EPISODE15 楽しい時間
テスト終了から、二週間後。
相変わらずデニムのジャケットを買う余裕はなく、いつもの量販店で揃えた衣服だが。それでも上下新調して、百均の安物だがネックレスも買い与えた。
金銭的余裕がそこまでないにも関わらず、僅かでもお金が浮くと、つい人形用の衣装につぎ込んでしまうのは、自分の悪い癖である。
「裁縫の勉強、しようかな」
自宅であるワンルームのアパート。散らかるのが嫌で、最低限の物しか置いていない部屋の中、蹄人は着替えを済ませたスカーレットを頭から爪先までじっくりと眺めてから、腕を組んで満足げに頷く。
「うん、いい感じだ」
「君がそう思うんだったら、私も嬉しい」
照れたように俯くスカーレットの前で、蹄人もグレーのモックネックTシャツの上から、ネイビーのモッズコートを羽織る。赤いフレームのラウンド型眼鏡を軽く拭いて掛けなおし、スマートフォンの画面を鏡代わりにして髪型をチェックすると。
「よし、行こうか、スカーレット」
スマートフォンをコートのポケットに仕舞って、蹄人はスカーレットに片手を差し出す。スカーレットが蹄人の手を取ると、靴を履いて部屋の外に出て、しっかりと施錠してから歩き出す。
「そういえば、お前とこうしてゆっくり出かけるのは、これが初めてかもしれない」
駅までの道、閑静な住宅街やシャッターの目立つ商店街を通り過ぎながら、蹄人は隣を歩くスカーレットに声をかける。
「といっても今日の目的地も、筒道高校なんだけど。巻への当てつけみたいに、目いっぱい楽しんでやろう」
「そうだな。実をいうと、私もとても楽しみだ。君と一緒に、学園祭を回るのが」
微笑むスカーレットに、蹄人もつい微笑み返してから。慌ててしかめっ面を作ると、ちょうど見えてきた駅を目指して、やや歩くスピードを速める。
改札を通り抜けて、プラットフォームに降りると、ちょうど電車が入ってきたところだった。筒道駅と違って小さな駅であるため、各駅しか停車しないのだがこれは運がいい。
休日の朝らしく、家族連れの多い電車の中に乗り込んで。スカーレットと共に並んで吊革に掴まり、窓の外の景色を眺めながら目的地まで待機する。
今日は気持ちのいいぐらいの晴天で。怪しい電話番号が書かれた、やや錆びた看板も。葉が落ちて枯れた、冬の広葉樹も。街ゆく人も人形も、柔らかな冬の陽光が、明るく平等に照らしだしていた。
「ああ、綺麗だ」
隣のスカーレットが、小さくそう漏らしたのが聞こえた。確かに車窓から見える風景は、見慣れても飽きないものがある。
ビーズやクリスタルなど、ミルキーウェイも綺麗な物が好きだったが。スカーレットはこういう風景を、「綺麗」だと感じるのか。
だったらもっと綺麗な景色が見えるところに、連れて行ってやるのもいいかもしれない。自然豊かなところもいいが、煌めく夜景が見えるところも悪くない。
つい考えて、蹄人は慌てて頭を横に振り、浮かんだことを追い払う。人形を道具として扱うくせに、何を考えているのだろうか。金もないのに、夜景なんか見に行けるはずがない。
ただ、いつも頑張ってくれているスカーレットに、たまにはご褒美をあげるのもいいかもしれない。いくら道具だと思っていても、意思がある以上、労いを忘れるのはよろしくないことだ。
「次は、筒道駅、筒道駅でございます」
車内アナウンスが聞こえて、蹄人が顔を上げると、ちょうど電車が筒道駅の中に滑り込むところだった。
「スカーレット、降りよう」
しっかりと停車を待って、吊革から手を離すと。蹄人はスカーレットと共に電車を降り、改札を抜けて見慣れた街中へと踊りだす。
街はいつもと変りなく見えるが、電柱や壁に「筒道高校学園祭」のチラシが貼られているのを見かける。あれから新聞部が、増刷したのだろう。
