拾弐  秘密

 伯母にこってりしっかり絞られた秋人ではあるが、めげずに異邦人の所に向かっていた。

 一人で行くと決めたのは秋人なりに理由がある。

 ひとつは、自分の異能で迷惑をかけたくなかった。異邦人には世話になっている形ではあるが、自ら志願して研究を行っている。求められる限り、秋人も利用しようと決めた。

 もうひとつは、誰にも過去を知られたくなかった。理由がどうであれ、一族を根絶やしにしたなんて誰もが眉をひそめることだ。ひそめるだけならいい。縁を切られ、美冬から離されたら努力する意味がない。大人達は感づいているだろうが、自分の口からはとてもじゃないが言えなかった。

 では、なぜ、秋人は異邦人の所に通い続けるのか。


照彦てるひこさんが倒れたので面倒を見てくれますか。私は研究が忙しいです」


 ずっと不思議だったことが、異邦人の非情とも取れる言い草を聞いて腑に落ちた。

 照彦とはこの洋館に初めて訪れた時に会った少年の名だ。蒲公英色の髪をもつ蛭子が何の力を持つか秋人は知らない。家のことをしているのか、気配はあるが、姿を見せないからだ。

 紳士然とした態度で言った異邦人には同情の欠片もない。ガラス細工のような瞳は事実を受け止め対処し、私情をはさまない。いつも先を見越して、自分の感情さえ使い分けている。

 食事の準備も洗濯もできない異邦人が世話するよりも、秋人が世話をした方が堅実だ。同じ蛭子として、秋人の中に興味がなかったわけじゃない。しぶしぶと口を開く。


「……どこで休んでいますか」


 訊ねれば、ついてきてくださいと異邦人が先を歩いた。

 煉瓦造りの建物は縦にも奥にも長い形だが、奥行きを埋める廊下は途中で切れ、隣の建物と空いた場所があった。高い壁に囲まれた、箱庭のような庭。研究室からもよく見えていた。

 教室二個分の場所には中央に一本の木が植えられていた。枝だけの状態ではあるが、幹の感じや落ち葉の様子を見れば、すぐに桜だとわかった。木の下は煉瓦に負けず色付いた落ち葉に埋め尽くされている。

 少年は木の根元に頭を向け、寝かされていた。病人なら外に寝かすより、もっと他にあるだろうと秋人が振り替えれば、何も言うなと口元に指を当てる異邦人が目に入る。

 寂しげで情けない色を秘めた瞳が死んだように眠る少年を見下ろす。


「そばにいてあげてください。人の気配があれば、目を覚ますと思いますので」


 それだけ言い残して、異邦人は去っていった。

 秋人は悩んだ末に腰を下ろしたのは、少年と木をはさんで反対側だ。

 予想外に時間ができた秋人は、腑に落ちた理由をゆっくりと紐解いてみた。

 他人なんてどうでもよかった。だが、父も伯母も執事も、秋人が必要とする以上に情を向けてくる。その生ぬるさがいつ氷点下に落ちるのか。秋人は、自分のことを、人のことを信じることができない意気地無しと思っていた。

 わかりづらいが異邦人にもそれなりに情はある。崖の上から下を見下ろし、自力で上がれというような潔さは、秋人の心に重くのし掛かることはない。塵のような情は、過度に手を貸さないのだ。至れり尽くせりではないその距離がちょうどよかった。


「変な人だよな。手を差しのばしてほしいわけじゃない、ってわかってる」


 あまりにも静かに響く声に秋人はそよ風が吹いたのかと思った。座ったまま振り替えれば、寝転がった少年の顔は前髪に隠されて見えない。


「愛されたいわけじゃないんだ。人として扱われたいだけなんだ」


 根元から聞こえる声は、空にのびようとしている蒲公英が話しているようだ。

 面白くないとむっとした顔が振り向き、秋人を見上げる。瞳は髪と同じ、蒲公英色になっていた。

 驚いた目と睨む目がかち合い、睨む目が呆れた目に転じる。


「あんたは何も言わないんだな」


 秋人は瞬き、応えようとして何も言うことがないと気付いて口を閉じた。

 少年は上体を起こし、体をのばす。首をぐるりとほぐした後、腰を上げた。

 秋人も立ち上がり、背中を眺める。

 声をかけたのは、もちろん秋人ではない。


「同じ蛭子なのに……あんたは、まっさらだな」


 少年からこぼれた声は自分自身を蔑むようで、やるせない色を見せた。同じ歳とは思えない、掴みきれない感情で成り立っている。


「仕事に戻る。世話をかけたな」


 世話をしたつもりのない秋人は、手を振った背中を呆然と見送る他なかった。この洋館の人達はどうして秋人のことを何もかも知っているように話すのだろう。その疑問は舞い降りた声によってかき消される。葛西さん、と呼ばれ、空をふり仰いだ。

