隣の席の小生意気なフレンチギャルの独り言が可愛すぎて困る件

うさこ

第1話

 

 初めて認識した時はいけ好かない女だと思った。

 こいつは汚いフランス語で俺に言い放った。


『はっ? なんで陰キャのあんたが面接してんのよ! マジキモいんだけど』


『うるさい、黙れ。貴様は面接に来たんだろ?』


『えっ?』


 俺、桐谷賢人きりやけんとのアルバイト先に面接に来た女は、同級生であった。

 フランスからの留学生、アリスは片言の日本語に話すギャルだ。

 俺がフランス語で返したので、アリスは非常に驚いていた。


 リア充のアリスとクラスで大人しい俺と接点は全く無い。

 こいつは俺がフランス語を知らないと思って、相当汚い言葉を言い放った。

 サッカー場で飛び交うような汚い罵声であった。


 俺はとりあえず我慢しながら質問をすることにした。


「……アリスか、パティスリーで働くのは初めてか?」


 アリスの日本語が聞こえてきた。

 フランス語とは違って随分可愛らしく聞こえる。


「うん! わたち、パティスリーはじめて。よろ、お前。てか、キモい」


 俺は手に持っていたペンをへし折りそうになった。リア充は好きじゃない。距離感が近すぎる。

 深呼吸をする。ここは学校ではない。

 学校で沢山の友達といるアリスと俺は違う、俺はいつも一人だ。


 非常にいけ好かない女だが今は人手が足りない。このままではクリスマスを乗り越えられない――


『早く採用って言えよ、ハゲ! はん、どうせ童貞でしょ? はぁ、マジ下がるわ〜』


 俺の将来の夢はパティシエだ。

 薄毛の父も母もパティシエであった。だから、幼い頃からフランス語を勉強していた。

 フランスにも何度も行った。フランス語の会話に困ることはない。

 ハゲは俺にとって禁句である。

 俺は立ち上がって、エプロンを投げつけた。


『ここは日本だ。俺に二度とフランス語で話しかけるな。俺もフランス語は使わん』


『はっ? 陰キャが生意気なのよ。いいわ、あんたなんかに二度とフランス語は使わないわよ!』


 こうして俺とアリスは一緒にアルバイトをするはめになった。








「ありがとございましたー!」


 アリスは仕事の覚えが早かった。

 しゃくに触るが地頭がいいのだろう。日本語も片言だが日常会話には困らない程度だ。


 厨房でケーキのカットをしている俺と目が合う。

 口を動かした。


 ――ばーか、ばーか! 陰キャ、キモい。


 なるほど、確かに日本語である。目が釣り上がり、意地悪そうな顔で俺を見ている。


 初めはずっとこんな感じであった。





 そんな俺達だけど、学校では席が隣同士だ。

 今まで話したこともなかったけどな。


 俺は将来の夢以外はどうでもいいと思っている。

 学校も友達もどうでもいいと思っている。

 だから、別に話す必要がないと思っていた。



 だけど、こいつはいつも明るく喋りかけてくる――


「てか、お前、陰キャのくせに顔きれー。マジムカつく」


「うるさい、黙れ」


「はっ? こんな美少女のわたちが話してるの。マジお前幸せもの。てか、顔赤くね?」


 アリスは俺の腹をつついたり、俺の顔が本当に赤くなっているかペタペタ触りながら確認する。距離が近いから否が応でも自分の体温が上がるのがわかる。


 アリスはそれを確認すると、意地悪そうな笑みで俺を馬鹿にするのであった。


 あんまりひどい時は、アリスが何しても俺は無視をする。


「ちょ、ちょ、待つの。わたち、怖い顔いや、ね、ねえ、なんか喋ってよ……」


 俺が無視すると少し悲しそうな顔をした。

 そんな顔をされると俺も困ってしまう。

 仕方なく俺が話しかけると――


「ぷぷぷっ、お前単純よ。わたちの可愛さにメロメロじゃん」


 ケロッとした顔で俺に言い放つ。俺はため息を吐きながらアリスに言った。


「……はぁ、今日のバイトは厨房に入るぞ。苺のカットから教えてやる」


「マジ? やった! 嬉しい!」


 アリスは柔らかい笑顔と共にフランス語で小さく呟いた。


『えへへ、やっと厨房に入れるんだ。頑張ってよかった……』


