第一夜 2

次の授業は保健室、と決め込んだゆきは、あくびをかみ殺しながら、保健室の引き戸に手をかける。


「先生ぇ、頭が痛いでーす」

「へぇ、今日は頭かぁ」


 保健室の奥から声が聞こえた。


 養護教諭の烏丸藤子からすまとうこは、大柄で、華やかな顔立ちをした美女である。あでやかに彩られた唇の、左端にある艶ぼくろが、男子生徒にはたまらないらしい。だが、本人はいたってサバサバしており、懐の深い人柄は、男女問わず生徒から人気があった。


「昨日はお腹だったよねぇ」


 赤く艶やかな唇に笑みを含ませ、いすをくるりとまわして振り返る藤子に、ゆきは笑うしかなかった。


「昨日は整腸剤でよかったけど。さて、今日はどうしようかぁ……」


 藤子は薬の棚をゴソゴソ探しながら、一つの瓶を取り出した。


「これにするか」


 瓶には赤字ではっきり「劇薬」と書かれている。


「藤子さん、命の保証は……?」


 ゆきが口の端をひくつかせながら答えると、藤子の艶ぼくろが朗らかに笑う。薬をしまい、厳重に鍵をかけると、素知らぬ顔で席に戻り、書類を書き始めた。


「先客がいるから、静かにしなさいよ」


 はーい、とけだるそうに答えて、「ふぁっ、あぁぁうおぉぉぉぉぉぉ……っと!」とまた一つ、あくびをする。その声で目が覚めたのか、ついたての向こうにあるもう一つのベットから声がした。


「ゆき、それ心臓に悪い」

「あ、来てたんだ。ゴメン」

「はいはい。アメ、いる?」

「遠慮しとく」


 ほんのり桜色に彩られた、細く、しなやかな指先が、ついたてのカーテンを少し開ける。三年生の三宅花蓮みやけかれんである。ゆきと同じく保健室の常連で、いつも青い巾着袋を、腰の辺りにぶら下げている。中にはアメが入っているそうで、本人は「低血圧対策」という。ゆきは、巾着の、つやつやと輝く繻子しゅすの質の良さに、いつも見とれていた。


 昨日もあんまり寝てないんだ、と笑いながら、ゆきは布団をかぶった。


「塀でも登る夢を見たとか?」


 ゆきは目をひんむいて、ガバリと飛び起きた。今度は花蓮が目をひんむく。藤子の咳払いに、二人はそっと横になった。


しん、と静まりかえった保健室。ゆきはとろとろと深い眠りに落ちていった。


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