美冬

拾伍  白い花

 美冬は異国の雪に願った。

 くだらないいくさをしずめてくれと。


⊹ ❅ ⊹


 帝都一の駅は兵と見送る人でごった返していた。そこに涙はない。手を握り、ときには肩を抱き、兵士の門出を祝う。白い吐息がひしめく駅舎に一抹のさみしさを漂わせた。

 美冬は兵がうらやましい。自分はいくら志願しても、父と共に戦場に立つことは許されなかったからだ。

女子おなごは家を守れ』

 父はもちろんのこと、周りの者も同じようなことを言った。どんなに自身の異能を高めようと、女学校で首席を取ろうと、美冬が父の真似をしようものならば、その一言で片付けられた。

 乗降場を吹き抜ける風が肌を指す。

 暗雲が敷きつめられた空を美冬は睨みつけた。闇に隠れる雲の形は望めず、うわつく乗降場を諭すように雪は降っている。黒光りする汽車の屋根や、ならされたセメントを平等に消していった。

 美冬はかじかんだ手を知られないように握りしめる。


「美冬、そう拗ねるな」


 父の声に美冬は正面を向いた。豪奢な座席で父が腕を組んでいる。

 ガス灯で照らされた父は小皺まではっきりと見えた。


「父様、やはり私も――」

「美冬。外聞がある。控えなさい」


 父の厳かな声音に美冬は閉口する。袖に隠して、帯に爪をたてた。汽車が止まってしまえばいいのに、と心の中で呪った。

 機関室からの音が速くなる。出発時刻まで間がない。


「ほら、笑いなさい。私はなんと言われようとお前が一等かわいい」


 困ったように笑う父は車窓から手を伸ばし、美冬の横顔をおおうようにして額を撫でた。前髪で隠れた額から眉にかけて残る古傷を親指でなぞる。


「父様は口が上手ね」


 美冬は張りつめていた息をこぼしながら笑い、されるがままに体の力を抜いた。喧騒が遠ざかるようだ。

 美冬の視界に空から降るものと同じ色がうつる。

 黒の碁石に一つだけ混じったような白い頭。腰の曲がった白髪ではない。美冬の知る中で、それは一人しかいなかった。

 白い男が近づく。

 美冬は久方ぶりにまみえる男をさめた目で眺めた。

 鉄色の軍服に上官を示す漆黒の外套。にごりを知らない真っ白な髪。暗雲のような揺るがない瞳。顔は整っているが、人形以上に表情がない。何より許せないのは、美冬の額と同じ傷を持つことだ。