 俺はそんなアリスのフランス語を聞かないふりをした。

 なんだか心の奥から妙な気持ちが生まれそうだったからだ。






 バイトはいろいろな事があった。

 意外と長い付き合いになったアリスは、今でもフランス語を使わない。

 俺が初めに言ったことを律儀に守っている。

 日本語も段々とうまくなってきたので正直問題はない。

 難しい言葉や早口だとわからない時もあるらしい。

 だから俺は日本語をゆっくり喋るのがくせになっていた。


 アリスにフランス語を使ってもいいと言いたいが、本当に今更だ。



 俺は店長にお願いされてアリスと二人で買い物に行ったり――


「あ、ありがと、ナンパから助けてくれて……、マジお手柄じゃん!」

『……ふぅ、キリヤかっこよかった……』


 お菓子のコンクールを二人で見に行ったり――


「へー、キリヤも来年出すんだー、すごいね! 応援してるよ!」

『キリヤが優勝できますように……。あ、来年は私……日本にいないわ……』


 一緒にケーキ屋さんでお茶をしている時も――


「超うまいじゃん、このケーキ! あ、キリヤのも食べていい?」

『キリヤのケーキの方が温かみを感じるわ……、ふふ、本人には内緒ね』


 ――バイト先に嫌なお客がアリスに絡んできた時。


「くすん、キリヤありがとう。言葉がうまく伝わらなくて怖かったよ……」

『キリヤが私を守ってくれた……、すごく嬉しい……、ありがとう……』


 ちょっと頭がこんがらがってきた。

 アリスはほっと一息付く時や、気を抜いた時にフランス語でボソリと呟く。多分これは癖だ。本人は喋っているつもりはない。

 その内容が、その、なんだ、非常にこそばゆいものばかりであった。

 いや、日本語と内容はほとんど一緒だけど、微妙なニュアンスが違う。声色というか、なんか心がこめられている。いや、日本語も真摯な言葉には聞こえるんだか……。




 そこから先も様々な事があったが、割愛しよう。

 三年の終わりには、学校中で俺とアリスが仲良しだと思われていた。


 アリスの勧めで髪を切った俺は、何やら視線を沢山感じる。

 アリスは何故か誇らしげな顔であった。


 俺もアリス過ごすうちに、人間関係というものを学んだ。

 仕事は一人ではできないと痛感した。

 それを教えてくれたのはアリスだ。


 非常に感謝している。

 友達としての好意を持っている。いや、それ以上の好意があるかも知れない。

 だが、アリスは卒業したらフランスに帰らなければならない。ビサの問題だ。

 元々日本で進学するつもりは無く、故郷のアルザスに帰国する……。


 卒業が近づくにつれて――


「あっ、キリヤ! 今日もバイト頑張ろ! お前は未来の一流パティシエだ!」

「キ、キリヤ? なんで起こしてくれなかったんだ! うぅ……、遅刻しちゃた」

「えへへ、キリヤもすっかりキモくなくなった。わたちのおかげだね」


 アリスは俺の前では元気よく振る舞っていた。

 だが、小さな声で呟く独り言は更に増えていった。


『フランス、帰りたく……ないよ……』

『キリヤと離れたくないよ……』

『……どうすれば、キリヤと……ずっと、一緒に……』


 多分、俺でなければ聞き取れない声の小ささ。

 アリス本人は独り言を言ってるのさえ気がついていない。


 アリスのフランス語を聞くたびに俺の胸がドクンと跳ね上がる。

 俺の心がかき乱される。


 俺の進学先は製菓専門学校だ。今の店で修行しながらコンクールにも挑戦して――

 専門学校は一流の店の求人がたくさんがある。優秀な成績を収めたら素晴らしいパティシエの元で働ける。

 それはこの日本での一流パティシエになるセオリーであった。




 卒業式の日――

 クラスで騒いだ後、俺とアリスはお店の近くの公園で二人っきりでいた。

 これが俺とアリスとの学生生活最後の時間だ。


 すでに俺たちはたくさん語りあった。初めての出会いから、俺とアリスの間で起こった様々な事件やトラブル。話しても話しても話したりなかった。


 やがて二人は沈黙する。その沈黙さえも愛おしい時間であった。


 時間は有限だ。終わりが近づいている。

