第三期 学園祭編
EPISODE13 予想外の提案
私立ガラティア学園高校。
設立十二年と比較的新しい高校ながら、割と低めな偏差値と、多種多様な生徒を受け入れる自由な校風によって、約千名の生徒数を誇るこの国有数のマンモス校である。
学園の広大な敷地の中に、録音されたチャイムの心地よい音色が響く中。第一校舎の二階、1年A組の教室では、萌木極が自分の席に座り、机の上に置かれたノートパソコンの前で、スマートフォンを弄っていた。
様々な形に変形する猫を戦わせるソーシャルゲームをプレイしながら、極は時折画面にちらちらと視線を投げかける。
元の容量が大きいだけあって、なかなか終わらない。周回を終えて仕方なく、漫画プリで隔週更新されているドロドロした内容の恋愛漫画を開いた時、教室の扉が開いた。
「マスター、何やってるんですか」
極が顔を上げて扉の方に視線を向けると、99が立っていた。放課後になったら教室に来るよう、予め指示しておいたのだ。
「何って、動画のエンコードしながら、ちょっとエッチな漫画読んでただけだけど」
「エンコードって、昨日撮影した動画を編集したんですか」
「いんや、この前やったレトロゲームの24時間耐久生放送の、総集編動画第一弾だけど」
「これから結翔さんと約束あるっていうのに、ほんと何やってるんですかマスター……」
いつも通りに、99が呆れたため息を吐き出すと同時に、動画のエンコードが終了する音がした。
「まあまあ、あのチャンネルの収益は、僕たちの貴重な活動資金になってるんだから。それに約束に、遅れるつもりはないしね」
編集データをしっかりと保存して、極はパソコンをシャットダウンすると、机の下に置いて足置き代わりにしていた鞄に入れ、椅子から立ち上がる。
「それじゃ、行きますか。結翔くんのところに」
「まったく。世界一多忙な結翔を呼び出せて待たせるのなんて、マスターくらいですよ」
「だって僕は結翔くんの友達だからね」
鞄を持って肩にかけ、親指を立ててわざとらしくにやりと笑って見せると、99に軽く睨まれた。
「……あまり待たせるのもよくないよねえ、99」
「はい、マスター」
99と共に教室を出て、極は生徒のひしめく動画を歩いてゆく。この高校に入学したばかりの頃は、人の多さと入り組んだ内部構造に、遭難しかけたこともあったものだ。
「それが半年で慣れちゃうんだから、人間って凄いものだよなあ」
一階の昇降口にたどり着くと、自分の下駄箱で靴を履き替え、第一校舎の外に出る。
現在ちょうどテスト期間であるため、外はまだ日が沈む前であり、空は青く晴れ渡っていた。とはいえ季節柄寒さは厳しく、極は着込んだダウンジャケットの両腕をさすって、白い息を吐き出す。
待ち合わせ場所である、校内にある喫茶店「クレイ」に向かう途中、隣を歩く99が至極当然な質問を投げかけてくる。
「ところで、テストはどうだったんですか」
「んー……それなり、かな」
心からの答えだったのだが、例によって例のごとく、99に呆れたため息をつかれた。
「全国模試ベスト30の癖に、よく言いますよね」
「あれはたまたまヤマが当たっただけだって何度も言ったじゃん。それに頭が良くても、人形決闘が上手いとは限らないしね」
「ああ、確かにそうですよね。あの結翔さんも、中学時代は補習の常連でしたしね」
「……今も特待補正がなければ、危ないところなんだけど」
実をいうと、極はもう少し偏差値の高い高校に入学することを、親と中学時代の担任から勧められていたのだが。
ガラティア学園に入るという結翔に、「一緒に来いよ」と言われたため、推薦も何もかも蹴り飛ばしてここに来たのだ。
もっとも私服・化粧・アクセサリーOKで、敷地内に人形の待機所があり、学食が美味しくてトイレにウォシュレットが付いていて。人形決闘部の実力が全国最高峰であるガラティア学園が、あまりにも魅力的過ぎたというのもある。
