取引3 土下座メルシー


「ちょっと待ってくれ! さすがに聞き捨てならない! 何なんだ、急に!」


 床に押し付けられ、後ろ手に腕を締め上げられた姿勢で、それでも米太は、必死の抗議をする。


「往生際の悪い。これほど不誠実なことをしていおいて、今さらです」

「してないし! 不誠実なことなんて何も! ……あ」


 そこで米太は思い至る、いや考えてみれば単純なことだ。

 米太は昨晩、999円で出品したい商品を、間違って999万円で出品し、それを修正することを忘れていた。その商品を額面通りの値段で買ったのが、留学生のミア。取引メッセージを同じ空間で送り合ったことでお互いの素性が割れ、ミアの提案でここに移動してきたら意味も分からず投げられ、「悪徳業者」と罵られた。つまり。



(まさか、あの出品のことを怒ってるのか? 不誠実ってっそういう?)


「……あのさ! 多分、誤解してる!」

「まだ言うのですか。どんなに言い逃れしようとしても、もうアナタの思惑は……」

「じゃあ聞くけど、アンタ、ひょっとしてフリフリ初心者じゃないか!?」

「……! え、……まぁ、始めてから、まだ一週間くらいです。それが何か……?」

「やっぱりな!」

「?」

「初心者にはわからないと思うが、こういう出品は別に、本気で999万で買ってもらおうなんて、思ってないから!」


 一瞬、フリーズ。


「……どういうことですか?」

「つまりさ、購入希望者に画像だけ見てもらう時とか、取り置きの約束をした時とか、出品はしてるけど誰かに買われたら困る時。そういう時にこの方法を使うんだ。言うなれば『誰も買わないで』の隠語というか、暗黙の了解ってやつだ。悪用も何もない!」

「……そっ、そうなのですか?」

「考えてもみろよ。誰かをぼったくってやろうなんて本気で思ってやってる奴は、もっと微妙で『高いけど、買えなくもなく』って金額設定にするだろ!」

「それは……」

「俺だって今回は、単に打ち間違ったのを放置してただけで……」

「……だとしても! そのお話自体がウソという可能性も……」

「なわけあるか!」


 食い下がってくるミアに、米太はため息をつき、


「てかさ、何勘違いしてんのかわかんないんだが、そもそも庶民にこんな大金は払えない。無論買えないんだから売れるわけもない。買う人がいなければ、詐欺も悪徳も存在しない。……わかるだろ?」

「……ッ」


 ミアは少しだけ黙った後、


「……あの、ひとつ確認なんですが、いいですか……?」

「ああ」

「……本当に、買えないんですか、……この値段が?」

「は?」


 ミアの発言に、さすがに米太はカチンときた。


「アンタ、日本の庶民を何だと思ってんだよ、当たり前だろ。てか、そんなこともわからないままフリフリを使ってたのか?」

「う……、し、仕方ないじゃありませんか! その辺のことは詳しくないのです! それに今のだってまだ、アナタが口から出まかせを言っている可能性も!」

「そんなに疑うなら、見て見ろよ、俺の出品履歴。お前の言うように悪徳業者なら、評価はおろか今までの取引も怪しいものばかりだろうから」

「……見せてください」


 解放された片腕でスマホを操作し、米太がアプリを確認する。顔と顔を突き合わせるようにしてミアも画面を覗き、


「……ッ!」

「な、俺の言う通り普通の取引ばかりだろ? ほら、『大事に使います♪』的なお礼のメッセージもたくさん来てるし……!」


 米太の言葉に、ミアの動きが止まる。美しい顔が真っ赤に染まり、

 

「……つまり、……勘違い……? …………アイぃぃ」


 先ほどまでの勢いが消沈し、その場にうずくまってうなだれる。


 反対に米太は立ち上がり、両手で顔を覆って悶えているミアを見下ろす。

 考えてみると、この留学生は初めから商品を買う気などなく、先ほど言っていた『恥を知れ』的なことを出品者に伝えるために、わざわざこの商品を購入したことになる。とんだお節介者というか普通に迷惑購入者だ。

