取引27 浪漫ホリデイ



 午後のアーケードを、二人で歩く。


「はぁ。……結局どっちも値段は付かなかったな。……勝負は引き分けか」

「ウィー。でも、楽しかったです、せどり。……また、やってみたいですね……」

「ああ……」


 日差しは午前に比べて傾いてきた。あの後リサイクルショップで油を売りすぎたせいで、講義に戻らなきゃいけない17時まで、あと2時間を切っている。


「……」

「……」


 少しでも沈黙があると、いつしか終わりを意識するようになっていた。


(……あと、2時間。その間に、どうにかミアをラブホまで近づけないと……)


 一瞬でもイメージすると、そういう妄想が入り込んできて、シャットアウトする。『見せかけるだけでいい』という根尾の言葉を何度も反芻して、米太は首を振った。


「あ……」

「どうしたのですか、ベイタ?」

「いや、ちょっとスマホを確認するのを忘れてて……」

「ああ、そうですね。確認は必要です」

「ちょっといいか?」

「ウィー。もちろんです。少し近くを観ていますね……」


 そう言ったミアは、すぐ側にあった花屋を眺めにいったようだ。その様子を一目確認してから、米太は根尾に電話をかける。


『ほい、どした?』

「いや、すまん。すっかり夢中になって報告が漏れていた。今、7丁目商店街の……」

『……あー、それなら大丈夫。ばっちり見える位置でストーキングできてるし。……すでに何枚かはいい感じの写真撮れたぜ? 商店街を食い散らかす公女様とか』

「……言い方。……じゃあこの後もよろしく頼む」

『はいよ。……でも、忘れんなよ、大事なのはここから……』


 プ、とタップして通話を終了する。


「……、わかってんだよ」


 思わず独り言が漏れる。正直、このデートの間ずっとそのことが頭をよぎっている。何度覚悟を決めても沸いてくる、葛藤。ここまで来て、引き返すことなんて出来ないのに、未だに女々しく考える自分が憎い。自分は蛍を助けなければならないのだ。そのために、ミアを騙さなきゃいけないのだ。自分に言い聞かせるように首を振ったとき、ようやく米太は異変に気付く。


「……ミア?」


 視界の端に捉えていたはずのミアの姿が、どこにもない。途端に目の前が真っ暗になった。周囲をくまなく探してみるが、見つからない。迷子だろうか。……それとも、誘拐? だとしたら、それこそ取り返しがつかないくらいの事態だ。信じて送り出してくれたメリッサに申し訳が立たない。

 その時、スマホが鳴って、


『……どしたのー? 何か落とし物?』

「ミアがいない! ……近くにいたはずなのに、どこにも!」

『マジか! よし、俺は西側を探してみるから、米ちゃんは東を!』

「……わかった!」


 商店街を走り回り、道行く人に尋ねては、必死になってミアを探す。午前中疾走したダメージが今頃出てきて、脚がもつれそうになる。


『……わかっています。ベイタこそ、見失わないでくださいね』


(……クソ、どうして考えつかなかった。ミアは公女様だぞ? どんなに変装をしてたって、そのリスクは変わらないのに!)


「……ミア! ……ミア!」


 息を切らし、声を枯らしながら、必死に動き回る。盛大にせき込み、思わず膝に手をついた時、再び着信音が鳴った。


『米ちゃん、見つかった!』

「……ほんとか……!? よかった……」


 根尾の一言に張り詰めていた糸が切れ、スマホを手に米太は、へなへなとその場にしゃがみ込む。


「……今、どこに? 俺、すぐに向かうから……」

『ああ。……けど、ちょっと問題があって……』




 アーケードの外れには、一見それと解らないくらいの、映画館がある。単館上映かつ昔の作品ばかり流すため、あまりに人目にはつかないその空間に、ミアはいた。


「……………………ベイタ? どうしたのですか、そんなに慌てて……!」

「ミア……、ここにいたのか?」

「……ウィー。気になるお店を伝って、ここまできました。……あれ?」


 急に我に返ったように周囲を見回し、焦った様子を見せる。特に不安めいた感じもなく、米太は安堵のため息を漏らした。


(……よかった。単純に夢中になってただけだったか)


「……すみません、ベイタ。もしかして、たくさん探させてしまいましたか?」

「いや、気にしなくていい。こっちこそ、すまない。目を離してしまって……」

「大丈夫です。……こうやって、見つけてくれましたから」


 ミアがほほ笑む。相変わらずその笑みは眩しいが、米太の視線は、その後ろにある映画館のポスターに奪われた。


『今から約70年前、アメリカで公開されたロマンティックコメディの金字塔』


『その美しさは今もなお、私たちの心に残り続ける』


 レトロな絵画風のポスターでは、名前は知らないが顔は知っている外国人の女優が、イタリアの都市と思われる時計台前で、俳優と向かい合っていた。


 先ほどの、通話の内容が、脳裏によみがえる。


『悪いことは言わない。絶対に観るな、近づけるな。……とにかく何でもいいから、理由をつけて早くそこを去るんだ。じゃないと、この計画自体が全て水の泡になりかねない!』