おかげさまで、親との関係は最悪の状態であるものの。極はとても充実した高校生活を、この学校で送っていた。
ただ一つ、懸案事項があるとすればそれは。
「……はっくしゅん」
ちょうど喫茶店「クレイ」の前についたところで、極は盛大なくしゃみをかました。
「だからもう少し厚手のやつにすればいいって言ったのに」
ため息を吐き出しつつも、99は合成繊維の衣服のポケットから、ティッシュを取り出して投げて寄越す。
「ありがと、99」
渡されたティッシュで手早く鼻をかんで、ゴミをダウンジャケットのポケットに突っ込むと。極はドアベルの付いた扉に手をかけ、ゆっくりと引き開ける。
適度な暖房が利いて、クラッシック音楽の流れる店内に入ると。極は待っているはずの結翔の姿を探す。
結翔はすぐ見つかった。彼は一番奥の席に座っていて、目の前にはホットチョコレートが置かれていた。
しかし結翔の興味は、隣に座る
結翔と美衣華の仲は公然の事実とは言え、テーブルの前に立った極は、わざとらしく咳払いをする。
「ウェッヘン……ゴホ、ゴホゴホ」
「ん、あ、何だ極か。びっくりしたな……」
我に返った結翔は、慌てて美衣華から距離を取ると、何事もなかったかのようにホットチョコレートを一口飲む。
「相変わらず、お熱いことで」
露骨ににやにやしながら、極は結翔の前に座る。最近はテーブルに注文用のタッチパネルを常設している店も多いが、あくまで学校内の施設に過ぎないこの喫茶店にそんなものはなく、制服を身に着けた人形がテーブルにやってくる。
「あ、コーヒーを一つ」
注文を伝えると、水の入ったコップを置いた人形は手早くメモを取り、厨房へと去っていった。
隣に99を待機させて、極は改めて結翔と美衣華に向き直ったのだが、そこであることに気が付いた。
「あれ、ハルカちゃんとショウくんは」
結翔と美衣華の傍に、それぞれのパートナーであるハルカとショウの姿がないのだ。放課後であるため、連れて歩くことに制限はないはずだが。
「ああ、ハルカとショウなら待機所にいるんだ。極が大切な話だっていうから、邪魔になるといけないし、それに、その、美衣華と一緒にいるのを、あんまりハルカに見られたくなくてさ……」
恐らくそっちが本音なのだろう。恋人といちゃつくのに、結翔と美衣華は自分の人形が邪魔になると思っているのだ。本当に邪魔が入らないようにしたいなら、そもそも呼んでいない美衣華を今すぐに立ち去らせるべきだ。
確かに人形を邪険に思う瞬間は、ないでもない。極もガールフレンドと出かけるときに、99を自宅に置いて行ったことがある。
だがその時は予め99に事情を話した上でのことだった。絶対に騙したり、隠したりすることはしない。人形が主人に対してそうであるように、主人も人形に対して素直であるべきだと思うのだ。
暖房でぬるくなった水を一口飲みながら、極は結翔を静かに観察する。人形を仲間だと思う気持ちが強い分、恋人といちゃつくのを人形に見られるのが、恥ずかしいという気持ちもまた強いのだろう。
だが、だからと言って人形に対し、人間の女性と同じように嘘をついたり隠し事をしたりするのは、良くないことだと思うのだ。
結翔のことは友達だと思っているし、彼の人形を人間と同等に、仲間として扱うという思想も素晴らしいと思っているのだが。
だからこそ不安なのだ。結翔がパートナーに隠し事をすることや、「仲間」だと言ってあまりにも多くの人形と契約することに、漠然とした嫌な予感を感じるのだ。
杞憂ならそれでいいのだが、嫌な予感というものはこれまた不愉快なことに、かなりの確実で現実となる。
それでも結翔の友達として、このまま黙って見過ごすわけにはいかない。中学時代からともに様々な困難を乗り越えてきた親友の、破滅する姿なんて見たくはないのだ。
