第2話『教会にて』



 なかなかに年季の入った重厚な扉を開けて教会内に足を踏み入れると、そこは外の喧騒からは切り離された、荘厳な空気に包まれていた。


「相変わらず、ここの雰囲気は独特だよな……」


 左右に規則正しく並んだ桂柱には特色ある彫刻が施されていて、壁にあしらわれたステンドグラスを通して降り注ぐ朝日からは神々しささえ感じる。


「朝のお祈り……なんて、誰もやってないよな」


 目の前にはいくつもの長椅子が規則的に並んでいるけど、見渡す限り無人だった。朝から祈りを捧げるような熱心な人はこの村にはいない。


「おーい、ソーンさん!」


 そんな厳かな空気を壊すように、俺は声を張り上げる。広い室内に俺の声が反響するけど、それだけだった。返事はない。


「人を呼んどいて、本人がまだ寝てるとかないよな……?」


 俺は中央に敷かれた深緑色の絨毯を踏みしめながら、ゆっくりと歩みを進める。絨毯が伸びる先には階段があって、いかにもな祭壇が鎮座していた。


「……うわ。ここは相変わらずだな」


 俺はその途中、階段の登り口で一度足を止める。

 そこから見える階段脇には分厚い本が何冊も床に積み重なり、その横には無数の空き瓶が転がっている。壁際には大きめの鍋と、何に使うのかもわからない道具の数々。床の一部には焦げた跡も見える。

ここだけ見ると、まるで実験室のよう。とても教会とは思えなかった。


「……また床の焦げ跡が増えてる。今度は何の実験したのかな」


「……おい、人の仕事場を勝手に覗くんじゃない」


 思わず近づいて、黒く焦げた床を指で擦っていると、頭上から声がした。どうやら、ちゃんと起きてくれていたみたいだ。


 顔を上げると、祭壇の柵に寄りかかる男性の姿が見えた。それこそ埃をかぶったようなざんばらの銀髪を掻きながら、藍色の瞳で俺の方を見てくる。この教会の主、ソーンさんだ。


「相変わらず、教会ん中で錬金術の実験やってるんだなーって思ってさ」


 実はこのソーンさん、教会に住んでいるだけで教会の関係者というわけじゃない。元は行きずりの錬金術師という話だ。


 錬金術っていうのは、色々な植物や動物の骨などを素材にして便利な薬を作る術……らしい。あの鍋で色々調合するらしいけど、俺にもよくわからない。


「うつけが。表で実験をしては、万一失敗した際に村人に被害が及ぶ危険があるだろう。ここなら最小限で済む。誰にも迷惑はかけていないぞ」


「そりゃ、迷惑をかけないに越したことはないけどさ……」


 言っていることは滅茶苦茶だけど、俺を含めてソーンさんの作る薬に助けられた人は多いし。この人は村唯一の医者も兼ねているから、誰も強く言えないのが現状だ。


「……迷惑ならかけてますよ!」


 その時、背後から透き通った声が飛んできた。


 床にしゃがんだまま振り返ると、大きめの麻袋を持った少女が口をへの字に曲げてすたすたと歩いてきた。


 肩の少し下で切り揃えられたエメラルドグリーンの髪と、澄んだ空のような青色の瞳。ルナだった。


「実験するのは良いですけど、後片付けも自分でしてくださいっ!」


 その瞳でソーンさんを睨みつけた後、慣れた手つきで床に転がる空き瓶やら紙くずを麻袋に集めていく。


「相変わらず、お前が掃除してんのな……ほれ」


 その様子を見て、俺は目の前に落ちていた木片をルナに手渡す。焦げてるし、これもゴミだよな?


「ありがと。そうなの。ソーンさんってば、少しくらい手伝ってくれてもいいと思わない?」


 木片を受けとりながら、ルナはあからさまに困った顔をして教会の主を見やる。


「こう見えて俺は忙しいんだ。ウォルス、掃除はルナに任せて上がって来い。仕事の話をするぞ」


 ルナの言葉をひょうひょうと受け流し、俺に向かって手招きする。そうだ。本来の目的はそっちだった。俺はルナと軽く言葉を交わすと、階段を登っていった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 祭壇脇の机を挟み、ソーンさんと向かい合う。


「それで、俺に頼みたい仕事っていうのは?」


「薬の原料になる野草を採ってきてもらいたい。必要なのはこれと……これだ」


 ソーンさんはどこからか手のひらサイズの紙を取り出すと、慣れた手つきでインクをつけて、羽根ペンを走らせる。


 ……そして書き記されたのは、聞いたこともない植物の名前だった。


「メルケ草、パルサの実……どれも初めて聞くんだけど」


 せめて、現物を用意してほしい。文字で書かれても俺にはさっぱりだ。


「メルケ草は腹痛の薬に、パルサの実は傷薬の材料になる。全てルナが知っているから、一緒に採集に行ってこい」


「え? わたしがなんですか?」


 不意に自分の名前が出たのに気がついたのか、ルナは最後に残ったガラス瓶を乱暴に麻袋に放り込んでから、大きな声を飛ばしてきた。


「ウォルスと一緒に薬草の採集に行ってこい。メモは渡してある」


 階段下のルナにそう告げたソーンさんは、用件は済んだとばかりにきびすを返し、自室へと戻ってしまった。あれ? 報酬の話、何もしてないんだけど。薬草は品質の関係とかありそうだし、報酬は出来高なんだろうか。


「……相変わらず、忙しそうな人だな」


「何してるのか、よくわからないけどね……それで、採取に行くの?」


「みたいだ。このメモに書いてる植物を採って来いってさ」


 俺は机の上に置き去られたメモを手に取り、階段を登ってきたルナに見せる。


「ああ……これなら村の近くで採れるね」


 そのメモを覗き込みながら、うんうんと頷いている。ルナはソーンさんに同行して採取に行ったこともあるらしいし、それなりの知識はあるみたいだ。


「それじゃ、手伝いをお願いできるか? 俺、植物とか全然わからなくてさ」


「えー、どうしようかなー」


 ……直後、ルナは悪戯っぽい笑みを浮かべながら後ろ手に手を組んだ。わざとらしい。


「このお仕事が終わったら、ウォルスくんは報酬もらえるけど、わたしは何もないんだけどなー」


 ……報酬。そう来たか。


「わかった。それなら報酬は先払いだ。これやるよ」


 俺は上着のポケットから、先程ダンからもらったリンゴを取り出してルナに手渡してやる。


「わ、どうしたのこれ?」


 村ではリンゴは貴重品だと知ってるからか、予想以上に驚かれた。


「驚いたか。この村だと商人から買わないと手に入らない、貴重なリンゴだぞ。これなら文句ないだろ?」


「文句なんてないよ! ありがとう!」


 眩しいほどの笑顔を向けてくる。ルナのやつ、リンゴ大好きだもんなぁ。


「ちなみにそのリンゴ、ダンがくれたやつだから礼を……」


「それじゃあ準備してくるから、表で待っててね!」


「あ……」


 重要な事実を伝える前に、ルナはリンゴを大事そうに抱えながら自室に走っていってしまった。


 ……まぁ、道すがらにでも伝えることはできるだろうし。いっか。


 俺はそう考えることにして、頭を掻きながら表へと向かった。


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