9

 家に帰る前に親方がよく行く酒場に寄ると、ちょっと前に帰ったと親爺おやじさんが教えてくれた。


「ご機嫌斜ごきげんななめできたけどね、ちょうど居合わせた番頭さんが捕まっちゃってね、二人でなんだかヒソヒソ話をしていたが、最後には上機嫌で一緒に帰って行ったよ。続きは家で飲もうって番頭さんを引きずってった」

親爺さんがケラケラ笑った。


「いい親方に拾われたね。励むんだよ」


うん、わかってら、と店を後にすると一目散で家に向かった。


 なんでオイラは一瞬でもあの親方を疑ったんだろう。申し訳なさで胸がいっぱいになる。でも、謝るのは少女を助けてからだ。今はそっちが先だ。


 広場に駆け込むとすぐ家が見える。すると扉が開いて灯が漏れている。息を切らせて扉の前に立ち、愕然がくぜんとした。テーブルや椅子が散乱し、いきり立った親方の後ろから番頭さんが腕を回して止めているようだ。


 そして向こうにはヤツが床にへたり込んでいるのが見えた。親方に殴られたんだろう、まゆのあたりや口元に血が流れているのが見える。


「あ、あいつだ、俺じゃない!」


ヤツはオイラを見ると、オイラを指さして叫んだ。


「さっきから言ってるじゃないか、あの小僧が盗んでとんずらこいたって。リンゴを盗んだ小僧だろう、油断ならないって忠告したじゃないか」


親方は黙っていた。しばらく黙って、言い募るヤツを見降ろしていた。


 もう暴れないと踏んだのだろう、番頭さんは親方から手を放すと、オイラにロープはあるか、と聞いた。オイラの部屋の奥の棚にあったはずだ、と取りに行った。


「親方の部屋から出てきたのはお前だろうが」

番頭さんがヤツをなじる声が聞こえた。


「そうさ、ドアが開いていたからな。どうしたのかと思って中に入ったさ。でも親方はいない。で、部屋を出た。そこにアンタ等が帰って来たんじゃないか」


戻ってみると、親方は、今度は椅子に座ってヤツを見つめていた。


 やり取りを集約すると、親方と番頭さんが帰って来たとき、ヤツが親方の部屋から出てきた。ドアはカギがこじ開けられ、壊されていて、親方の部屋の引き出しにしまってあった金がなくなっていた、と、こんな事らしい。


 ヤツは「犯人はあの小僧だ」と言い、親方と番頭さんはヤツが犯人だと決めつけた。


「こいつの体を調べろ」

ヤツをしばり終わった番頭さんに親方が言った。


「調べるまでもない、コイツのふところにあった巾着、親方の物でしょうが」

縛り上げるときに見つけたのだろう、番頭さんの手には重そうな巾着袋があった。その巾着を親方は静かに受け取った。


「それは、それは、何かの間違いだ。番頭が俺を陥れようと……」

ガンっと親方の足がヤツのあごを蹴り飛ばした。

「黙れ」

親方の声は静かだった。巾着を懐に収めると腕組をして何か考えているようだった。


 親方はオイラを許したように、ヤツのことも許すのだろうか。もう盗みはするな、まじめに仕事に励めば、いずれいい目も出ると、ヤツのことも許すのだろうか。


「お前、こんな夜中にどこに行ってた?」


 急に親方の声がして、『お前』が自分のことだと気が付くと、今、一番急ぎの用が何だったのかが鮮明に思い出された。


「親方!」

叫ぶように、大急ぎで少女のことを話した。親方はいくつか質問したが、最後に

「わかった」とだけ言った。


 台所から何かつくろって少女のところへ持っていけ、と命じられたのは番頭さんだった。そして少女を背負って役人のところへ行き、少女を引き渡したら役人を連れてこい。


「ま、待ってくれ。俺を役人に引き渡すのか? お願いだ、それだけは勘弁してくれ」


なんでもいうことを聞く、これからは真面目に働く、だから許してくれ。


「信用できないね」

親方の声はあくまで静かだった。


「お前、ほかの街でも同じことをしてきただろ? 糸の商売をしているっていうのも、店を出す資金が少しは溜まっていると言うのも嘘だ」


 とうに気が付いていた、むしろ最初から気が付いていた。だけど、一緒に商売するうちに真面目に働く面白さに気が付いてくれるんじゃないかと、期待したんだ。


「しかもお前は自分の罪を年端としはもいかない子どもになすり付けようとした。許せるはずもない」


「は、はは、は!」

 急にヤツは笑い始め、


「雪の中に置き去りにされた少女なんか助かるモンか! その小汚い小僧だってそのうちお前の金を盗むようになる。決まっている、そう生まれついてるんだ、商売女の子は売るか盗むか野垂れ死ぬか、それしかない」


「やめろ」

親方が立ち上がり、ヤツをまた蹴り飛ばした。


「やめるもんか! 大体、持ってる奴から盗って何が悪い。そうやって俺は生きてきたんだ。でなきゃ今まで生きてこられなかったんだ」

「……」


 再び蹴ろうとした親方はその言葉に動きをとめると椅子に崩れ落ちた。そして、

「なぁ、お前」

と、ヤツに語り掛けた。


「可愛そうなヤツだ。俺は俺の親方に拾われて堅気かたぎでいられた。お前にはそんな人は現れなかった。俺とお前の違いは、そうだね、それだけだね」


 ううっとうなるような声でヤツが泣き始めた。役人にとらえられる恐怖で泣いているのか、それとも親方の言葉に泣くのか、オイラにはわからなかった。


 親方にうながされ、番頭さんが外へ行った。手には包みがある。少女のもとへ行き、役人を呼んでくるのだろう。それを見送ると親方は、今度はオイラに向き直った。


「お前もここを出ていくんだ」


―― えっ?

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