第20話 黒目の叫び

 三人は這々の体で扉の中に飛び込んだ。そして、猪の目の前で扉を締めたのだ。

 猪が扉にぶつかるドシンと言う音が響いてきた。


「鍵が掛かってなくて良かったあー」

「ああ、扉の前で詰んでしまったな」

「何なのよ。 あのぼたん鍋!」

「食材で呼ぶのは辞めて差し上げろ」

「俺は煮込まれたクタクタの白菜が好き」

「自分は春菊の方が好物」

「ああ、俺は長ネギかなーって違う……」

「あはははは」

「ふはははは」


 逃げ延びることが出来た三人は軽口を叩きあった。そうでもしないと張り詰めた緊張感が解けないからであった。


「……」


 扉を震わせたのは一回だけで静かになった。


「諦めたのか?」

「どうだろ……」

「結構、執念深い生き物だと思うけどな……」


 その必要は無いのだが三人は扉にライトを当てていた。こうしないと猪が扉を蹴破って来そうで怖かったのだ。


「ん?」

「どうした?」

「いや、何か書かれている……」


 すると、扉の上に何かが書かれていることに気が付いた。皆が一点に光を当てていたので直ぐには分からなかったのだ。


『声をかけてはいけない』


 扉に赤いペンキで書かれていた。今までの落書きは壁だったのに、この部屋では扉の上であった。

 部屋の中を照らしてみたが何も無い空間であった。


「何なの?」

「声を掛けるなって誰かいるのか?」

「無人で何も無い部屋だったじゃん」

「そうだよな……」


 その時、三人の携帯ライトがいきなり消えた。


「え?」

「ええーー」

「またかよ……」


 ライトが消えるたびに面倒なことに巻き込まれてしまう。既にお約束の事項になってしまっている。

 だが、ライトが消えていたのは一瞬で直ぐに点灯したのであった。


「ったく……」


 三人ともブツブツ言いながら部屋の方に振り返った。すると、ライトに照らされた異様な光景に出くわした。


「!」

「!」

「!」


 人が居るのだ。思っても居なかった光景に三人は唖然としてしまった。

 ちょっと雑然とした感じの室内に机の島が二つ有り、島には二人づつ向かい合うように人が座って居た。

 そして、全員が白衣を着て机上のモニタと睨んでいた。彼らは一様にぶつぶつ独り言を口にしているようだ。

 何かの研究室を思わせる光景であった。


『○○は××じゃない』

『畜生、畜生、畜生』

『何でこんなことになってんだ』

『そこは△△に決まってる』


 くぐもった感じの声と、話していたのは専門用語らしく上手く聞き取れなかった。

 三人は唖然として光景を眺めていた。


『ああああああああヴぁああああああうぼあうぇあああああああ!!!!!』


 独りが叫びだした。すると、それに釣られたかのように全員が叫びだした。

 特に一番奥に座っている白衣のおじさんは、凄い顔しながらばりばり喉をかきむしりながら叫んでいる。


 そこに看護師らしき人がやって来て全員に何かの薬らしきものを与えていた。それを飲んだ白衣の人たちは静かになった。

 そして、再びモニターを見ながらブツブツ言っていた。


「ここって廃墟だったよな……」

「ああ……」

「誰だよコイツら……」


 医者が忙しそうに歩いてきた。机に座っている人たちとは違い、白衣のポケットに聴診器が入っているのでそう思ったのだ。

 敦が動くことが出来ずに呆然と突っ立っていると、医者が自分にぶつかりそうになった。


「あっ、すいま……」


 敦は咄嗟に避けたが間に合わなかった。医者の顔が直ぐ目の前に迫ってきていたのだ。

 しかし、ぶつかると思った瞬間、医者は気にする事無しに敦の身体をすり抜けていった。


「えっ」


 驚愕していると次は看護師がすりぬけた。その光景を見ていた他の二人も唖然としている。


「なあ、この人たち透けてね?」

「ああ、確かに……」


 注意して見てみると、机や椅子も透けて見えている。床が机を通して見えているのだ。


「コレって何なんだ?」


 答えが在りそうもない疑問を口にする三人。


『ああああああああヴぁああああああうぼあうぇあああああああ!!!!!』


 机に座っている白衣たちが再び叫びだした。


「またかよ……」


