取引4 キャンセル申請


「……あ! ……来てくれたのですねッ」


 昨日と同じ時間、同じ空き教室。

 金髪お嬢様留学生は、今日も目が覚めるような美貌で佇む。


「……まぁな。ええと……?」

「……ミアです、ベイタさん。……もしもイヤじゃなければ、こちらもベイタと呼んでもいいでしょうか?」

「別に構わないけど……」

「本当ですか!? ……ウィー、では……ベイタ?」

「……っ」

「……ベイタ、ベイタ。……ふふ、ベイタ、とっても素敵な響きです」


 ひたすら嬉しそうな顔をするミアと、自分の名を美少女に連呼されてひたすら照れる米太。ごほん、と咳払いで誤魔化すようにして、


「と、ところで、あの……話って?」


 昨晩のメッセージを思い出し、話題を切り出す。ミアは「そうだ」と言わんばかりの勢いで何かを思い出したようで。


「……あの、遅くなってしまったのですが、これ……、受け取ってくれますか?」


 差し出されたのは、一冊の大学ノート。ほとんど新品みたいだったが、受け取って中身を確認すると、


「……! ……これ、昨日の講義のノートじゃないか。しかも、全部手書き。……もしかして、全部アンタが?」

「……ウィー、実はあの後、留学生の友人に協力してもらって、ベイタに気付かれないように、こっそり講義に参加していたのです。見たところ、あまりノートが取れていないようだったので、……その、わたしが代わりに、と思って……。……迷惑でしたか?」


 眉をハの字にしてミアがこちらを見上げる。その様子を見た米太は焦ったように、


「いや、迷惑も何も、めっちゃ助かる! ……けど、正直ここまでしてもらうのは悪い……」

「ノン、気にしないでください。……もとはと言えばわたしが悪いのです。せめてもの償いになればと、勝手にやったことですから。……ほら、これも受け取ってください」

「何、これ。……えと、まさかとは思うが……」

「ウィー、金一封です。バイトをお休みさせてしまったことへの、気持ちです。あと、病院の紹介状も……、これがあれば、費用はわたしが負担できる……」

「――いやいや! シップしただけで良くなった程度だから! あと現金はさすがに受け取れない、大丈夫だから!」

「……でも」

「とりあえず、このノートは受け取らせてもらうから! ……それで本当にこの件は終了、いいな?」

「……ウィー、……」


 ミアは未だに申し訳なさそうな顔をしていた。律儀なヤツだと思う。昨日の謝罪といい、心の底から自分の過ちを悔いている様子が伝わってくる。正直、現金とか喉から手が出るほど欲しいのだが……、米太は自分の欲望と戦い、誘惑を退ける。ミアが残念そうに金一封を荷物へしまったところで、


「それよりも、俺からも話したいことがある」

「……なんですか?」

「取引のことなんだが……」

「……ウィー」

「……一応キャンセル扱いってことで、いいか?」


「…………! それは……」

「アンタが購入した以上、一応フリマアプリ上では、取引が進行してることになっている。……けど、実際は勘違いだったわけだから、こういう時は取引をキャンセルするのが妥当だ……」

「……そう、ですね。……それは、仕方のないことです……」

「じゃあ、俺が今、キャンセル申請をするから、そっちに通知がきたら、申請を承認してくれ。それでこの取引自体が、初めから無かったことになる」

「……無かった、ことに……?」

「ああ。……とりあえず、取引メッセージはまるまる全部消えることになる」

「……え……」


 ミアの声色は、なぜか少しだけ元気がなかった。


「……どうした? 大丈夫か?」

「……ウィー、……何でもないです……」


 先ほどよりも表情の曇り方に拍車がかかっている。理由が米太にはピンとこなかった。


「……じゃあ、これで」


 フリフリのアプリを起動し、画面をタップして操作し、



『この取引をキャンセル申請しますか? はい いいえ 』



『はい』に人差し指を重ね、米太の指先の皮膚が画面に触れようと……、



「――ノンッ! 待ってください、ベイタ!」


「!」


 鋭いミアの声に、米太の指が止まる。顔を上げると、ミアがやけに必死な顔をして、


「……キャンセル、しないでください。お願いです」

「え……? でもこれは、もともと間違えたもので……」

「構いません、たとえ間違いでも。……わたしは、その……」


 頬が赤い。昨日の謝罪の時と同じ、涙目も、声もそう。まるでデジャブを見ているみたいだった。だからこそ、米太はミアが何かを言おうとしていることがわかって、その先に続く言葉を待つ。


「あの……、もうひとつだけ、お願いをしても、いいでしょうか?」


「……お願い? いいけど、何……」


「――わたしに、フリマアプリの使い方を教えてくれませんか!」


「え?」


 思わず、声が出た。


「……前から思っていたんです。どなたか詳しい方にいろいろ教えてほしいと。でも、そんな方とお会いする機会がなくて、見よう見まねで登録したはいいものの、わからないことが多くて。でも、こうしてベイタとお会いできたのも、きっと何かの縁です。どうせなら、わたし……ベイタに教わりたいのです」


 ミアはなぜか一層顔を赤らめて、こちらを上目に見つめてくる。その様子があまりにも可愛くて、耐えきれなくなった米太は視線を外した。


「……急に、そんなこと言われても」

「ダメですか? ……やっぱりわたしなんかでは、教え甲斐がないでしょうか?」

「そういうことじゃない。が、……とにかくまずは取引を終わらせないことには、その、運営にもいろいろと迷惑がかかるし……なんというか」 


 突然のミアからのお願いに、米太の頭は完全に混乱していた。一応断ってみたが、どうにも語尾が煮え切らない。

 そのせいか、業を煮やしたのはミアの方だったらしい。「わかりました」と何かを決心したしぐさをし、


「あの、ベイタ、手を貸してください」

「え……いい、けど?」


 昨日の出来事もあり、多少ためらいがちに差し出された米太の手を、ミアの細い指が包み込む。ひんやりと冷たくも、柔らかい女の子の手の感触に動揺していると、ミアの大きな緑の瞳がすぐ目の前にきて。


「――わたしと取引をしましょう、ベイタ?」

「……取引?」

「ウィー。もしアナタがわたしに、フリマアプリの使い方を教えてくれるなら……」


 窓の外から光が差し、ミアの髪を後ろから照らす。キラキラと輝く輪郭に、再び天使の微笑みが凱旋して。


「……、アナタに、……ます」


「へ?」


 上手く聞き取れず、まじまじと顔を見つめると、朗らかな微笑みが返ってくる。何て可愛い、と思わず見とれるが……いや、それより今、なんて言った?


「あの……よく聞こえなかったんだが、もう一度言ってもらっていいか?」


 すーっとミアが息を吸う。貝殻みたいな小さくて形の良い唇が、ゆっくりと動き、


「999万円、……アナタに差し上げます」


「…………」



「えッ?」



 米太が思わず聞き返すと、ほんのりと頬を染めた天使のような少女が、「ウィー」と綺麗な笑顔で笑いかけてきた。

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