取引33 お願いネゴシエイト



「――――ジョエル・マシュ・アルビーナッッ!!!!」


 その瞬間、同じ階の全員に聞こえるほど鋭く、それでいて心の奥を貫くような、堂々と真の通った一喝が聞こえた。その場のいる全員が、ひりひりと鳥肌が立つのを感じるほど、なにか威厳のようなものを感じさせる。それはどうやらジョエルも同じようで、目を見開いて信じられないような顔をしている。

 視線の先、上り階段を上がってきたミアが、


「――エレセリ公国の公女として、アナタに命令します、即刻やめなさいッ! それ以上、勝手にわたしの大事なものを傷つけるなら、たとえアナタといえど、絶対に許しません!」


 綺麗な眉根を吊り上げて、毅然としてジョエルに向かい合う。凛とした立ち姿は別人のようだった。その威厳と貫禄に圧倒されるように、黒服がおろおろと米太を離れていく。

 一方で、ジョエルはミアの前にひざまずき、


「……お許しください、ミア様。しかし、お言葉ながら、貴方はこの方と関わるべきではありません。これは彼のためでもあるのです。そのことはミア様も承知……」


「……黙りなさい。先ほど、アナタは言いましたね、わたしとベイタはけして交わらぬ立場の運命だと」


「……はい。申しました」


「……それは違います。わたしは、決めました。アナタに何と言われようと、米太はわたしにとって大切な方です!」


「……ミア様! そのような勝手は許されま」

「なら許してくれたことがありますか、一度でもッ!」

「……ッ」


「……事故があってから、わたしは今まで、アナタのあらゆる指示に従ってきました。どんなに苦しくても、悲しくても、それを忍ぶことこそが、公女としての使命だと、そう自分に言い聞かせて、ずっと耐えてきたのです。……でも!」


「どうしてアナタは、いつも私から大切なものばかり取り上げるのですか!? 確かにわたしは許されないことをしました。でも、わたしは人形ではありません! 欲しいものだってたくさんあります!」  


「……しかしながら、恋愛やご結婚については、話が違います。最終的に決めるのは国家元首であるエレセリ公、父君です……!」


「……なら、わたしが変えてみせます。わたしはエレセリ公国次期国家元首、ミリアム・デ・エレセリです! 伝統なんて、知ったことではありません。わたしは、わたしが大切だと思ったものを、大切にします。それすらできないというなら、公家なんて無くしてしまえばいい!」


「……ッ!」


「馬鹿なことを! そのようなことを言って、また繰り返すおつもりですか? わたくしめの忠告を無視した結果、何が起こったのか、もうお忘れになったのかッ!」


「……ッ、それは……」


「悪いことは言いません。お止めなさい、ミア様。でなければまた、あの時のように……!」


 チン、とレトロな到着音が鳴る。


「……わたくしは、お姉さまを信じますわ。あの時と同じように」


「……フローラ様!」


「……よい機会だから、はっきり言っておきますわ。わたくしはずっと、一度たりともあの事故が、お姉さまのせいだと思ったことなど、ありません……」

「……フローラ……!」


 目を見開くミアのもとに、ゆっくりと車いすでフローラが移動し、


「わたくし自身が、乗りたいと思ったから、乗ったのですわ。……そして今も、わたくしはわたくし自身の意思で、お姉さまを支持します。……これ以上、わたくしの大好きなお姉さまにとやかく言うなら……」


 控えめな笑顔で、しかし、はっきりと言う。


「……その時は、……わたくしも、公国など捨てましょう」


「……ッ、……フローラ様ッ!」


 ジョエルが悔しそうに歯噛みをする。その瞬間、メリッサがジョエルの前に進み出て、


「……ジョエル様、お言葉ながら、この件は私にお任せ頂けないでしょうか?」


「貴方は黙っていなさい。たとえ公女様といえど、ご自分の立場をわきまえぬ行動など、わしは許さぬ」


「……貴方はいつもそうです。許さない、許さないと、締め付けることでしか人を動かせない」

「何ですと? 今なんと言いました?」


 怒りに燃える目で睨みつけるジョエルに、メリッサが毅然として睨み返す。


「……言った通りです、お義父とうさま。いつもいつも、口をついて出るのは義務ばかり。ミア様が言ったように私だって人形ではありません。たとえ義理であっても、私はあなたの娘です。お義父とうさまは、娘のお願いを聞いてくれないのですか?」

「関係ないことを言うな! だからなんだと言うのです! 公私混同は避けろとあれほど!」

「……私には公私を分けろというのに、ミア様にはそれを貫けというのですか? ……お言葉ですがお義父さま、……言っていることが矛盾しています」

「……なんだと……貴様……ッ」

「たとえ私には許されずとも、どうか、ミア様にはお許しください。公女様とて、自由は必要です。……付き人としても、友人としても、どうかお願いします……」


「…………ッ、養子の分際で……、……ッ」


 しばらくの沈黙の後、眉間を抑えるように表情を作り直したジョエルが、


「いいでしょう、メリッサ。これ以上、馬鹿なことをされては構わない。公女様がたの行動については、今後は、貴方に一任することとしましょう。……しかし、もし公国の名に泥を塗ってでもみなさい。その時は、雇用関係のみならず、……貴方との義理の親子関係も、そこで解消します」

