衝撃!

 辟易とした気持ちになりながら、俺はこの女の前で突っ伏していた。これまで正論ばかり吐く憎たらしいと思っていた幼馴染の本性を知って、そしてそんな女の性的対象に見られていた事実を知って、真っ先に浮かんだのは不快感にも似た絶望感だった。


 ずっと正論を吐く真面目な人だと思っていたのに……。好感情があったわけではない。むしろ、口うるさいこの女に悪感情を浮かべることの方が多かった。

 でも、悪感情と信頼は異なるもの。

 それを教えてくれたのもまた、この女だった。


 心の奥底で、こいつなら弱みを見せても良いと思っていた。

 どうせ正論を吐いて俺を律しさせようとするだけだと思ったからだ。


 ……でも、こいつに抱いていた信頼さえ、まるで浜辺に積み上げられた砂の城のように。呆気なく崩れてさりそうになっていた。

 



 本当、どうしようもない変態に好かれてしまった。

 



 人生十五年。それにしては谷のように深い、深いため息を吐いていた。この状況に対する絶望に、俺は打ちひしがれていたのだ。


「何、そのため息」


 過敏に、結衣は反応した。


「お前みたいな変態に好かれて、災難だと思ったんだ」


 この変態を刺激するようなことを言って大丈夫なのか。一瞬そう思ったが、脳内の考えと口が連動しなかった。

 だから、そう口走った後に俺は口を両手で塞いだ。変態に悪態を突いてしまった。こいつは、人目を盗んで俺の家族と裏交渉しテニスウェアを拝借するようなヤバイ女。

 そんな女に逆ギレされかねないこんな発言。あまりにも危険すぎた。


 顔を青ざめさせながら、俺は神に祈りを捧げていた。

 この命、何とかお救い給う。無宗教の分際で、俺は必死に命乞いをしたのだった。



「は?」



 その願いは、何とか通じたらしかった。




「あたし、別にあんたのこと好きじゃないけど」




 ……しかし、またもや意味のわからないことをこの女が宣いだした。

 思考がフリーズした。考えるのが億劫だと、これほどまでに思ったことはなかった。


 俺はいつの間にか、首を傾げていた。


「お前、さっき日常的にパクっているのは俺のテニスウェアだけって言ったよな?」


 冷静になりたくて、俺は結衣にそんな質問を投げかけた。


 結衣は、眉をひそめていた。何を愚問をほざくのか。顔にはそう書かれていた。


「そうよ」


「……今、お前は誰のテニスウェアで情事に励んでいた?」


「あんたのよ」


「お前は俺のテニスウェアを使って、日常的に情事に励んでいる?」


「そうよ。文句ある?」


 文句はある。でも、今気になっているのはそこではない。

 こいつの見せる俺のテニスウェアに対する異常な執着。俺が気になっているのはそこだった。だってそうだろう。そこまで執着しているんだろう?


「そこまで俺のテニスウェアに執着しているのに、俺に好意がない?」


 そんなはずないだろ、普通。




「当たり前じゃない」




 んんんん?

 ……はっきり言って、いいのだろうか。


「俺にはお前の当たり前がわかんねえよ」


「人の好みと匂いの好みが一緒とは限らないでしょ」


 なんだか理解出来そうなことを言ってる。

 でも常人はそこまで匂いに執着しないからやっぱりわからない。あ、そうであれば最初からこの話を俺が理解出来るはずがなかったのか!

 いやあ失敬失敬。余計な質問しちゃったね。


「……なんでだよ」


「は?」


「俺の、どこが気に入らないんだよぅ……」


 少しだけ涙声で、俺はこいつに言った。

 別にこいつのこと、俺も嫌っている身であるものの、何より匂いは好かれているのに人としては好かれていないという言葉がショックだった。


 俺、匂いに負けているってこと?


「だってあんた、陰気じゃない」


「はうっ」


 ドストレートな悪口!


「熱心なことにはとてつもない情熱を注ぐ人だとは思うの。それはいつもテニスの練習態度を見ていたから知っている」


 いつも見ていただなんて嬉しいことを言ってくれるな、と思ったが、それが俺がこいつの好みの匂いをちゃんと製造しているか監視のためだと悟るとかなり引いた。


 ……もしかしてこいつ、俺に正論を振りかざしたり厳しく接していたのも、全て自分の性的欲求のためだったのか?


「でも、一度壁にぶつかるとすぐ僻んでやる気をなくす。それもいつもテニスの練習態度を見ていたから知っているの」


「……むむ」


 まあ、確かに。今、絶賛凹み中だしな。


「そんなあんたに、人間的な魅力を正直感じない」


「そ、そこまで言う?」


 普通にそこまで言われると、結構落ち込むんだけど。

 そもそも、どうしてこの変態にそこまで言われないといけないのか。そう思って、言うように迫ったのは自分であることを思い出した。なんだ、自業自得じゃん。


 そう言って、快活に立ち直れるならどれだけ良かったか。


 思わず、俺は俯いてしまった。結構、心に響くものがあった。


「ほら、すぐそうやって落ち込む」


 それさえも駄目、とこの女は言うのか。

 思わず、俺は何も言えなくなっていた。


「……ま、当分はそんなあんたの匂いともおさらばみたいだけど」


 しばらくの沈黙の後、仕切り直すように結衣は言った。


「どうして」


 しかし、こいつの言葉がわからず俺は聞き返した。


 途端、結衣がなんとも形容しがたい顔をした。その顔は、まるで俺を咎めているように見えた。


「あんた、テニス部辞めるんじゃないの?」


「え、……ああ」


 それは、辞めないって方向で解決した話だった。



 ……いや待てよ?



 こいつの献身的な態度に心打たれて、俺はさっきまでの態度を翻して、こいつに謝罪をしてテニスを続けようと思った。

 でもこいつ、結局自分の利益のために俺を利用したに過ぎなかったんだよな。


 そう考えると、途端に献身的に見えたこいつの行動が利己的な行動に俺は見えだした。

 利己的な行動をされたこと自体は何も問題はない。


 問題なのは、その利己的な行動の正体を知らずに、心変わりをしてしまったことだった。だってそれ、とんでもなく格好がつかない。


「……なんで黙るの?」


 沈黙する俺に、結衣は何かを勘付いた。

 結衣は、一瞬驚いた後、目を細めて俺を睨んだ。


 この女が何を言いたいのか、手に取るようにわかった。




「その心変わりしやすいとこだって」




「……はい」


 見抜かれ、そう言われると……もう頷くほかなかった。


 ……救いようもないくらいの変態であるが、やはりこの女の言うことは正しいんだなと思わされた。

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