#05

 僕の両親が捜索願を出したのだという。

 母親は会う前から泣いていたようだ。くしゃくしゃの顔は涙で濡れていて、僕の顔を見るなり、声を上げたから驚いた。


「司!……司!!!見つかって……見つかってよかった!!!」


 失敗作であるはずの僕を抱きしめ、わんわん泣いた。


「生きてて、よかった!!!」


 父親は、警察官に向かって何遍も何遍も頭を下げて感謝の言葉を述べていた。

 母親同様、失敗した僕のために。




 リサはまもなくやってきた児童相談所の職員に保護された。

 児童相談所の職員は五十歳手前ぐらいの丸っこい体型の眼鏡を掛けたおばさんで、彼女はやって来た時には、リサは警察署のパイプ椅子に座って毛布にくるまっていた。


「ママは?」


「ママはね、今、おばさんたちが探しに行っているのよ。ママも迷子だからね……」


 リサに尋ねられた児童相談所のおばさんは、優しい声でリサを宥めた。しかし、リサは機嫌を悪くした。


「ママは!?リサのママは!?」


 リサは顔をくしゃくしゃにしかめると、ひっひっとしゃくり上げ、遂には声をあげて泣き出した。


「お兄ちゃんのママは迎えに来たのに、なんでリサのママは迎えに来てくれないの!?」


 児童相談所のおばさんは掛ける言葉を出し尽くして閉口し、溜め息をついた。


 ――リサは殺しておいたほうが幸せだったんだろうか。


 あのゴミだらけの部屋で首を絞めて殺害する。

 散乱した部屋の中でリサの小さな亡骸は腐乱していく。

 白骨化して、散乱しているゴミのなかに埋もれる。

 誰にも知られないまま、彼女は土へと帰る。


「リサが悪い子だから!ママはどっかに行っちゃったの!?」


 リサが金切り声をあげて叫ぶ。

 児童相談所のおばさんがリサの肩を抱いて何事かを言おうとしたが、リサはその手を両手で振りほどいた。


「リサが悪い子だから!?ママ、いなくなったの!?」


 泣き疲れるまで、泣くだけ泣かせておくしかなかった。


「ごめんなさい!ごめんなさい!」


 泣きながら、リサは何度も謝っていた。

 僕の母親も僕との再会の涙を流すのをもう忘れて、じっとリサを見つめていた。父親は見るのが辛くなってきたのか、車を回してくると言って、場を外した。

 児童相談所の職員は警察官に呼ばれて部屋を出ていった。


「司も……行くわよ」


 しばらくして呼びに来た父親に応じて、母親も僕に外に出るように促した。


「あとで行くから。……先行ってて」


 と僕が返すと、リサはハッとしてこちらを見た。

 リサの涙に濡れた瞳に、情けない顔をした僕が映っている。


 ――失敗作。だけど……


「……悪い子じゃないよ」


 それは意図せず、自分の口からこぼれた言葉だった。

 リサに言いたかったのか、リサの瞳に映る僕自身に言いたかったのか――呆然として僕自身も分からない。 

 リサがきょとんとした表情になったから、僕は慌てて


「リサは悪い子じゃないよ」


と言い直した。

 



 生きていくのはつらい。

 人生は自分の思い通りにならない。

 例えばリサだとか両親だとか、他人の望みは、まして叶えてあげられない。


 失敗の連続だ。

 自分じゃない誰かからもみくちゃにされ、打ちのめされ、社会から弾き出されることもある。

 リサのように、自分ではどうしようもない理不尽な現実を突きつけられることもあるかもしれない。




「悪い子なんて、この世にいないんだよ」


 ――きっと悪い子なんていない、リサがそうであるように。


 ――失敗作なんて、多分ない。




 自分を失敗作だと思い込んでいた僕は、これまで両親、親類縁者、地元の友達の目線が怖かった。子供部屋から出て、大人になって、医者ではない何かにならなければならない自分からも逃げたかった。




 大人になる僕は、これから医者ではないにならなければならない。

 大人になる僕が、になる選択をするならば――




 例えば、死刑になりたくて無差別殺人だとかを犯す自暴自棄になった人間を揶揄して「無敵の人」と呼ぶのだそうだ。

 他人を巻き添えにしながら、自死に向かってひた走る人。


 しかしながら、僕は思う。

 こういった「無敵の人」というのは、「無敵」である以前に、自分、あるいは自分が創り出した虚像に、すでに負けていたのではないか。 

 失敗作だと他者に思われていると思いこんで、敵とみなしているのは自分であって、実のところ、敵というのは自分しかいないのではないか。



 自分から逃げてはいけない。

 自分に負けてはいけない。


 強くなりたい。


 本当の意味でに、僕はなりたい。

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