学校に着くと自分たちと同じように、私服姿の生徒たちが人形を連れて登校してきていた。今日に限って私服と人形の同行が許可されているのだが、いつもと違う光景に、どこか逆に緊張してしまう。
「そういえば、蹄人のクラスは何をやるんだ」
「普通のカフェ。やってきたお客様に、クッキーとお茶を出すだけのお店。ちなみに僕は午後から手伝うことになってるから、スカーレットも協力してくれないか」
「もちろん。だったら午前中の間に、しっかり遊んでおかないとな」
開場前にもかかわらず、校内は生徒と人形たちで賑わっていた。開店準備は午前担当の仕事であるため、蹄人とスカーレットは飾り付けられた校舎の中を、のんびりと歩いて回ることにした。
「何度か来てるけど、今日はいつもと違って、変な感じだな」
歩きながら呟くスカーレットの横で、蹄人はスマートフォンに出店のリストを表示させる。生徒には一応、紙でも配布されているのだが、一般向けに学校のホームページからデジタル版がダウンロードできるのだ。
「何か、行きたい店はあるか」
焼きそばや綿あめなどの、安定のフード系出店も揃っているのだが。食事が出来ない人形と一緒に楽しめる、アクティビティ系の出し物も多い。
「輪投げにストラックアウトにお化け屋敷に。ペイントアートやボードゲームもあるみたいだ。どこから回るか、スカーレット」
「そうだな……」
少し考え込んでから、スカーレットは手を叩いて、困ったようにはにかんで見せる。
「正直、どこでもいいな。君と一緒に回れるのなら、どこだって楽しい」
「……どこでもいいが、一番困る答えなんだけど」
「あはは、じゃあリストの上から順番に、回っていこう」
スカーレットの言葉に、蹄人は頷いて、ポケットにスマートフォンをしまう。順番ならまずは、1年3組のお化け屋敷からだ。
ちょうど会場を知らせる校内放送が流れて、廊下を行きかう私服姿の生徒と人形たちが、一気に活気づくのが分かった。
「はぐれないようにな、スカーレット」
人形の硬い手を握りしめて、蹄人は階段を駆け下りる。校舎の中にはさっそく、一般の来場客が流れ込んできていた。
「蹄人」
人混みをかき分けて、目的地に向かう蹄人の耳に。スカーレットの小さな声が、聞こえた気がした。
「ありがとう、私を連れてきてくれて」
返事は返さなかった。このぐらいのことで、ありがとうなんて言われて、感謝されるつもりはない。
スカーレットが自分の道具で、大切なパートナーである以上。これから何度もこういう風に、共にイベントを回ることになるだろうから。
お化け屋敷を一切怖がることなく突破して、輪投げとストラックアウトの景品を根こそぎいただき、ペイントアートで色付けしたトートバックの中にぶち込んで、ボードゲームで連勝を決める。
アクティビティ系の出店を思う存分堪能した後、屋台でフランクフルトとりんご飴、それからスカーレットへのプレゼントとして、美術部デザインのお面を購入して、蹄人はやっと一息をつく。
食べ終わったフランクフルトの串を、設置された燃えるゴミのごみ箱に投げ込んで。りんご飴を舐めてかじりながら、蹄人は頭にお面を付けたスカーレットに顔を向ける。
「思ったより、楽しんじゃったな」
「楽しむつもりじゃなかったのか」
「つもりだったけど、最初に思ってた以上にってこと」
りんご飴の甘酸っぱさを楽しみながら、蹄人は片手でスマートフォンを取り出し、現在時刻を確認する。
「そろそろだな……スカーレット、体育館に行こう」
「体育館か。何か見たい出し物があるのか」
「まあ、ちょっとね」
スマートフォンを仕舞って、りんご飴の残りをバリバリとかじって食べ終えると。芯が残った串もちゃんとごみ箱に捨てて、蹄人はスカーレットと共に体育館に向かう。
双矢と戦った時は、あれだけ静まり返っていた体育館前の廊下も。今日はモールと紙テープで飾り付けられ、これから行われる人形決闘を見ようと、詰めかけた観客たちでごった返していた。