 すると、看護師が現れて薬を彼らに与える光景が繰り返された。


「……」

「……」

「え……」


 だが、ここで淳はある事に気が付いた。最初にすれ違った医者と再びやって来たのだ。

 そして、同じように敦の身体をすり抜けていった。


「ひょっとして同じ事を繰り返している?」

「少し古臭くないか?」

「モニターも液晶パネルじゃなくてブラウン管の奴みたいだしな」

「それに、全体に色が付いてないよな……」


 ここで敦は光景に色が着いてないのに気が付いた。まるで古いモノクロ映画を見ている感じだ。

 その映画が同じシーンを繰り返し再生されているようなのだ。


「この人達は無限に繰り返されている事に気づいてないのかも……」


 三人はお互いの顔を見ながら頷きあった。この部屋もヤバイと認識しあったのだ。


「あのー、此処は何処ですか?」


 敦は通り過ぎようとした看護師に声を掛けた。扉の上に書かれていた注意書きを失念していたのだ。

 だがそう言った瞬間、部屋の中の動きがピタッと固まった。ブツブツ言っていた独り言も止まっている。


「!」


 そして、全員が敦の方にゆっくりと顔を向けたのだ。眼には白い部分が無く全て黒目であった。

 敦は死んだ魚の目を思い出した。暗く濁って何も映し出してない雰囲気が漂って来るのが分かる。


(ああ、コイツらは生きているものでは無いんだな……)


 全員不気味すぎるくらい無表情で三人と対峙したのだ。

 全員が黒い目をしていた。黒い目というより光が目に吸い込まれていくような感じがした。


『ヴォォォォォォーーーン』


 一斉に口を開いたかと思うと叫び声を上げ始めた。何か言葉で有るらしいのだが耳を圧迫されるのか言葉の判別が出来ない。

 思わず耳を塞ぎたく成る程の轟音の声であった。


「逃げるぞ!」

「!」

「!」


 川崎が豊平と敦の袖を引っ張った。それと同時に扉に向き直して開け放った。

 三人は再び廊下に飛び出た。扉も閉めて背中で抑えた。そして、廊下の階段側をライトで照らしていた。


「猪は?」

「居ないみたいだ」

「……」


 駆け出さないのはぼたん鍋……ではなく、猪を警戒していたのだ。


「さっきのは何だったんだ?」

「何、あの人達……」

「良く分からん光景だったな……」

「でも、生きている人間とは思えなかったよ」

「そうだな」

「幽霊って奴?」

「いきなり現れたんだからそうかも知れない」


 三人は口々に今見た光景を言い合った。そして、全員で中の奴はこの世の者では無いと一致したのだ。


「追いかけてくる気配は無いみたい……」


 敦は扉に耳を付けて室内の様子を窺った。何も音はしない。

 彼らは座ったままなのか、或いは今の場所から動けないのか追いかけて来ることは無いようだ。


「……」

「……」

「誰かが見ていた死後の世界なのかもしれない……」


 川崎がそんな事を言い出した。


「なんで?」

「あの人達は身体が透けて見えていただろ」

「ああ、敦の身体をすり抜けて行ったよな」

「つまり、物質じゃなくて映像だったのさ」

「何で夢だと思うわけ?」

「そうじゃないと俺たちが同じ光景を見ていた理由が分からなくなる」

「そうだよな……」

「それに、意識だけが誰かの夢の中に入ってしまったら、それを証明する手段なんか無いのさ」

「そう言うモンなのか?」

「ああ……」

「他に説明が付かない」

「集団ヒステリーと言うにはリアルに経験し過ぎたな……」


 こういう時に川崎と豊平は冷静に分析をするタイプなのだ。敦はアワアワするだけで約に立たないのであった。


「夢では無いと言い切れないか……」

「ああ……」

「だから、幽霊とかオバケとかは脳が勘違いしているんだと俺は思っているよ」

「本人が怖い怖いと思っていると、脳がそれを作り出して見せてしまうとも言われているしね」

「じゃあ、世間で言う心霊現象と呼ばれるのは勘違いって事なのか?」

「俺はそう考えてる」

「……」


 敦が振り返ると部屋のドアの上にネームプレートが貼られていることに気が付いた。


『隔離病室』


 そう、書かれていた。


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