「……!」


 ミアやフローラ、米太が驚いてメリッサを見つめる。メリッサは少しだけ微笑みを作り、


「……わかりました。ありがとうございます、お義父とうさま」




「…………フローラ!」


 黒服がジョエルと共に引き上げる中、ミアがフローラに抱きつく。フローラも両腕でミアを抱き返し、


「……ごめんなさい、お姉さま。もっとちゃんと、早く伝えればよかった。でも……きっかけがつかめなくて……」

「いいのです。わたしのほうこそ、本当にごめんなさい」

「……わたくし、今も、昔も、お姉さまのことが大好きですわ」

「フローラ!」



 傍らでは自由になった米太がメリッサを気遣い、


「……メリッサ、いいのかあんなこと言って」

「いいんです。……もともと、知っていたことです。お義父とうさまは昔から私を、公女の付き人としてか見ていませんでした。父親らしいことは何一つしてもらったことはありませんが、その代わり付き人としての全てを教えてくれました。……私はそれでもいい。十分だと思います」


 少しだけ寂しそうに言うメリッサに、米太は自分の父親を連想する。複雑な気持ちになっていると、「そんなことよりも」とメリッサが口を開いた。


「……ありがとうございました。ミア様に、交渉の仕方を教えてくださって。たかがのみの市と言ってもバカにならないものですね」

「…………、どうして知ってるんだ? ミアと値段交渉の話をした時は、決まって二人の時だけだったはずだ。ここに来た時も、やけにすぐに信頼してくれたし……」


 さっき会った時に「後で話す」と言っていたのもあり、米太は何気ない気持ちで尋ねる。しかし、メリッサは一歩前に進み出て、少しだけためらう素振りを見せてから、


「……ええと、わかりませんか?」

「え」


 やけに揺れる瞳で、こちらをじっと見つめてくる。途端にその意味を拡大解釈した米太は、


(……これはつまり、まさか、……え、メリッサって、俺のこと……?)


 勝手に意識して、頬を赤くする。すると不意にメリッサが近づいてきて、米太の腰に手を伸ばす。


「えっ、あっ、ちょ」


 意味が解らず赤面する米太だが、「ほら」とメリッサは、米太のポケットから勝手にスマホを取り出し、ケースの間から薄い板のような何かを取り出した。


「……え、なんだ、それ?」

「……盗聴器です」

「……は!?」

 

 思わず大きな声が出た。


「……言ったでしょう、全てを教えてくれたと。お義父とうさまにできることは、当然、私にもできるんです」

「ちょっと待て! いつ……あ!」


 心当たりが一つだけあった。それは、メリッサと初めて話した時。警察署の住所を教えるために、スマホを貸したことがあった。あの時は米太の方が策を打ったつもりだったが、まさか相手の方が何枚も上手だったとは。……そして、それはつまり。


「じゃあ、……ずっと、筒抜け?」

「まぁ、そうなりますね」

「……全部?」

「全部ですね、じれったいミア様とのやりとりから、フローラ様のトイレの話まで……」

「こッ、このことは、ミアには……!?」


 顔を真っ赤にしてうろたえる米太の様子を見て、メリッサは微笑み、


「……ご安心ください。知っているのは、さっきのお義父とうさまとの部分だけです。それ以外は、私の心の中に閉まっておきますので……」

「……そ、それは……、安心していいのか?」

「……はい、多分」

「…………んう」


(……信頼できないわけじゃない。が、正直俺も男子なので、女子に知られたくない音声の一つや二つ出した記憶はある。……もはやメリッサの良心に頼る他ないが、……それはいいとして、さっきの会話を聞かれたということは、ミアはすでに俺の気持ちを知っているということで……)


 あれこれと頭を悩ませていると、


「花野井くん」


 メリッサがいつの間にかこちらに向き直っていた。それに応じてこちらも姿勢を正すと、困ったような笑顔で、


「……ミア様を、よろしくお願いします」


「……ああ。わかった」


 はっきりとした米太の返答に、メリッサが頷く。そのまま踵を返して姉妹のもとに近づき、


「フローラ様……」

「……ええ、わかっていますわ、メリッサ。……お姉さま、がんばってくださいね?」


 アイコンタクトを交わした二人が、いそいそとミアを離れる。ミアはというと、


「……え、そんな、ちょっと……ッ」


 意味を理解したらしく、しかしその唐突さに顔を赤くし、焦った様子を見せている。メリッサとフローラは気に留めることなく、エレベーターに乗り込み、


「それでは、検討を祈ります、……お二人とも」


 静かに扉が閉まって、米太とミアだけが、そこに残された。

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