第27話 性的逸脱行為

 私が「性的逸脱行為」という言葉を思い出す度、河南をしっかり愛する努力をしようと思う。その言葉が、頭の中から消えたと思っても、そう思う時点で頭の中に浮き上がっている。その言葉は、呪いのようで、彼女との関係は所詮症状、一時なのだと私に囁きかけてくる。それは闇の中から這い寄るもので、朝日を浴びて消失する。夜の、特に帰宅する時間に濃厚な気配があった。歩いても歩いても、不吉な息吹は私のうなじを湿らせた。一人で街中を歩く夜があった。いつものように、河南のいる稽古場へ向かっていた。振り返れば、濡れた物を曳いたような私の影、ただ、それだけのことだった。酒を飲めば、幾らかましになるかと思った、けれど、もう泥酔して知らぬ顔をするのは止めにしたかった。


 そして訪れた今度の躁は刹那だった。


 時間的な意味ではない、あくまで感覚的な意味で、後から考えれば、夢幻を見ているような時間だっただけのこと。ある日になってふと気が付けば、台所で河南と一緒に料理をしている自分がいた。どうやら、河南と色々な所へ出掛けたらしかった。彼女たちが公演を終える日を見計らって、土日を挟んだ有休を取ったのだ。カレンダーから勘定するに二週間程度、普段から働き詰めで、壮年の上司はすんなりと承知してくれた。それに、忙しい時期でも無かった。


 休日の間、殆ど家を空け、道内の何処かへ泊まったり、あるいは遊びに行ったりしていた。河南のバイトが入っている日は日帰りの遊園地、水族館、ショッピング、道の駅などをマグロのように回遊した。彼女の予定が開いていれば、日本海を眺望できる温泉宿、賑やかさを求めてスパの付いているホテルに泊まることもあった。裸でも水着でも、河南とはしゃぎ合った。金は殆ど私が払った。湯水のように、じゃぶじゃぶと溢れてあっというまに冷めた。慎ましい生活によって貯金はあったが、全てが終わると驚く程減っていた。けれど、そのお陰で河南とは真っ当なマイノリティの恋人らしくなれた。人混みでも手を繋ぎ合って、肌を寄せ合って、愉快な出来事に直面すれば笑い合って、トラブルに行き会えば困ったように顔を合わせた。勿論、互いを愛撫した夜もあった。何かで濡らした指を密かに自分の中に入れて、興奮を演出したこともあったが。そういった行動全てが、私がマイノリティであると証明したようだった。

「沙織さん、なんか最近無理してない」

 台所で料理をしている彼女、突然こんなことを言い出した。そして、私の躁はパタリと終わった。例の呪詛が、「性的逸脱行為」頭に過って、「そんなことないよ。楽しいよ」包丁を持っていた河南を抱きしめる。彼女は慌てて、「危ないじゃないですか!」と怒った。私はレズビアンになりたかった、そうなれば、華やかな何かが自分に訪れるものだと信じていた。幸福な世界が私たちの周りを包むものだと。もう、誰も彼もが自分の一部を捨てなくて良い世界が、そこにはあると信じていた。

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