「は?」と困惑した米太に根尾は、


『わかってんのか、米ちゃん! ……その映画はな、新聞記者の主人公がお姫様を騙して、スクープ記事を書こうとする話なんだよ! ……今の俺たちの状況丸写しだ! どう考えても怪しまれる! だから、絶対にその映画だけは観るなよ! わかったな?』


(…………)


 盗み見ると、ミアもまたそのポスターを見つめていた。その横顔はあまりにも綺麗で、そして……どことなく寂しげだった。


「……これ、知ってるか?」

「ウィー。……米太は、観たことがありますか?」

「……いや。名前だけは、聞いたことがある」

「……そう、ですか。……わたしは、この映画を観るときに、おばあ様のことを思い出します。……幼いころ、何度か一緒に観せてもらいました……」

「…………」


「……観たいのか?」

「……!」


 ミアが、驚いた顔でこちらを振り返る。急な表情の変化に戸惑って、


「いや、……別に、いいんだが」


「…………」


 ポスターに向かったまま、ミアが目を閉じる。


「……この映画を一緒に観た時、おばあ様は、決まって最後、涙を流していました。……でも、小さかったわたしには、その涙の理由が、どうしても、わかりませんでした……」


 しばらく俯いてから、ミアが目を開けて口を開く。


「……でも、大人になってから、ようやく意味がわかりました。…この映画は、使命を負った主人公が、その使命と向き合うための話……なのだと。……その過程で出会った大事な人も、贈られた花も、全てを残して主人公は、自分の果たすべき使命と向き合う。……きっと、おばあ様が泣いていたのは、映画の人物と同じく、大切な何かをたくさん残してきたから、なのです……」


「おばあ様のようになりたい、とずっと思ってきました。そのためには弱い自分を制して、どんなものを犠牲にしたとしても、負けてはいけないのだと。……でも」


 ゆっくりと振り向き、困ったように笑うミアが、


「……どうしてでしょう。ベイタと出会ってから、……毎日の一つ一つがあまりにも、惜しくてたまらないのです……」

「…………」

「……今、この映画を観たら、きっとわたしは、進まなきゃいけなくなります。……だからこそ、観たくない。観たくないです。……まだ、もう少しだけ……、時間は残されていると思いたいのです。……でないと、わたしは……」


「……ミア……」


 発する言葉が、震える指先が、その仕草の全てが米太の心をかき乱す。


「……でも」


 ミアと目が合う。その瞳は涙をたたえ、声は揺れている。それでも必死に笑顔を作り、


「……わかっています、ベイタ。……今日で全部もう、……終わり、なのでしょう?」


「…………ッ」


 胸が張り裂けそうになるのに耐え切れず、思わず抱きしめる。


「……ベイ、タ?」

「……逃げよう」

「……え?」

「終わりなんて、いらない。ずっとこなくていい。俺もミアも、何も背負わないで、全部捨てて、このまま、俺と逃げよう……!」

「……ベイタ………!」


 気が付くと、自分も泣きそうになっていて、衝動的にミアの手を取って、走り出す。自分自身に驚きながらも、米太の足は止まらない。

 

「……ベイタ、あの、どこに!?」

「どこでもいい、なるべく遠くへ! ……そうだ、駅に行こう!」


 アーケードを避けて路地裏を通り、最短距離で駅に向かう。このルートなら根尾も簡単に追いつけないはずだ。


(このまま、借金や公国からも、父親や望まない作戦からも、逃げて、逃げて、……ミアと一緒にいられるどこかへ……!)


 視界の先に高架線が見え、駅前の雑踏に踏み込んでいく。人混みに飲まれながら、どうにか改札にたどり着いて……、


「――どちらにお向かいでしょうか、旦那様?」

「………………ッ!」


 駅の入り口にはジョエルが立っていた。傍らには監視が壁のように連ねていて、米太とミアの行く手を塞いでいた。


「……どうして、アンタがここに?」

「貴方の目論見など、すべて、お見通しだったということです。……本当はもっと確信的な場面まで泳がせとうございましたが、……まぁ、仕方ありませぬ。……連れていきなさい」


 ジョエルの言葉に、黒服を着た監視が数人で距離をつめ、強引に二人を引きはがす。


「……! いや、ベイタ!!」

「ミア! …………ミア!!」


 ただならぬ雰囲気に、通行人が足を止めるが、


「お見苦しいところをお見せしておりますが、ご心配には及びません。ご安心を」


 ジョエルの一礼でうやむやにされてしまう。米太は監視の男に床へ押さえつけられ、ジョエルを見上げて睨みつける。反対にジョエルは全く米太に気に留めず、ミアに向けて恭しく膝をつき、


「さぁ、ミア様。……邸宅に参りましょう。お忍びデートはこれにて終了ですが、もう少しだけお付き合い願いたく存じます。……あわよくば、花野井様について、面白いことがわかるかもしれません……」


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