――ありがとう、母さん

小説大好き!

第一話

 突如体を襲う寒波に身震いする。

 遠くの方で響くカウントダウンを待つ人々の声が聞こえる。それをどこか別世界の出来事のように感じながら歩き出す。

 今年もあと一時間だ。


「大晦日、か……」


 ふと、スマホを見る。

 今いる場所は実家のある町だ。用があってきていたが、それも終わって、ホテルを借りようとしていた。


「…………」


 既に終電も過ぎており、ホテルも近くにはない。行く方法がないわけではない。

 ……だけど。

 メールを開き、一言だけメッセージを送ると、再び歩き出した。




「ここは変わらないな」


 一人ごちる。

 地元は田舎の方にあり、あまり人が多いとは言えない。それでも大晦日の商業区の方は賑わうのだが、住宅地の方は静かなものだ。

 もう、賑やかな声は届かなくなっており、辺りは静謐の色に染まっている。


 ――六年前とまったく変わっていなかった。


 最近はどこも開発が進み、数年でガラッと街の様式が変わってたりする。でもここは、まったくと言っていいほど変わっていなかった。

 何年も見てないにも関わらずどこか懐かしさを覚えながら、記憶に残っている道を歩く。

 郷愁を噛みしめながらゆっくりと歩き、たっぷり十五分ほど経ったころだろうか。大きな特色があるわけではない家の前に立ち止まる。

 無骨な玄関扉に、左にある小さい庭。右の駐車場に止めてある車も、最後に見た時のままで。

 玄関の前に立ち、ノックをしようと手を上げる。だけど、扉を叩く手は途中で止まってしまい、そこから動かなくなった。

 送ったメッセージの返信は返ってきている。だから、何の問題もないはず。

 わかってはいても、体が言うことを聞かない。そのまま固まってしまう。


 ……もう、今日はやめておいて、ホテルを借りよう。


 そう思って手を下ろそうとした時だった。

 ガチャリ、と。

 扉が音を立てて開いた。

 まさか扉が開くとは思ってなかったため、驚きに目を見開き、再び、中途半端に手を上げた状態で固まってしまう。

 玄関から顔を出したのは、見覚えのある女性だった。今までの誰よりも一緒にいて、誰よりも見知った顔。合わなかった期間分変わった気もするが、それでも一目見てわかった。


「…………」


 向こうも扉の前にいた俺を見て驚いているようで、大きく目を見開いている。

 そのまま互いに固まったかと思うと、女性は、そのまま玄関から飛び出して、俺に抱き着いた。


「うぉっ」


 いきなりかかった衝撃に少しよろめきながら、受け止める。

 その体は、想像の中の重さよりも、ずっと軽かった。


「…………」


 女性は、黙って抱擁する。

 何も言えなかった。いきなり飛び出して行って、今まで一度も帰ってこなくて。

 今までどんな思いをしてるのかを考えようとすらせず、ただ忙しさにかまけていた。

 不意に、彼女は顔を上げる。その顔は涙に濡れていた。さらに罪悪感を抱く。

 こちらの顔を見た女性は、暫く何も言わずに黙る。俺の成長を、六年分の月日のを読み取るようにじっと顔を見続ける。

 そして一言。


「お帰り、翔」


 ――こう言われて、返せる言葉など、一つしかなかった。


「……ただいま――母さん」


 この日俺は、六年ぶりに母と再会した。




「とりあえず、中に入ろう」


 どれくらい外にいたのかはわからないが、今は真冬だ。

 いつまでも抱き着いて離れない母を促して、家の中へと入る。

 家の中も、まったく変わっていなかった。玄関からそのまま見えるリビングに、奥の方に見える扉。向こうは洗面所だっただろうか。ちょっとした壁があって、左には食卓がある。

 母さんを、リビングに置かれている椅子に座らせる。そして向い側に腰を下ろした。


「……今まで、顔も見せないでごめん」


 さっきの涙が、頭に焼き付いて離れなかった。

 まったく想像しなかったわけではないけど。……いや、想像することを拒否して、忙しく生きようとしていた。

 母さんは、息子が家出をして心配だったはずだ。それなのに、何の連絡も寄越さなかった。怒られるのが、自分の生き方を、誰よりも身近にいてくれた母さんに否定されたくなかったから。