そのために、「彼」という存在が必要だ。
先程やってきた店員の人形が、コーヒーを運んできてくれた。極は人形に礼を言って、他のテーブルに向かっていったのを見届けると、スマートフォンを取り出しながら話を切り出す。
「結翔くん、藍葉蹄人って覚えてる?」
「藍葉蹄人……」
「知ってるわ。去年のラストホープ・グランプリの準決勝で、結翔に敗北した子でしょ」
ストロベリーオレを片手に口を挟んできた美衣華を一瞥してから、極はコーヒーに砂糖とミルクを投入しつつ、結翔へと視線を戻す。
結翔は険しい表情をして、頷いて見せた。
「覚えてるぜ。人形を道具として扱って、結局最後までその意思を変えなかった奴だ」
「だから、パートナーの人形に、見放されちゃったのよね」
あの日極も美衣華も、予選の敗退者としてラストホープ・グランプリの会場で、結翔と蹄人の人形決闘を見ていた。結翔とハルカの鮮やかな戦いっぷりも、応戦する蹄人とミルキーウェイの姿も、戦闘終了後の二人の顛末も。
「……パートナーに見放されて以来、藍葉蹄人は新たな人形と契約せずに、一人で過ごして来たみたいなんだけど」
テーブルの上に置いたスマートフォンの電源を入れて、昨日撮影した動画を表示させると、結翔と美衣華が同時に画面を覗き込む。
「どうやら最近、新たな人形と契約したみたいでね。人形決闘もまた、始めたようだよ」
再生した蹄人の人形決闘動画を、結翔と美衣華は真剣な様子で見つめていた。果たして彼らは藍葉蹄人の復活に、何を思うのだろうか。
「新しい人形は銃タイプみたいね」
「一年のブランクがあるとはいえ、実力は衰えてないみたいだな」
映像が終わると、極はスマートフォンを仕舞って、片手で頬杖をついて結翔と美衣華を見つめる。
「さ、君たちの感想を教えて頂戴よ。そのためにわざわざ、呼び出したんだからさ」
「マスターの方からお忙しい結翔さんを呼び出したのに、随分とまたふてぶてしい態度ですね」
横に立つ99に口を挟まれ、極は申し訳なさそうにはにかんで見せる。
「そうだな……藍葉蹄人はまだ、人形を道具として扱っているのか」
顎に手を当て、考え込むように言った結翔に。極は頬杖を解くと、待ってましたとばかりに手を叩く。
「それはもう、バリバリに。君に説教を食らって、ミルキーウェイに見捨てられても、彼は変わらなかったんだ。多分これからもずっと、蹄人くんは『人形は道具である』という思想を貫き続けると思うよ」
「最悪ね……」
悔しそうに歯噛みする美衣華の横で、結翔も表情を固く強張らせている。
「あの野郎、ミルキーウェイのことがあっても、まだ懲りてなかったのか……」
「まったく、これっぽっちも。ミルキーウェイに見捨てられたことは、相当ショックだったようだけど。そこから学ぶことはできなかったみたいだねえ」
両手を組んで顎の下に置いて、極はにやにやと笑いながら、挑発的な視線を結翔に投げかける。
「で、どうする結翔くん。藍葉蹄人ともう一度戦って、『人形は仲間』だってこと、改めて分からせてやる?」
イエスでもノウでも、どちらでもいい。イエスならそのまま、結翔と蹄人を戦わせることが出来るし。万が一ノウだとしても、結翔を言いくるめる自信はある。
もっとも、「人形は仲間だ」と呪詛のように繰り返す結翔が、「人形は道具」だという意思に基づき戦い続ける、藍葉蹄人を放っておけるわけがないのだが。
「分からせるって言い方は、好きじゃねえんだけど。でもこのまま、放っておくわけにはいかないよな」
「藍葉蹄人に道具として扱われる、人形が可哀そうだしね」
だったらいちゃつくのに邪魔になるからと、待機所に放置されているハルカとショウは可哀そうではないのか。
頭の中でそう思ったものの、口に出すことはせず、極はコーヒーと共に飲み込んで打ち消す。
ともかく、これで結翔と蹄人の対戦は決まったも同然だ。カップを置いた極は、にこやかな表情を結翔に向ける。