「うわ、凄い人だな」
蹄人とスカーレットが入り口につくと、内部は既に満員状態になっており、とても席が確保できる状態ではなかった。
というか入り口から人が溢れ出しているこの状況では、まともに試合を観戦することすら難しいだろう。
「もっと早く来ればよかったかな……」
ため息を吐き出しつつも、何とかして観戦できないかと、つま先立ちになってみたり、軽くジャンプしてみたりしても、背の高い前の生徒を越えられる気配はなかった。
「て、蹄人……」
戸惑うスカーレットの前で、無駄な努力を続ける蹄人を嘲笑うかのように、近くのスピーカーから実況担当の校内放送が聞こえてきた。
「これより体育館で、特別ゲスト・萌木極対人形決闘部新部長・田舞鎮世の人形決闘が開催されます。ぜひぜひ皆さま、観戦しにいらしてくださいな」
たちまち、観客たちの間に歓声が広がってゆく。このうるささだと、実況もまともに聞こえないだろう。
あがくことを諦め、蹄人はスカーレットに顔を向ける。
「仕方ない。こうなったらもう一周、出店回ってやるぞ」
「そ、そうだな」
「放送を聞いた奴らが来る前に、行こう」
スカーレットの手を引いて、蹄人は体育館前を後にする。途中予想通りに、放送を聞いてやってきた人間や人形たちに、若干揉まれはしたものの。何とか集団を抜け、逆にガラガラになった、教室の並ぶ廊下へとたどり着く。
「蹄人、残念だったな」
「別に、そこまで興味があるわけじゃなかったし」
慰めるスカーレットに、蹄人は静かに頭を振って。ちょうど隣にあった、お化け屋敷へと視線を向ける。
戦えないならせめて、戦う様子をじっくりと観戦して、分析しつついろいろと学んでやろうと思っていたのだが。さすがにあれほどの混雑の前では、蹄人の人形決闘に対する探究心もぽっきりと折れてしまった。
今回は珍しく言葉通りに、そこまで興味があったわけではないのだが。がっかりしていないかと言われれば、正直ちょっとだけ残念に思っている自分が悔しい。
だから蹄人はスカーレットの手を引いて、お化け屋敷の中に入ると、暇そうな血みどろナース姿の受付に、指を一本立てて見せる。
「生徒1、人形1、よろしくお願いします!」
隣でスカーレットが呆れた顔をしつつも、繋いだままの手をしっかりと握り返したのが分かった。
それから。お化け屋敷からボードゲームまでのローテーションをもう一度繰り返して、昼食に焼き鳥とイカ焼きを腹に詰め込んで、自由時間は終了となった。
ちなみに人形決闘は、大方の予想通り田舞鎮世が敗北し、萌木極が勝利したのだと、廊下ですれ違った生徒と人形が話していた。
午後はスカーレットと共に、カフェでひたすらクッキーとお茶を運んで。
学園祭の終了後には、開店準備を任せた分、閉店処理と後片付けをきっちりと済ませると。余った焼きそばとベビーカステラを格安で購入して、蹄人はやっと帰路についた。
といってもこれから向かうのは、朝出てきた自宅ではなく、筒道の隣駅前にある、巻の自宅兼工房なのだが。午後七時半を回ったこの時刻なら、さすがにメンテナンスの仕事も終わっているだろう。
ラムネは確保できなかったため、途中のコンビニでお茶を二本購入して、蹄人は改札を抜けて電車に乗り込む。電車の中はやや混んでいたものの、平日の帰宅ラッシュほどではなかった。
行と同じように、スカーレットと並んで吊革に掴まり、窓の外の景色を眺める。朝は爽やかな日光だったが、夜はカラフルなネオンサインが街を照らしていた。
「今日は楽しかったか、スカーレット」
蹄人が問いかけると、スカーレットは即座に頷く。
「とっても。君といるといつも楽しいが、今日はその中でも特に楽しかったな」
「……なら良かった」
