第9話 異世界

 今日は色紙に何を言うのかと思っていたら、「メリークリスマスです」上がりに正座で厳かに呟く。それからは、安くて酔わない酒にチビチビ口を付けながら、最近の稽古の様子だとか、脚本のことを話し合った。木元とはことある毎に一対一で飲んで、それでも話題が尽きることは殆ど無い。最近は私も脚本助手で参加しているから、余計話題の種も増える。そもそも、無言の時間が続いたからといって、気まずい空気が彼との間に流れるわけでもない。横開きの戸、風に吹かれてカタカタと鳴り、外からは車が雪水を跳ねる音、まだ客も少なく、「いや寒いね。もう冬だ」「まだまだこれからだべ」入ってくる客も袖擦り合わせて、白くなった肩を払う。

 雪が夕焼けに染まった頃、急に不安になってきた。女装バーで開催される、クリスマスパーティー、想像も付かない世界だ。一体どんなマイノリティ共がひしめき合っているんだろうか。私がその世界に踏み入れれば、白い目で見られないだろうか。「お前はこの世界の住人では無い」と。見計らったように、「そんじゃ、そろそろ行くべ」と木元は腰を上げた。

「私、ほんとに付いていってもいいの? 大丈夫?」

「別にいいだろ。店を閉めてるわけでもないらしいし」

「でも……」

「馬鹿。何今更言ってんだよ。もうサクラさんには連絡してるって。いくぞ、ほら」と、私の手を取って強引に引っ張っていく。二歩右足をついてから、大人しく彼に引っ張られた。大通りはもう、イルミネーションが暖かくどこも照らす。大通り公園には出店が幾つも出ていて店頭に並ぶのはスノードーム、ガラス細工のクリスマスツリー、ワインにビールと様々な料理、私を引く木元、煌びやかな物に見向きもしないで北に横断して行く。そこで、見知った顔に出くわした。「あ」お互い口をぽかんと開いた後、それぞれが連れている男性に眼を向けた。彼女が連れているのは冴えない中年男。それから、気まずく会釈し合って、私は木元に引っ張られるままにして過ぎた。顔を合わせたのは、職場の同僚。関わりは薄いが私の先輩で、この間、私を嘲笑した人々の一人。木元も彼女の連れも、私達が知り合いに出くわしたことには全く気が付かない様子だった。彼女が見えなくなってから、「ちょっと、何時までも手引っ張らないでよ。行くから」と言うと、木元はあっさり、「おう。はぐれんなよ」手を離す。それからメインの通りから離れたバーに行くまで、彼とはまた歩くペースが合わなくなった。

 バーの扉には、まだクローズドの看板が掛かっていた。「まだ閉まってんじゃん」「いや、いるはずだけどな」木元はそっと扉を開いて店内に頭を突っ込むと、「おう」と挨拶して体を入れた。それから、扉を全開に開けて私が入れるようにする。サクラさんは既にカウンターに立って、気安い様子で会釈、「メリークリスマス」と挨拶をする。

「すいません、なんか急に押しかけて」

 私が恐れていた程拒絶する風でもなく、大きく口を開いて笑い、「いいのいいの。パーティーって言っても、普段とは違うお酒を開けて、オードブル出すだけなんだから」早速カウンターに木元の使う灰皿を置く。

 店内には、既に四人の男女がいる。これぞ女装男という感じの二人が、奥でクリスマスツリーをセッティングしている。テーブル席には、多分女性が一人と、普通の中年男性が一人、ツリーの設営を眺めながら静かにワインを飲んでいる。白い目はどこにも無い。向こうのテーブルには既に、皿に盛られたオードブルがある。

 木元を追うままカウンターに座ると、サクラさんがワインのボトルを見せびらかした。グラスを二つ出して、注ぎながら「これは、今日居ない店長から。ヴィンテージなんだって。相羽さんはワイン飲める?」機嫌が良さそうに言い、「飲めますよ」と答えると、「それじゃあ、お客さんが来ちゃう前に飲んじゃえ」私の前にグラスを出した。彼女の説明によると、奥でツリーをセッティングしているのは店員、テーブルに座っている二人は彼らの友人、若しくはパートナーらしい。詳しいことは彼女も知らず、テーブルに座っていた女性は本物の女性らしい。「内輪って言っても大して交流も広く無いし、こんなとこにまで来るのは贔屓さんくらいなもんなのよ。それ以外は、今いる私たちの関係者くらい」

 ヴィンテージのワインはびっくりする程美味しかった。ワインというのは大概食事と合わせるものだと思っていたけれど、皿に盛られたオードブルに手を付けるまでもなく、ワインだけですいすい酔えるくらいだった。隣に座る木元も、「もう一杯欲しいなあ」とせがむくらいで、「こんなに良い酒、俺飲んだことないよ」「贔屓さんの分もあるから、もう一杯だけね」言って、彼のグラスに注いだ。そのまま私の方にも瓶を向けたが、流石に遠慮してマティーニを出して貰った。

 夜八時、ツリーのセッティングを終えた一人がドアの看板をオープンの方にひっくり返した。それからは次々と客が入り、一人きりで来た人間、複数人のマイノリティも忙しく入ったり出たりする。ちょっと顔を出して、「メリークリスマス」と店の人間に挨拶したきり、出て行った人間もいた。それで、たちまち店の人口が密になる。店員たちが小さい箱みたいな椅子とテーブルを幾つも出して、席を作ったが、たちまち立ったまま飲む人間が出始め、大騒ぎになった。私は殆ど木元とサクラさんとで話をしていたのだが、急に他の人間が話に割りこんでくることも少なくない。彼らは一見普通に見える者も、話してみると立派なマイノリティなのだった。突然この間の舞台のことを話す者もいた。きっと、この店では木元が舞台をやっていることが知れ渡っているのだろう。ストックしていたオードブルはあっという間に無くなって、私達は他の客が持ち寄った海産物や、追加で注文したデリバリーをつまんだ。サクラさんは忙しそうにお酒を造りながらも、暇を見つけては私達の話し相手をしていた。

「私が初めて舞台に行ったのって、信一の舞台だったの」

 当の本人、カウンターに突っ伏して動かないまま、寝ているんだろうか。

「何時のことだろ」

「まだ大学生の頃だったねえ。脚本はやっぱり相羽さんだったのかな」

「多分、そうですね」

「舞台に立ってる信一って、なんか、わけのわからないエネルギーに満ちてるんだよね。ちょっと中てられちゃったの憶えてるよ」

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