第26話 マルバツクイズ

 もう、自分が精神障害の、少なくとも「なりかけ」の段階に達していることは疑わなかった。今までSNSを見ていた時間に、そういった精神障害に関するインターネットの記事を見るようになった。特別面白いということもなかったが、これは一致する、これは一致しないと、マルバツクイズのように自分の精神状態と照らし合わすのが、その度に一喜一憂、暗いスリルがあった。その遊びは必ず自己嫌悪がついて回った。我ながら趣味の悪い遊びを覚えた。けれど、そんな遊びは長続きしなかった。


 精神健康度チェッカーとかいう、安っぽい占いのような診断サイトだった。山のような質問を繰り出され、殆どを一瞬で済ませていたのだが、とある文言に行き当たったとき、私の手は止まった。「性的逸脱行為の兆候がある」私はこの質問に、はい、部分的にはい、部分的にいいえ、いいえのどれかで答えなければいけない。そのとき、私が河南にする愛撫に、名前が付けられた気がしたのだ。「性的逸脱行為」について他のウェブページを見て回っても、私に近似する前例は存在しなかった。自傷的な響きで、ちゃちなチェッカーは、結局全て回答することなく閉じてしまった。診断を受ければ、河南を抱きしめる行為が「症状」になってしまう気がして、それからは、他の診断サイトを回るのも、精神障害について調べるのも一切合切止めにした。


 そして、ベッドルームに向かった。河南はもう寝ていた。貝のように閉じた膝は窓の方に向いていた。私からはうなじばかりが見えていた。窓は開かれて、カーテンがそよいでいる。入ってくる風は、外で伸び始めている緑の香りがした。土の匂いもした。一見彼女は息をしていないようだった。呼吸をするための別の器官を、カーテンの裾から窓の外まで伸ばしているようだった。けれど、私がゆっくり彼女の寝ているベッドに滑り込めば、ほんの少しだけ、息吹の気配を感じた。灰色のショーツ、キャミソール、道民は年中時節問わず寝間着は薄着。彼女の腹、両腕で包み込んで、そうしているだけで満足だった。この感情は嘘でも、症状でもない、両腕で、日の当たった砂のような素肌、その感触を味わえていればそれで良かった。砂地を濡らす必要なんてどこにも無かった。愛撫では無い、純粋な抱擁をしたのは、多分初めてだった。こうしていれば、行為が、本当の愛の呼び水になると思ったのだ。生活の節々で感じていた花の香りは、彼女の髪の毛だった。私の洗髪剤の香りでは無い、河南の反応は静かなものだった。ただ、布団の上に置いていた右手を、私の手に重ねた。能動的な体温が伝わってきた。この温度を手放したくかった。

「朝ご飯を作ってよ」小声で彼女のうなじに呟いた。河南は身じろぎをした。頷いたように思った。「きちんと起きるようにする。お酒も控える」

「……分かった」

 彼女はそれだけ呟いて、静かに息を吐いた。彼女が呼吸をする度、シーツは静かに波打った。部屋全体の空気は、カーテン向こうの窓から風が入る度、ゆるやかに脈打った。やがて、夜が眠りについた。

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