 俺はアリスを家まで見送った。


「明日帰国するんだろ。空港まで一緒に行こう――」

「う、ん。そだね。ありがとう――」


 アリスは玄関先まで行くと、俺に向かって振り返った。

 そして――



『――オゥボァ……、キリヤ……』


 俺が返事をする前に玄関の扉が閉まった。

 何故か俺はそれが一生の別れのように感じられた。





 俺はその日眠れなかった。

 頭の中でアリスの言葉が延々と再生される。


 確かにあの言葉は……さよならの言葉だ。間違っていない。

 だが、なんで俺の心がこんなにおかしいんだ?


 ――俺は学生だ。こんな俺に何ができるんだ? 


 走馬灯のようにアリスとの思い出が蘇る。時折呟く独り言を聞くのが好きだった。

 キレイなフランス語で愛情を感じられた。

 そのフランス語を思い出すと、心が熱くなる。

 いてもたってもいられなくなった――


 俺は飛び起きて、親父を叩き起こした。

 親父は俺の真剣な顔を見て、話を聞いてくれた。

 そして、一晩中親父に俺の想いを語り尽くした。







 違和感は間違えじゃなかった。俺はスマホで今日のフライト情報を確認した。

 アリスが俺に伝えてくれた時間にはフランスまで行く便はない。

 アリスは別れが辛かったから、ひっそりと帰りたかったんだ――


「おう、賢人。この便じゃねえか? 俺の車なら中入る前にギリギリ間に合いぞ」

「頼む、親父……、昨日から本当にごめん」

「がははっ! 構わねえよ! ガキの面倒を見るのが大人の仕事だろ? ほら、しっかりシートベルトしろや!!」


 胸がドキドキする。俺は自分の人生が思い通りに行くものだと思っていた。

 有名ホテルに入り、有名なコンテストで優勝して、いつか自分のお店を出す。

 そんな計画は目標であって夢ではない。俺は自分の殻を破ろうとしていた。


 心が焦る。だけど、まだ時間はある――





 空港に着くと俺は走った――

 アリスの日本のスマホは解約されていた。だから探すしか無い。俺は自分の言葉をまだアリスに伝えていない。向こうでの連絡先は知ってるけど、違うんだ。今なんだ。今じゃなきゃ駄目んだ!!


 海外旅行が趣味な親のおかげで空港は熟知している。

 俺は真っ直ぐの手荷物、保安検査の場所に向かった。搭乗ゲートまで入られたら探しがない。正直賭けであった。時間的にはギリギリだ。普通の人なら早々と搭乗ゲートに向かう時間だ。


 息が切れそうだった。心臓がバクバクしていた。だけど、こんな苦しみどうだっていい。

 俺にはアリスが――


 保安検査場を通り抜けるアリスの姿が見えて――――


 俺は叫んだ――



『アリス――――、俺だーーーー!!!! お前の事が大好きなキリヤだーーーー!!』


 今までも使った事ない言葉を初めて使った。だけどこの気持ちは抑えられない。抑えちゃいけないんだ!


 アリスが俺の言葉を聞いて振り向いた。その顔には涙が流れていた――そして、アリスは空港職員に説明をして――、俺に向かって走り出した。


『キリヤ……、キリヤ、キリヤ? キリヤーー!!  な、なんで、ここにいるのよ!?」


 俺はアリスが何か言う前に俺は自分の口でアリスの口を塞いだ――

 わからない、なんでこんな事をしたか自分で自分が理解できなかった。

 ただ、アリスを感じたかった。


 アリスは驚きながらも、俺を抱きしめてくれる。

 数秒たって、俺達は顔を離した……。

 アリスが顔を赤くしながら俺に言う。


『わ、わたしね、キリヤと離れるのが、寂しくて……、泣いちゃう所見せたくなくて……落ち着いたら連絡しようと……』

『俺は――アリスが世界で一番大切だ。だから、いつだって飛んでいくさ』

『……でもね、キリヤは日本の学校に――』

『やめた。そんなものどうでもいい』

『え? な、なんで……そ、それじゃあパティシエの』

『パティシエなんて誰かを幸せにする仕事だろ? なら、自分の大切な人を幸せに出来なくてどうするんだ? 俺は一生お前のそばにいる。あ、ああ、流石にすぐにはフランスに行けないけど、今までずっと貯めてきた貯金もある。あっちで店を探してビザも取る。だから――』


