10

「お前に話してないことがある。初めてお前を見たとき、お前がリンゴを盗んだ時だ、あの時、俺は子供のころの自分を見ているようで余計、お前に腹が立った」


 オイラの目をのぞき込みながら親方は言った。


「俺がお前くらいの時、俺の母ちゃんは病気で、父ちゃんは働き詰めだったけど、なかなか薬が買えずにいてね」

そんな事情はどうでもいいか、親方は自嘲じちょうした。


「俺は宿屋の下働きで働いてたんだ。大した給金はもらえない。でも、確かに何かのタシになってた。いつも腹は減っていたけれど、腹いっぱい食えないってだけで毎日何かしらは食えた」


 で、ある日、お客さんの荷物の中に財布を見てしまった。あつくて、かねがたんまり入っていそうに見えた。


 持ち主が見ていないのをいいことに俺はその財布に手を伸ばしちまった。母ちゃんの薬が買えるかもしれない、そう思ったんだ。だけどさ、悪事って奴はバレるように世の中はできてるんだな。何の気なしに持ち主が振り返り、俺はあっけなく捕まった。


 宿屋の主人のところに連れていかれ、お前の宿は盗人を使うのか、とお客は主人をなじる。俺はたまらず、ごめんなさい、ごめんなさい、ご主人はなんも悪くないんです、雇ってくれた恩にあだするようなことをした自分だけが悪いんです。泣きながら謝った。


 宿屋の主人も一緒に謝ってくれ、何とか穏便にと客をとりなしているところに、出入りの八百屋が通りかかった。注文されていたものを届けに来たんだろう。そして俺の家族の話をし、薬が買いたくてつい出来心でしたこと、二度としないよう言い聞かせるから、と、これも一緒に謝ってくれた。


 出入りの商人までも謝るさまにお客は、

「この子は、いつもは真面目に働いていると見える」

と、もうするんじゃないよ、恩を忘れるんじゃないよ、と俺を許してくれた。宿を発つときには「母親に食べさせておやり」と少しばかりだが菓子をくれた。お前も一緒に食べるといいよ、と。


 あの菓子は美味かったなぁ、久々に母ちゃんもニコニコ食べた。


 ふわふわでほんのり甘くて、焼き菓子じゃないのはわかるが、どこの国のなんという菓子だか聞いておけばよかった。あちこち探しまわるがいまだに見つからない。見つけたら、店に並べるのになぁ ――


 で、だ……


 俺はいい人ばかりと巡りあえた。今の俺があるのはその人たちみんなのお陰だ。


 母ちゃんはそれから程なくして死んじまったけれど、それを聞いた八百屋の主人が俺の父ちゃんに俺を預けてみないか、と申し出てくれた。俺の親方だ。


 母ちゃんを亡くしたばかりの父ちゃんは息子まで手放すのはあまりにも寂しいと泣いたけれど、月に一度は家に帰すと親方は約束してくれて、そして約束は守られた。


 俺は、母ちゃんの分も父ちゃんに楽させてあげたくて必死で働いたよ。まぁ、その父ちゃんも、俺が店を持つ少し前に流行病であの世に行っちまったけどね。


 今の俺は幸せだ。母ちゃんにも父ちゃんにも何にもしてあげられず仕舞いだけれど、俺には売るべき商品があり、それを楽しみに待ってくれる客がいる。店があり、家があり、手助けしてくれる番頭や、手代がいる。お前もその中にいるにはいる。けどな……


「お前の部屋の引出……さっきロープを取ってきただろ、あの左の引出だ。一番下に巾着が入っている」


―― それを持ってきてくれないか。


 巾着を渡そうとすると親方はそれを受け取らず、オイラの両腕に優しく手を添え、まっすぐにオイラを見た。


「いいか、よく聞くんだ。もうすぐこの家には役人が来る。番頭が連れて帰る」

親方に盗みを働こうとしたヤツを捕らえに ――


「そしてお前には追手がかかっている」

その言葉にオイラは顔色を変えただろう。


「知っていたのか?」

親方の問いに、そもそもこの雪の中、家を出た原因をい摘んで話した。


 本当にろくな奴じゃないな、じろりと一度ヤツを見たがすぐオイラに向き直り、

「なら、話が早い――お前、連れ戻されたくないんだろう? よっぽど嫌なんだよな。住処も服も食べるものも全部捨てて逃げてきたんだ。一晩客を取るよりも、もっともっとその屋敷が嫌だったんだろう」


 やはり親方と出会う前、時々オイラが客を取っていたことに親方は気が付いていたようだ。


「だったら逃げろ、とことん逃げろ。俺が守ってやりたいところだが、役人にも手が回っているとなると、情けないが俺にできることはお前をここから逃がすことだけだ」


番頭もこのことは承知している。だから役人を連れてくるのにできる限り時間を稼ぐだろう。


「この巾着は、実を言うとお前を試すためあの部屋に隠しておいたものだ。お前の性根が腐っていれば家探ししてこれを見つけてすぐ出ていく、それならそれでいいと思った。施してやればいいと当座とうざしのげるだけの金を入れておいた」


 盗んでいればこの金はほどこしだった。しかし、これは今、お前へのはなむけと変わっている。お前が持っていけ、お前の今までの給金に「餞」を足してある。餞のほうがかなり多いかもしれん、親方が笑った。


 いや、親方も泣いている。オイラとの別れを惜しんでくれている。


「お前はお前の人生を生きろ。誰に従属するでもなく、だれに蹂躙されるでもない、お前の人生を見つけるんだ」


 そのためには盗むな。自分を売るな。いつも胸を張っていろ。そして出会った人を大切にしろ。少女を守ろうとしたお前にはそれができるはずだ。


 涙でびしょ濡れの頬を親方がぬぐってくれる。大きな暖かな手だ。


「オイラ、オイラ、親方のこと忘れない。いつかまた帰ってくる」

しゃくり上げながら、やっとのことで言うと、とうとう親方の目からも涙があふれ出た。


「おぅ、いずれ余熱ほとぼりも冷める。そしたら帰って来い。それからでも鍛えてやれるさ」


 身支度を終え、いざ旅立たん、といった時に、あの少女のところには行くな、場合によっては役人が見に行くかもしれないから、と親方が言った。


「広場から南西のほうへ向かえ。道なりにひたすら行くとやがて国境に出る」


国外にまでは、流石さすがに酒蔵の旦那も手を回せないはずだ。雪で閉ざされた今の時期は国境の警備は緩い。子供一人、忍び込めないこともないだろう。


 わかったとうなずいて、貰った巾着を懐に差し入れようとした。


 ――いない、スズメがいない。


「どうした?」

いぶかる親方に、何でもないと答え、深く頭を下げてオイラは言った。


「いってきます」

 閉めたドアの向こうから、親方のえつが聞こえる気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る