そもそもどこ行くんでも車で移動って、それじゃ街を好きに見て回る事できないっつうの、てか足があるんだから歩けっつのまったく」


 コーヒーを一口飲んで、麗華は窓の外を見た。

 超高級マンション、第五神宮寺マンションの五〇階から見た光景はビルばかりだが、堅苦しいお屋敷生活から開放された麗華の心境では、水平線の日の出が如く絶景なのであった。


「あー、これからこんな朝が三年間続くのねー、大学も全寮制の場所探して……とにかくあんな窮屈な場所には絶対戻らないんだから」


 目玉焼きを食べながら、麗華はそんな事を言っていた。


 ようするに、これが神宮寺麗華である。


 日本でも有数の富豪である神宮寺財閥に生まれながら、修正不可能なほど根っからの超絶庶民派。


 だだっ広い空間や機能性はそこらの店で売っている物と変わらないのに有名なデザイナーがデザインしたというだけでバカ高い物は好きでない。


 宮廷料理のように豪華な食事もハンバーガーも味の種類が違うだけでおいしさの度合いは同じ。


 執事やメイド、そしてボディガードなどただ鬱陶しいだけ。


 今彼女が言ったとおり、自分の事は自分でやるのが彼女の流儀である。


 朝食を食べ終わるとテレビを消して、自室に戻り、クローゼットを開ける。


 下は青いミニスカート。

 上はピンクのノースリーブ。

 腕には白のアームウォーマー。


 財閥の〈ざ〉の字も感じない格好である。


 この少女が神宮寺財閥の末娘など、どこの誰が思うだろうか……


 麗華は白いバッグ片手に玄関へ向かう。


 無論、屋敷にいた頃はこんな自由は無かった。


 一日の予定、スケジュールは執事に管理され、自由時間になっている時間帯でも常に執事達がついてまわり、ゲームセンターやボーリング場に行こうとすれば、専属執事の新谷(しんたに)昇(のぼる)が、


「お嬢様がこのような場所に……そんな事、この私が許しません」


 どうしても行きたいと駄々をこねると、

「では貸切りましょう」

 誰もいない場所で一人で遊んで何が楽しいと言えば、

「では当家から平均的な客の数分だけ使用人を呼んで私服に着替えさせ周囲で遊ばせましょう、そうすれば自然な状態を味わいつつ安全に楽しめます」

 トドメは、

「屋敷の中にボーリング場でも作りましょうか?」

 であった。


「ったく、あいつら絶対お金の使い方間違ってるわ」


 財閥の令嬢とは思えないセリフを吐きながら麗華がドアを開けた。

 いざ自由への一歩を――

 雅彦が

「どこに行くんだ?」

 ドアを閉めて呼吸を整える。


「落ち着け麗華、きっとドアの開け方が悪かったのよ」


 自分に言い聞かせてからドアノブを回して、

「んなわけあるかぁああああああ!!」

 ドアの前に人がいたら確実に撥(は)ね飛ばす勢いでドアを開けて、前方に全力でハイキックを放った。


 キックは空振り、ドアも手ごたえは無い。


「……まさか本当にドアの開け方に問題が――」

「そんなわけがないだろう」

「ぬお!」


 っと、言って横を見ると、京雅彦がバッチリ立っていた。

 服装は闘技場で見た時と同じ、グレーのインナーに紅いノースリジャケットだが、唯一違う部分は腕である。


 包帯やプロテクターは無く、代わりにズボンや靴と同じ黒色のアームウォーマーを付けている。


 手には長い布ケースがぶら下がっている。

 確か剣道部の人が似たようなのを持っていたなと思い出して、


「ちょっと、あんたアームウォーマーとノースリーブやめなさいよ」

「んっ、なんでだ?」


 闘技場で会った時とは違い、今の雅彦はだいぶ話しやすい雰囲気である。


 さすがの雅彦も日常的にあのよな鋭い空気を漂わせているわけではないらしい。


「あのねえ、あたしは今のこの格好が気に入ってんのよ、なのにあんたまでそんな格好していたらペアルックみたいじゃない!」

「俺もこの格好が気に入っているんだ、ノースリーブは動きやすいからな、そもそもノースリーブとアームウォーマーだけでペアルックは考え過ぎだろ、そんな事言ったらジーンズはどうするんだよ、街に行けばそこら中ジーンズだらけだろ、あいつらみんなペアならぬオールルックか?」


 反論する雅彦。

 だが麗華は聞き入れずに雅彦のアームウォーマーに掴みかかる。


「いいからこれくらい脱ぎなさい」

「おい待て……」


 雅彦の黒いアームウォーマーがずれて、中から包帯と金属制のプロテクターが顔を覗かせた。


「…………」


 それから雅彦の右手の布ケースを見て、雅彦が、

「いつでも戦えるようにな」

 と言った。


 麗華は額に手を当てて呆れ、溜息をついた。


「ああもうどこまで戦闘バカなのよ、っで、なんであんたがここにいんのよ?」


 スッと雅彦が隣の部屋の表札を指差した。

 促されるままに麗華が見ると、表情が固まった。

 そこには〈京 雅彦〉の文字がある。


「俺の部屋はお前の隣だ」

「えっと……ここ賃貸じゃないんだけど、闘技場の戦士ってそんなに給料いいの?」


 動揺する麗華に雅彦はあっさり、

「いや、お前を警護するために社長が貸してくれた」

「へっ?」

 奇しくも、間の抜けた声は寸分違わず父の前で言うことになる。


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