「じゃ、決まりだね。さっそく―――」
「あー……でもさ。実はちょっと問題があるんだよな」
話を進めようとする極を遮って、結翔は申し訳なさそうに頭を掻く。
「俺さ、公式戦以外の人形決闘はやらないようにって、マネージャーさんに言われてるんだよな。なんでも『ドールマスターの権威を保持するため』だって」
「……へえぇ」
結翔の周りに群がって、甘い汁を吸っているくせに。彼の実力を信じていないが為に、「調整」の及ばない個人的な人形決闘による、予期せぬ敗北を恐れて禁止しているのだろう。
人形決闘において、蒼井結翔以上の天才は存在しないというのに。心の中で舌打ちをしつつも、極はあくまでも平静を装ってもう一口コーヒーを飲む。
「だったら仕方ないねえ。でもこのまま蹄人くんのことを放っておくわけにもいかないし、どうしようか」
「そうだな……だったら、こうすればいいんじゃないか」
何かいい案を思いついたかのように、結翔は手を叩いて見せる。人形決闘以外における結翔の閃きは、ろくでもないのと的確なのと、半々なのだが果たして。
恐る恐る結翔の提案を待つ極に、結翔はにやりと笑って見せる。
「俺の代わりに、お前が戦ってくれよ、極。お前なら実力もあるし、きっと藍葉蹄人を倒せるさ」
「……な、なるほど」
この提案は予想外だった。彼と結翔を唆して戦わせる予定で、自分は一切戦うつもりがなかったのだが、なかなか上手くいかないものだ。
だが結翔の提案を聞いて、隣に座る美衣華が顔を曇らせる。
「でも、萌木くんはラストホープ・グランプリの予選で、藍葉蹄人に一度負けているのよ。その、大丈夫なの」
余計なお世話だ、と言いたかったが。極と99が去年のラストホープ・グランプリの予選で、藍葉蹄人とミルキーウェイに敗北したのは事実だった。
相性最悪の相手にさえ当たらなければ、優勝とまではいかなくてもそれなりの順位まで行けると思っていたのだが。予選第二回戦でよりによって、大会中一番当たりたくないと思っていた、蹄人とミルキーウェイのバディと当たってしまったのだ。
結果は惨敗。これでも大会前はダークホースと囁かれていたのだが、圧倒的な力の前になす術もなくやられてしまった。
パートナーが変わっているとはいえ、あの時の嫌な思い出があるため、自分が藍葉蹄人と戦うことは避ける、つもりだったのだが。
不安げな美衣華に、結翔は自信たっぷりに断言する。
「大丈夫。極はこう見えて努力家だから、あの時とは違う。一年間人形決闘から離れていた奴に、負けるはずなんかねえだろ」
それが。その信頼が、極が結翔と未だに友達であり続ける理由だった。
だから藍葉蹄人に勝てると、結翔に断言されてしまったら。もう戦うしかなくなってしまうじゃないか。
「まったく、仕方ないなあ……分かった、僕が藍葉蹄人と戦って、彼に人形を道具として扱うのを、やめるよう説得してくるよ」
別に戦っても戦わなくても、勝っても負けてもやることは何も変わらない。どうせ近々藍葉蹄人には接触するつもりだったのだ、ついでと考えればプレッシャーも感じないだろう。
もっとも、やるのは人形を道具として扱わないようにする、説得とは逆といえることなのだが。これもすべて、信頼する友である結翔の為を思ってのことである。
純粋な信頼をはっきりと向けてくる結翔と違い、友達だと思いつつも腹に一物抱えている自分が、ちょっと嫌になることもあるが。
コーヒーをまた一口飲み、カップで隠した口元に笑みを浮かべながら、極は美衣華と話し出した結翔を見つめる。
「友達って本来、こういうものだろう」
聞こえないように呟いたつもりだったが、隣に立つ99がため息を吐く音が聞こえた。
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