巻に誘いを断られたときは、悔しくて寂しくて仕方がなかったが。スカーレットと二人で回る学園祭も、なかなか悪くはなかった。
要するに、蹄人も楽しかったわけなのだが。もちろんその気持ちを、わざわざ口に出して言うことはしない。
一駅だと、さすがにあっという間に到着して。電車を降りて改札を抜け、駅を出て裏通りに向かう。
いつもの雑居ビルの中に入り、いつも通り階段を下りて。巻の自宅兼工房の、扉の横についたインターホンを押す。
巻の応答を待ったが、いつまで経っても返事はない。もしかしてと思い、扉に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「まったく、不用心な……」
扉を開いて、蹄人は暖色の照明に照らされた、部屋の中に踏み込む。
踏み込んだ瞬間。いつも蹄人の座っているソファーに腰かけて、フォークでイカリングを食べていた少年が、顔と片手を上げて見せた。
「よっ、お帰り、蹄人くん」
金髪に紫のピアス、ピアスと同じ紫の口紅に、レザーのジャケットとジーンズ。
午前中の試合を観戦できなかったため、会うのはラストホープ・グランプリの予選以来だが、その顔はここ最近校内に貼られたポスターで何度も見ている。
よく似た別人ということはない。隣に立つ青紫の長髪と眼鏡が印象的なパートナーの人形、99が本人であることをはっきり証明している。
「も、萌木極が、何でここに―――」
驚きに目を見張り、つい後ずさる蹄人に対し。フォークに刺さった食べかけのイカリングを皿に置いた極は、胡散臭さが漂うにこやかな笑みを浮かべて、当然とばかりに言った。
「何でって、ここは天才調律師、常夜巻の工房じゃない。依頼するのは今回が初めてだったけど、評判は前から聞いていたからねえ。学園祭での人形決闘の後に、99を調律してもらってたんだよ」
巻に調律の仕事を依頼したのは、よりによってこいつだったのか。驚きが抜けた代わりに、警戒心を強めつつ、蹄人は巻とカットの姿を探す。
そんな蹄人に対し、食べかけのイカリングを改めて口に運び、ゆっくり咀嚼して飲み込んでから。極はフォークを、部屋の中にある工房に向ける。
「巻ちゃんとカットくんなら、工房の中にいるよ。99の調律は終わったけど、オプションについていくつか相談したら、サンプルを用意するからちょっと待ってくれって」
「……」
今日会ったばかりのくせに、巻のことを気安く「巻ちゃん」なんて呼ぶのには腹が立つが。表面はあくまで冷静を装って、蹄人はスカーレットに部屋の中に入るよう促すと、フォークを置いた極の前に立つ。
「で、目的はなんだ」
「目的って、だからそれは巻ちゃんに―――」
「それだけじゃないだろ。確かに巻の調律の腕は一級品だけど、その分お値段も張る。人形決闘にかかる費用を、動画やブログの収益で賄っているお前が、わざわざそんな高い金を出してメンテナンスを依頼するなんて、絶対何か裏があるに決まってる。いつもは無料で利用できる、ガラティア学園の専属人形師にメンテナンスを頼んでいるとなれば、なおさらのことだ」
「へぇ、よくご存じで。もしかして蹄人くん、僕のチャンネル見てくれてたりする?」
萌木極のチャンネルに限らず、有名な人形師の運営するウェブサイトは、全てブックマークしてチェックしているのだが。あくまでも勉強と敵情視察の為であり、ファンであるわけじゃない。
だから極の問いかけは無視して、蹄人は散らかったテーブルの上に焼きそばとベビーカステラとお茶の入った袋を置くと、極にぐっと顔を近づけて睨みつける。
「本当の目的を答えろ。萌木極」
「……そんなもの、決まってるじゃん」
すっと身を引いた極は、楽し気に両手を広げて見せる。
「人形決闘しようよ、藍葉蹄人くん」
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