「翔……」


 前で、母さんが立ちあがる音がする。そのままこちらへと歩いてきた。

 何をされるかはわからない。怒鳴られるのだろうか。叩かれるのだろうか。

 怖い。暴力を振るわれることよりも、否定されることが怖い。母さんは俺が何をしているかは知らないと思うけど。でも、今までの自分を否定されるのが怖い。

 だけど、逃げるわけにはいかなかった。母さんに何も言わずに家出をして、心配させたことを考えると、逃げる気にはなれなかった。

 何をされても受け入れるつもりで、ぎゅっと目を瞑る。


 ――やってきたのは、怒声でも痛みでもなかった。


 ふわり、と。静かに抱き締められる。

 さっきとは違う、優しく包み込まれるような抱擁。


「翔の頑張りは知ってるよ。応援できなくてごめんね。それと……よく頑張った」


「……え?」


 母さんの言葉に驚き、顔を上げようとする。

 その時偶然、近くにおいてあるテレビが目に入った。同時に、その横に置かれた、最新のゲーム機とパッケージも。

 よくタイトルを見ると、それは、俺が携わってきたゲームの数々だった。


「ずっと見てきた。最初にやった時、すぐに『これが翔の作品だ』ってわかったよ。絵の感じが、翔がずっと描いてきてたものに、似てた」


 母さんの言葉を呆然と受け止める。

 もともと母さんはゲームはあまりやらない人だ。だからこの家にはあまりゲーム機の類はない。

 でも反対していた俺の仕事を知るために、わざわざゲーム機とソフトを買ったのだろう。

 否定されるどころか、母さんは俺の事を既に認めていた。俺の頑張りを見てくれていた。


「母さん……」


「応援して、送り出せなくてごめんね。ずっと反対して、翔のこと信じなくて、本当……にごめんね」


 母さんが再び泣き出したのがわかった。

 今度は俺も、涙が溢れるのが止まらなかった。

 ずっと、反対されてきた。反対する母さんの言い分もわかってはいた。でも、どうしてもやりたかった。

 それに……ずっと、誰よりも母さんに認めてもらいたかった。俺がやろうとしてることを応援してほしかった。

 反対されて、勝手に家を出て、もう嫌われてしまったかもしれないとか思って……母さんのことを侮っていた。


「ごめん、母さん」


「ううん、お母さんこそ、本当にごめんね」


 そこからは、互いに謝り倒してばかりだった。

 そのまま数分間それを続け、ようやく落ち着く。時計を見ると、後五分で今年も終わろうとしていた。

 母さんもそのことに気づいたらしく、涙を拭いて姿勢を起こす。


「年越し蕎麦、食べる? ……インスタントしかないけど」


「うーん……お願いしていい?」


「分かった」


 そう言って、母さんは台所へと向かう。

 それを見届けると、テレビの方に目を向ける。テレビは、俺がいたころの時とは変わっていた。

 さらに、横に置いてある最新のゲーム機、そしてそのすぐ横に積まれているパッケージの数々に目をやる。

 改めてそのタイトルに目を向けるが、そこには俺が関わったものではないゲームも幾つか混ざっていた。

 もしかしたら母さんは最初、手探りで俺が関わったゲームを探していたのかもしれない。俺自身が、家を飛び出したとはいえゲームを作れる確信があったわけではないのに。

 それなのに、いつか俺の名前が出てくるのを待ってクリアしたのだろう。積まれたゲームからそれを感じた。

 誰よりも俺の事を信じてくれていた母さんに、胸が暖かくなる。流石にもう涙は出ないが、それでも優しい温もりを感じた。

 と、その時、母さんが台所からインスタントの蕎麦を持ってくる。


「三分だけ待ってね」


 そう言って持ってきたものは――なぜか、「赤いきつね」だった。


「母さん、これうどん……」


 言いかけて、気づく。

 俺は家にいる頃、「緑のたぬき」より「赤いきつね」の方が好きだった。

 つまりは、そういうことだろう。

 母さんの顔を改めてみると、あまり何も考えてなさそうな顔で箸を並べている。

 真意はわからない……けど。


「ありがとう、母さん」


「うん、どういたしまして」


 そうして、二人そろって卓につく。

 そのまま三分間、互いに他愛もない話をして、そして「頂きます」と、六年ぶりに二人で手を合わせる。

 目の前に母さんがいて、一緒に食べるご飯は、一人で食べるきつねより、何倍もおいしかった。

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