 ただ、勘違いが露呈した今となっては、むしろ気の毒にも思える。先ほどまで顔を赤くしていたミアが今度は真っ青になり、


「……あ、……ぁの……お怪我は……?」

「……え、まぁ、……痛いは痛いけど……、間接とか……」

「えっ!」

「あ、……いや、どうせ講義のノートが取りづらいとか、その程度だから、気にしなくても……」

「……そ、……それは十分大変です……!」

「……まぁ、でも、バイトはさすがにヤバイか、力仕事あるし。うーん……、仕方ないから今日は休みの連絡を……」

「なっ、…………ど、どうしましょう!」


 ミアは、もう顔面がパニックだった。


「――ベイタさん!」

「?」


 ギュッと目を閉じて深々と頭を下げ、動きに伴って金髪が揺れる。そのままミアの頭が深く深く、床に触れるほど高度を下げて足もとにひれ伏し、……って、


(……え?)


「――ごめんなさい。この度は、わたしの無知ゆえに大変失礼なことをしてしまいました。……本当に、申し訳ありませんでした!」


 形の良いつむじを見下ろし、米太は棒になる。目の前に広がる光景が頭に入ってこない。いや、入ってこないというよりは、あまりの想定外な光景に、脳が理解を拒んでいるのだ。だって、それはどこからどう見ても……、


(――ど、土下座!?) 


 知覚した瞬間、自分の顔が青くなるのがわかった。そしてようやくやってくる、感情のパニック状態。


「……いや、ちょっと待った! 土下座なんて、え!?」 


(訳が分からない、普通土下座なんてするか? この留学生は本当にどんな常識をしているんだ? ……まさか) 


「……あの、きっとまた、誤解してる!」


 思い当たった可能性に、米太は声を上げた。ミアは少しだけ顔を上げて、


「……誤解?」

「……そうだ。アンタは知らないと思うが、日本人は普通、土下座なんてしない……」

「……そんなの、知っています」

「え?」

「……普通ではないのです。こんなにも恥ずかしい間違いを犯して、……わたし、アナタにも、国民にも、合わせる顔がありませんっ!」


「……いや、国民って、そんな大げさな」


 いくらなんでも、言い過ぎだろう。ただ、外国の人の方が日本人よりかは愛国心が強いのはわかる。が、それにしても土下座はやりすぎだと思う。別に国を侮辱されたわけでもあるまいし。


 しかし、ミアは首を横に振って、


「大げさでないです。……事実、わたしの今感じている、この気持ちを正しく示す方法は、これしかありません……」


 視線が交わる。緑の瞳は少しだけ潤っていて。


「……わたしが、すべて……愚かでした……」


 再び下がった頭と震えた声色に、思わず目が離せなくなってしまう。驚きと共に、不謹慎だがその光景を綺麗とすら思ってしまう。考えてみると、米太の今までの人生は借金返済に負われるあまり謝ってばかりで、土下座されるのはもちろん、ちゃんと誠意のある形で謝られるなんてことは、初めてだった。


「……あ、の」と顔だけ上げたミアが、その顔を羞恥に赤くして、綺麗な緑の瞳を涙をたたえ。


「……本当に、ごめんなさい」

 