 俺は泣き出しそうなアリスに言った。


『アビアントでいいだろ――』


 言葉のニュアンスが違う。昨日アリスが俺に放った別れの言葉は、長い離別である。

 今俺が放った言葉は――またすぐに会おう。という気楽な言葉だ。


 アリスは泣きながら笑いながら日本語で俺に言った。


「えへへ、やっぱり、キリヤかっこいい。大好き……」

「……一生俺の側にいてくれ、アリス……」





 **************






 俺は学校を行くのをやめて、パティシエの修行しながら渡仏の準備を

 ていた。流石に今日明日でいける距離ではない。様々な壁がある。


 だが、そんなものは言い訳に過ぎない。やろうと思えば何だってできるんだ。

 だから俺はあの日から二ヶ月後に渡仏した。


 働く場所は決まっていない。だけど、日本にいた時からアルザス中のパティスリーに求職のメールを送った。

 一軒だけメールに返信があった。俺にチャンスをくれて、面接をして良かったら一週間研修して、仕事ぶりを確認したら労働ビザの申請をしてくれる、との事だ。




 アルザスの有名パティスリー『ジャック』。

 俺はホテルに荷物を置いてジャックへと向かう。

 アリスには面接の事を連絡してない。アリスは自分の知り合いのお店を紹介するって言ってたけど、まずは自分の力で道を切り開きたかった。

 そのあとでアリスに会いに行こう――


 ジャックの店に着くと、裏にあるテラスに案内された。

 そこには、コック服を着た髭面のいかつい中年男性が座っていた。

 俺は促され、席に座る。形式的な自己紹介が終わると、早速面接が始まった。


『……ジャポネか。お前はなんでこんな田舎町に来たんだ? 確かに有名なパティスリーは多いが、今は日本も優れた技術があるだろ?』


 俺は自然と笑みが出ていた。


『そんなの決まっています。心底惚れた女のためですよ、ムッシュ』


 シェフはポカンとした顔をしたと思ったら、大笑いしながら俺の肩をバンバンと叩いた。


『がははっ! そんなジャポネ見たことねーよ! お前本当にジャポネか? いいだろう、お前明日から働け』


『ありがとうございます。そしたら――』

『悪い、ちょっと娘から電話だ――』


 シェフが電話をしていると――聞き慣れたフランス語が聞こえてきた――



『……ねえねえ、パパ、私の大事な友達を働かせて欲しいのよ。はぁ……いいでしょ? なんで駄目なのよ。うぅ……、今日着いてるはずなのに連絡ないし……』


『ア、アリス?』


 シェフは俺を見た。

 電話口のアリスは興奮した様子でまくし立てた。


『へ!? な、なんでキリヤがうちの店に面接してるのよ!? 私。お店の名前言ってなかったし!! へ? パ、パパ、ご、合格したの? どうなのよ!!』


『……さっき合格したが……くそ、こいつがお前の言ってた男か。……はぁ、良い面じゃねえかよ。くそくそっ、だが、仕事を見てからだ! おい……、キリヤって言うんだな』


 シェフは電話を切って俺に言った。

 その顔には笑みが浮かんでいた。


『……娘が日本では世話になったな。ありがとうな』


『い、いえ……』


 なんだか店の方がドタバタとした音が聞こえてきた。

 シェフは俺に『アドゥマン(また明日)』と言ってどこかへ消えてしまった。


 そして、しばらくすると――


『キリヤーーーー!!! 馬鹿、すぐに連絡してよ……、もう、しかもうちの店に面接来てるし……』


 アリスが俺に抱きついてきた。


『悪いな、遅くなって。本当はもっともっと早くアリスに会いたかった。……アリス、また会えたな』


 アリスのほっぺたが膨らんだ。


『うぅ……、いいから……抱きしめて……、それに――』


 俺はアリスを抱きしめながら耳元で囁いた。



『――愛してる、アリス』


『へへ、キリヤ、私も愛してる――』



 俺たちはフランス語で愛の言葉を送り――口づけを交わした――




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