第21話

 春子が素直におめでとうと言ってくれたことに対して、私だって素直に喜べば良いのだ。


「ありがとう」

「式の予定はあるの? 智輝くんは言っていなかったけど」

「あんまり考えていない、生活の方にお金を回したいなって。でも、写真くらいは撮るかな」

「いいね! フォトウェディング。出来上がったら私にも見せてよ」


 どうしてこの子はこんなにも余裕なの。――私はあのとき、心が痛かった。貴女があの男と付き合うことになったという報告を受けたとき、嫉妬とすら呼べない妙な焦燥感で狂いそうだった。一緒に出会った、いや、私の方が先に出会ったはずなのに、あのしょうもない男が私でなく春子を選んだことに、私は心底がっかりした。例のイケメンくんのことはどちらかというと苦手で、付き合いたいだなんて微塵も思っちゃいなかったから、私の意識は絶対に春子に向いていたはずなのだ。――どうして、春子が選ばれるの。私はそんなにも春子に比べて劣っているの。周りと無難に仲良くすることもできないくせに、どうしてそんなに魅力的なの。


「……智輝が言ってたけどさ。期限について、一応考えておいた方がいいよ」


 だから、私はそんな意地悪を言ってしまったのだ。


「私がどうとかじゃなくて、智輝に迷惑がかかってしまうわけだし、ね」


 これは逃げである。智輝のせいにして、私は春子を出て行ってもらおうとしている。――春子への意地悪のつもりなら、あくまで私自身が主軸になればいいのだ。「私はあんたに出て行ってもらいたい」と。そうできなかったのは、単純に怖じ気づいたというだけの話だ。そういうところが、私が常に人生の脇役たる所以なのだ。


「大丈夫。目処は立っているから」


 春子はそんなことまるで気にも留めない、といった様子で答えた。くだらない同級生に意地悪されようと、仕事で自殺を考えるほどに追い込まれようと、人生のヒロインでいられる女はこんなことくらい余裕なのだ。――一度、自分が他人と比べてゴミのようだと感じる経験をしてみるといいのに。こんなに優しい友人に対しても、私は奇妙な呪いをかけずにはいられない。





 その週の土曜日には、智輝と一緒に結婚指輪と婚約指輪を取りに行った。私たちの母親世代くらいの店員の女性が恭しく持ってきたトレイの中には、真っ白なケースが収まっていた。


「それではこちらになります」


 女性が箱を開けると、そこにはシンプルなデザインの結婚指輪が二つと、婚約指輪がひとつ。二人とも試着をし、サイズに問題がないことを確認する。


「ご婚約、誠におめでとうございます。指輪もよくお似合いですよ、原田さまの可愛らしい雰囲気にぴったりです」


 私は曖昧に微笑む。長く接客をしていれば、私なんかより可愛らしいプレ花嫁なんてたくさん見てきたことだろう。お世辞を素直に受け取って喜んでるよ、なんて思われても恥ずかしいし、折角丁重に客として扱ってもらっているのだから、喜ばしい顔をした方がいい気もする。分かりやすいお世辞って、接客であってもこちらが逆に気を遣う。


「すごいねえ。本当に綺麗なダイヤだ」


 智輝はまじまじと指輪を眺めながら呟いた。一粒のダイヤから伸びるアームは、緩やかにウェーブを描く。雪解けの河川をイメージしたやや和風なデザインである。


「一粒ダイヤというのも、岡田様のまっすぐな想いをお伝えになるのにぴったりでございます」


 智輝はにっこりとして店員の話を聴いていた。彼は決して、こういう高級な雰囲気の店でスマートな態度をとれる人間ではない。しかし少なくとも、嫌な感じを与えることはない。


 その後、アフターサービスの説明を受け、私たちは店を後にすることとなった。


「指輪、持ち運び用ケースの中にしまいましょうか? それとも着けていかれますか」


 私は二つの指輪を薬指から外した。そして、結婚指輪だけをトレイに置き、婚約指輪だけを再び、指にはめる。


「こちらだけ、今着けていきます。結婚指輪の方はケースに入れていきます」




 銀座のブティックを出ると、智輝は私の手を握った。


「嬉しいねぇ」


 そう言いながら、彼は握った私の左手を持ち上げ、眺めた。いよいよ結婚の準備が本格化してきたことが嬉しいのかもしれないし、私が指輪を喜んで着けているのが嬉しいのかもしれない。いずれにせよ彼の感情はかなり平易な言葉で表現されることが多いが、その目を見れば、愛情深さだとか、一生懸命さだとか、そういったものがとてもよく伝わる。彼の右手には、私の手。左手には、二人の結婚指輪の入った手提げ袋が、大切そうに握られていた。

 昼はちょっと奮発して、老舗の蕎麦屋へ。私は鴨南蛮蕎麦、智輝は和風おろし蕎麦を注文した。


「夜は高校同期と会うんだっけ? お昼は軽めにした方が良いかなーって思って、蕎麦にしたんだ」


 智輝が蕎麦を選んだのは、そういう思いやりがあってのことだったのか。そんなことも知らずに、私は全メニューの中で一番ガッツリとしたものを頼んでしまって、全く。


「お友だちには、婚約のこと言うの?」

「いや、言わない。籍を入れてから事後報告するつもり」

「そうなんだ。結構ドライなんだね」

「まぁ……なんだかんだ、お互いのプライベートはそれなりにって感じだから」


 高校時代の友人グループとはいまだに仲良くしていて、一緒に食事をする機会を設けたりもする。しかし、お互いの恋愛事情については、やんわりとしか踏み込まない関係が続いている。もしかすると、私以外にもこっそり婚約をしている友人かいて、「実はこの間籍を入れました!」なんていう報告を受ける可能性はままある。しかし、そういうとんでもないドッキリがない限りはおそらく、その友人グループの中で私が一番先に結婚する。


「僕も、たまーに高校の友人と会うよ」

「そうなんだ。……あれだっけ、ほら、一時期春子と付き合ってたあの子」

「ああ、佐原さはらのこと?」

「うん、たぶんそれ!」

「そうだなぁ……佐原は、大学に入ってからあんまり連絡取ってないなあ」


 智輝と私が合格した大学に落ちて、他の大学に通うようになった例のイケメンくん――佐原くんは、どうやらそれ以降、智輝とは疎遠になってしまったらしい。


「それにしてもビックリした。美雨、佐原のこと、名前すら覚えてなかったんだ」

「そりゃそうよ。私の中では佐原くんは春子の彼氏、兼、智輝の親友くらいの認識でいたから」

「でもね、皆は僕と佐原が並んでたら、佐原のことはちゃんと覚えてくれるのに、僕のことは『佐原くんのお友だち』って呼んだんだよ」


 智輝は苦笑混じりにそう言った。――想像したこともなかったけれど、男性でもそういうのって、あるのか。いつも隣に居る友人ばかり注目されて、自分がないがしろにされるのを、肌で感じる経験。


「……なんか、こんなこと言うのは佐原に悪いけれど、ちょっと報われた気がした」


 智輝は小さく呟いた。


「本当に、大切なものだけはちゃんと手に入った」


 天然パーマで、真っ黒な髪。一重でたれ目の優しそうな顔つき。私と対照的なルックスをした智輝を見つめながら、彼と私は、実は似た者同士なのかもしれない、と感じた。

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