 ミアが再び頭を下げる。しばらく沈黙した後、米太から深呼吸の音がして、


「……あの、顔を上げてくれ、ミアさん」

「……ノン、……それは、ダメです」

「頼むから。お願いだ」

「……」


 ミアが顔を上げる。その目には未だ涙が光っていたが、


「……!」


 同じ高さの目線でひざまずく米太の姿を見て、驚きに目をを見開く。米太はその様子を見てこめかみを掻き、


「……ほら、これで同じ土俵、名付けて『土下座、返し』だ。……どんな理由にせよ、あんまり安売りするもんじゃないぞ? ……俺が言うのもなんだけど」

「……でも、わたしは……」

「まぁ、確かに少しはムッとしたし、驚きもした。……けど」


 米太は少しだけ気恥ずかしそうに視線を逸らし、


「……アンタの方から謝ってくれて、気が変わった。だからもう、これ以上土下座なんてしないでくれ」

「……!」


 ミアがその血色の良い唇を、ゆっくりと動かして尋ねる。


「……つまり、許してくれるのですか?」

「ああ。ほら」


 立ち上がった米太が、ミアに手を差し出す。ぎこちなく笑顔を見せながら、


「……気にしなくていい。最初はみんな、初心者なんだからさ?」

「……」


 差し出された手を握り、米太に引かれる形で起き上がるミア。何やらそわそわと、恥ずかしそうにした後、


「……メルシー」


 見上げたミアが披露した、はにかんだ笑顔。その全てに米太の目が奪われる。けして大げさではなく、今まで見てきたどんな異性の笑顔よりもダントツで可愛くて、何も言い返せなくなってしまう。


「……許してくれて、とても嬉しいです。ベイタさんは優しいんですね?」

「……優しい? いや、俺は別に……、冗談はよしてくれ」

「ノン、冗談なんかじゃありません」


 ミアはそっと首を振り、じっと米太のことを見つめ、


「……本気で思っています。それに、優しいだけじゃありません。ベイタさんはとても寛大な人です。わたしのような迷惑ビギナーにも、寄り添って接してくれる出品者の鏡です。初めての取引で、ベイタさんみたいな人に出会えるなんて、……わたし、なんというか、その……」

「…………」


「……初めての相手が、ベイタさんでよかったです」

 

 揺れる瞳で、心底嬉しそうに穏やかな笑みを見せるミア。その清らかさ、穏やかさと台詞のギャップが強烈すぎて、米太の視線が釘付けになる。しかし、あまりに長い時間見惚れていたことに気付かれたのか、


「……どうしました? そんなに見つめられると……その」

「え、あ、なんでもない!」


 慌てて視線を逸らすが、もう遅い。ミアも米太も互いの顔を真っ赤にして別の方向を見つめるが、その場を支配する空気の孕む熱までは、当然隠しきれてはいなかった。


(……落ち着け落ち着け、これはあくまでも『親切な出品者』としての評価であって、けして異性とかそういう意味では……)


 密かに波打つ心臓の鼓動を、抑えるのに必死になっていると、


「あの、今、わたし、手持ちがなくて……、でも、必ず医療費とバイト代は補償します。バイト先にも、わたしから連絡を……」

「いや、いいから、本当に気にしなくて」

「ですが……!」

「……ほら、もう結構な時間が経ったし、このままじゃ講義が終わってしまう。……さすがに全部をサボるつもりはなかったから、そろそろ戻らないと。……と、いうことで、マジで気にしなくていいから!」

「あッ、……ベイタさん!」


 反論されるよりも早く、米太は動き出す。そのまま空き教室を出て、講堂へ向かいつつ、半身だけ振り返る形で、


「……じゃあ俺はこれで! 次はもう変な正義感とかで購入するなよ?」

「……」


「…………ウィー!」


 かすかにミアが笑ったのが見えた。思わず米太の顔にも笑顔が浮かぶ。踵を返して講堂に戻り、ほとんどまとめに入った講義のノートを取る。正直腕が痛いし、途中からなので意味もよくわからないが、そんなことはどうでもよかった。


(……珍しいことも起こるもんだな)


 先ほどまでの出来事を想起し、特に、別れ際のミアの笑顔を思い出して、少しだけ得した気分がした。それから何の変哲もない、講義からバイトまでの日常のルーティンに飲み込まれ、一日が終わるころには、午前中の出来事など半分忘れかけてもいた。



 しかし。



 ――ピコン。



『購入者からのメッセージ:……あの、よかったら、明日もう一度、お話できませんか?』


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