 秋の空よりも、わずかにあたたかい双眸が見下ろしている。窓枠に頬杖をついた顔は背筋が凍えるほど穏やかだ。


「とっておきを教えてあげましょう」


 落ちてきた言葉に、秋人ははっきりと眉をひそめた。


⊹ ❅ ⊹


 年が明け、喪も明け、あの日のように雪が積もる。今年、何回目かになる雪掻きを終えた秋人は石畳から外れた足跡を見つけた。

 美冬は花開いたばかりの梅を飽きずに見ている。


「ふくつの花ね」


 秋人が来たことに気付いたのか気付いていないのか、愛しそうにわずかに笑んだ顔を言葉で表すことはできなかった。

 花にのった雪が陽に溶かされる。水に変じる輝きは見逃せない一瞬だ。

 梅から視線を離さない美冬は秋人に話しかける。


「ねぇ、秋人。どうして梅にはあかと白があるのかしら」

「……わかりません」

「紅が白くなったのかしら。それとも、白が紅くなったのかしら」


 秋人の答えなど期待していなかった様子の美冬は思うままに言葉を並べていた。

 雪のつもった枝にぽつりぽつりと開き始めた梅は雪化粧にも劣らない白い花弁を咲きこぼしている。

 秋人も一歩近づいて、梅の下で並んだ。吐く息も白い。白に満たされた世界に鼻の奥がつんとした。嫌いだった白が少しだけ許せた気がする。


「お前、目も鼻も赤いわ」


 美冬が秋人の目元を見上げて言った。

 背は秋人が美冬をほんの少しだけ越したが、自分を中心に世界を振り回すことと振り回される立場が覆ることは、一生ないだろう。

 その証拠に、鼻をすするふりをして、歯を食いしばり目元の熱いものを耐えた秋人に、美冬は気付かなった。


「もうすぐ卒業式だっていうのに、風邪なんてひかないでよ」


 鼻をすする音に迷惑そうな顔をした美冬が距離を取る。美冬は卒業生代表の挨拶をすることに決まっていた。父も出席できると知って張り切っている。

 卒業後は、美冬は高等女学校へ、秋人は中学校へ進む予定だ。同じ学舎で過ごす日々は終わる。秋人はずっと続けばいいのに、と思うのだが、美冬は早く卒業したくてたまらない様子だ。

 鼻を赤くした二人は屋敷へと足を向けた。秋人が掃いた道を足跡もなく進む。


「美冬。秋人。話がある。ちょっと来なさい」


 玄関で履き物を揃えていると改まった顔をした父に声をかけられた。

 心当たりがあるか、と互いに顔を見合わせたが双方の頭にのぼるものはない。美冬がわかりました、と答えて書斎までの廊下を三人で歩く。

 ガラス張りの窓からは冷気が染み込み、廊下には足音だけが響く。話の予想がつかず、体の芯まで凍らすような寒さを余計に拾った。

 書斎につき、あたたかな空気が出迎えてくれる。机には三つの湯呑みがおかれ、湯気がたっていた。

 父が座り、美冬が座り、秋人は少しだけ考えて二人に習う。美冬と秋人は父と対面した。

 両手の指をからめ、強く握りしめた父が厳かに口を切る。


「ミアカーフ卿から様子を聞いてな。秋人には軍仕官学校の特神科とくしんかに入学してもらおうと思う」


 二人とも、息を飲む。

 美冬の様子を肌で感じた秋人は彼女の方を見る余裕はなかった。心臓の音が耳につく。

 進む道は好きにすればいいと笑っていた父は苦悶をにじませていた。言った当人の考えとは違うことは明白だ。

 全寮制の軍仕官学校、特神科は、異能者で武を得意とする者が入る学科だ。本来は十五歳に入学するものだが、秋人が編入できるよう国が動いたのだろう。

 秋人は自分が国に管理されていることを失念していた。能力が強まれば、監視の目は厳しくもなる。そして、監視はこの家の者だけではないと自覚した。あの異邦人かもしれないし、異邦人を監視するものもいるのかもしれない。


「秋人、聞いてないわよ」


 落ちた言葉に秋人は我に返った。美冬には、異邦人の所へ通っていることも、自分が蛭子であり異能を使えることも話せていない。後悔するのも遅いが、逆鱗に触れてしまったと思った。


「お前、言ってなかったのか」


 そう口にした父も父で、娘と同様に目を見開き、疑念に満ちた瞳を向けてくる。

 せっかく塗り固めた足場も一瞬で崩れ落ちた。異能を使えるようになって自信がついてきても、信じた者に見放されてしまえば、おしまいだ。


「ねぇ。どういうことよ」


 地を這うような声は少女から生まれたものとは思えない低さだ。

 秋人の足元が目に見えない黒いものに侵食されていく。


「私に黙っていたの? 嘘をついたの? 騙していたの?」


 憤怒で燃える瞳が秋人をつらぬき、言葉を失わせた。空気は重くのし掛かるのに、ソファは雲のようだ。座っていることさえ、認識できない。

 部屋の中は、嵐の前の静けさが渦巻いていた。

 ねぇ、秋人と確かめるように言葉が転がされる。いつも鮮やかな瞳が、そこに写る秋人と共に歪んだ。


「何をしたか、わかってるんでしょうね」


 全ての不の感情を煮詰めた、にがく苦しい声だ。

 秋人は己の仕出かした罪を耳で感じた。

 なだめに入る父の声は美冬にも秋人にも届かない。

 口も頭も回らない秋人は美冬が立ち上がることで時は動いていると感じた。白い顔には荒れ狂う双眸が並び、目をそらしたいのに、そらせない。


「お前なんて、もういらない!」


 とどめを言い放った美冬は部屋を飛び出した。

 その一撃は、足場を失った秋人を奈落の底へ叩きつける威力だ。指一本動かせず、息をしているのかさえ怪しい。視界は墨をこぼしたようだ。

 父に肩を叩かれた秋人が、意識を取り戻したのは騒々しい足音が聞こえなくなってからだった。



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