 白い男は一定の距離で立ち止まり、動こうとしない。彼の上官にあたる父からはその姿が見えなかった。


「葛西少尉、ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 我慢ができなかった美冬は口火を切った。

 伏せていた暗雲の瞳が美冬をうつしたのは一瞬だ。あいかわらずの聞き取りづらい声が返される。記憶より幾分か低い気がした。


「その呼び方は居心地が悪いです」

「じゃあ、昔のように秋人と呼びましょうか?」

「はい、お嬢様」


 抑揚のない声を聞いた美冬は自分の中でうごめく感情を押し殺す。闇よりもどす黒い憎悪に吐き気が込みあげた。


「秋人、何か急用か」


 父が端的に秋人に訊いた。


「急用ではありませんが、出立のご挨拶を申し上げに参りました」


 お前もまめだなと父は小さく笑んで、何か思い付いたように瞬きをした。秋人と手招きをする。

 秋人は素直に従った。


「ほら、この前、器用なことをしただろう。あの白い花だ。この一帯にまけ。今日は寒くて敵わん」

「……触ったら、火傷で済みませんよ」


 美冬の知る秋人なら首を横には振らない。美冬は物珍しそうにそれを見つめる。

 そこはだなと父は片方の口端だけを上げた。身を乗り出した父が大きく息を吸う。

 美冬は反射的に耳を塞いだ。


「諸君!! これより門出の花がたむけられる。それはとても美しいが異能だ。決して! 決して!! 触らぬように!」


 車両が連なる乗降場に響き渡る声は正しく最後尾まで伝わった。静まりかえる中、雪だけが落ちていく。

 美冬は父の蛮声を耳元で聞いた秋人に同情した。まだ耳の奥が揺れている。

 父の造作もない伝令に諦めた秋人が動き出す。意外と聞き慣れているのかもしれない。美冬は自分よりも父と長い時間をすごす秋人を頭の中だけで殴る。

 美冬の暴挙に感づいたのか、秋人が美冬を見た。美冬は視線をずらした後、なぜ逃げる必要があると自分を叱りつけ視線を戻す。

 秋人は細く息を吐き、姿勢を正した。皮手袋を外し、こぶしを作る。

 異能の気配を感じ取った美冬は秋人のこぶしに注意を向けた。

 秋人が広げた掌には親指の爪ほどの花が幾つも浮かぶ。

 見上げれば、夜を背景に雪と花が舞っていた。

 白い熱に溶かされ、闇に消えていく雪。混じりあうことなく、幾千もの白い花は頭上をたゆたう。

 美冬は白い花が炎だと気づき、視界に収まらない全ての白い熱が異能だとわかってしまった。くやしくないと言ったら嘘になる。到底、敵いそうのない神業に、心を動かされるよりも腹立たしさが先にたった。

 感嘆の声がもれる中、白い花は汽車よりも高い位置で姿を消す。

 ほのかに温かくなった場内に、車掌の声が響いた。乗降口にいた人々が散り、ゆっくりと汽車が走り出す。

 美冬は父の笑顔に手を振り、秋人は深く頭を下げていた。

 汽笛に負けないよう、万歳という声が上がる。

 走り去る汽車を見つめる美冬は吐息と共に言葉をこぼした。


「秋人はいつ出立するの」

「明朝です」

「そう」


 二人の間にも等しく雪が降りつもる。

 送迎を申し出る秋人に家の者を待たせてあると美冬は断った。

 示す合わすこともなく、踏み散らかされた雪に二人の足跡がくわわる。切符売り場までの道に会話はなかった。


「どうか、息災で」


 秋人は簡単な別れの言葉だけ告げると、返事を待たずに踵をかえした。白い頭は雪のように地に落ちず、闇にも溶けない。

 その場に立ち尽くした美冬の背後に立つ者がいた。一般人に扮した青年はズボンのポケットに両手を入れたまま声をかける。


「いいんですか、お嬢」

「佐久田。何か言いたいなら、はっきり言いなさい」


 苛立ちを隠せない声は佐久田には効き目を持たない。女学校に入学した美冬に護衛としてつけられた佐久田とは七年の付き合いになる。性格ということもあるが、佐久田の態度の方は大きかった。年上の貫禄というものではなく、性格が大雑把だと美冬は評している。人よりも明るい鳶色の髪は彼の軽薄な雰囲気に拍車をかけた。護衛中であっても平気で飲み食いし、呼びつけてもなかなか来ないくせに、有事の際には美冬の前に立つ。いけ好かないほどに器用で世渡り上手な佐久田は、わざとらしく肩をすくめ、小さくなった白い頭を見やる。


「今生の別れかもしれませんよ」

「だから?」

「何で俺を睨むんですか。八つ当たりはよしてくださいよ」


 へらりと力なく笑う佐久田に盛大なため息をついてやった美冬は夜道を見据えた。秋人の姿は消えている。

 虚空の心に白い花が落ちてくる。その白い花を美冬が間違えるわけがない。

 

「梅、ね」


 白い花がじわりと記憶をあぶり出す。二人で見上げた花は雪をかぶっても、なお白かった。


「ほら、名残惜しいでしょう」


 耳ざとく言葉を拾った佐久田が軽口を叩く。

 美冬は黙りを決め込んで、馬車に向かった。



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