拾参  凶刃

 秋人達がどれほど探そうとも、美冬は何処にもいなかった。始めに屋敷の端から端までを、次に庭の木の上を探しても見つからない。敷地内にいないとわかった秋人は母の墓を訪ね、学校に走り、一縷いちるの望みをかけて異邦人の所に駆け込んだ。

 肩で息をする秋人は咳き込みながら美冬の所在を訊く。


「岩蕗家の、令嬢が、来ていませんか」


 異邦人も蒲公英髪の少年も目を瞬かせ、知らないと答えた。すぐさま踵を返した背を異邦人が止める。


「他に護衛はいなかったのですか」

「全て、巻いています。お嬢様は悪知恵の天才なんです」


 微妙な笑顔で異邦人は流し、秋人に葉書に似た紙を差し出す。

 何の変哲もない紙だが、鳥のように飛んだものだと悟った。顔を上げた秋人の瞳に、こめかみに人差し指をあてる男が写り、綺麗に弧を描いた口が開かれる。


「強く、彼女を思い描いてください。それが終わり、紙に息を吹きかければ彼女の場所まで飛んでいきます」


 この国の人なら、隣国でも行くかもしれませんね。こんな状況にも関わらず、異邦人はそう軽口を付け加えた。

 秋人は考える時間も惜しく、紙をすばやく取り、美冬のことを伝える。

 曲がっていた紙がぴんと伸びた。息を吹きかけ、手を離せば落ちることなく空を駆ける。秋人は礼も言わずに紙を追いかけた。


「お急ぎですねぇ」


 呑気な声で見送った顔は興味深そうに笑っている。

 蒲公英髪の少年は呆れた顔でそれを見て、途中止めになっていた床のモップがけを再開した。


「何処にでもいるんだな。人を振り回す奴って。ちゃんと見つかるのかよ」


 諦めた物言いは傍らにいた異邦人の耳にも入る。

 見えなくなった背をからかうように異邦人は笑みを深くした。


「どうでしょうね。案外、いいように転ぶかもしれませんよ」

「あんたの『いい』はろくなもんじゃないけどな」


 そこで二人は会話を切り上げ、各々の仕事に戻った。


⊹ ❅ ⊹


 今ほど、己の足が早く走れないことを呪ったことがあるだろうか。何もなければいいと願いながら、秋人は空飛ぶ紙を追いかける。来たこともない場所だが、帰り道を心配している余裕もない。

 どんなじゃじゃ馬だろうと、仕立てのいい着物を着た姿は名家のお嬢様だ。秋人が側にいない状態では、人攫いにも会いやすい。何処かで怪我をしているかもしれない。

 焦れば焦るほど悪い方にばかり考えが転がる。秋人は無理に頭の端に不安を追いやって、紙と周りに注意を配った。手がかりになるものがあればいいと、やみくもに探す。何度も雪に足を滑らすが、俊敏な反応と根性で足は止めない。

 秋人の目が白い梅を捉えた。雪の中で見つけるなんて、自分の目はおかしいのではないかと思うが紙もそこに向かってある。予感を確信に変えて、寺の境内に続く階段をかけ上った。

 空気を求める体が、震える足がわずらわしい。秋人は瞳だけを左右にふり、地蔵の横に立つ美冬を見つけた。安堵できたのも束の間で、隣に立つ柄の悪い男が目に入る。呼吸を整えることもせず、土を蹴った。


「おまえ! 岩蕗の娘だろう! あの胸くそ悪い目と一緒だ!」

「口が汚いのね。私がどこの誰の娘かなんてを決めつけるなんて、失礼だと思わないの? お天道てんとうさまの高い内から酒を飲んで腐ってる奴にとやかく言われる筋合いなんてないわよ」


 怒鳴り声に父を悪く言われ、もともと気分のよくなかった美冬は嫌みをごまんと積み上げて言い返した。火に油を注ぐなと何度言われても、美冬の矜持は曲がることはない。家族のことを言われたら、なおさら質が悪いのだ。

 頭に血がのぼった二人に声をかけようにも、秋人の喉は作りの悪い笛のような音がするだけだ。

 男が懐から小刀を出す。侍の時代は終わり、廃刀令をしかれても刀を捨てる意思がなければ意味がない。

 相手の身のこなし方からして武芸を志すことを見てとっていた秋人は焦った。

 瞳の色を変えた美冬が一歩、後ずさる。男の勝ち誇った顔に、美冬は表情を険しくした。

 光を絶やすことのない瞳が癪に触った男が振りかぶる。

 乾いた喉から美冬の名を呼ぶ声が飛び出し、見開かれた目に写るのは必死に手をのばす姿。白刃が振り下ろされるのと、秋人が美冬の手を引くのは同じだ。

 白い雪に鮮血が飛び散る。

 秋人はぶれる視界を美冬に向けた。左目の上、髪の生え際から、眉にかけての一線。皮と肉が割けた所から止めどなく血が落ちていく。わずかに開いた目は焦点が定まらず危うい。

 美冬を抱える秋人が感じたのは、手足から感覚が無くなるのと体の奥底から煮えたぎる何かだ。激しく駆け抜けていた脈の音が遠退き、耳鳴りしそうな程、静かな所に放り出された。

 白い顔、白い雪、彼女を支える指先も真っ白だ。視界の端にあった黒い髪がひとつ瞬いただけで白くなる。

 止める余裕はなかった。止める理由もなかった。灼熱の炎が吹き上げる。

 周りの業火も美冬の熱の助けにはならなかった。彼女の瞳が力なく閉じられる。

 真っ白な頭にはいよいよ何も入ってこなくなった。

 全てが白く塗り替えられ、周りから色が抜け落ちる。美冬から流れる血だけが赤く写った。


『とっておきを教えてあげましょう』


 いつかの声が耳の奥で木霊する。

 世界が反転するのは一瞬のことだった。


⊹ ❅ ⊹


 秋人は倒れる前の記憶をなかなか思い出せなかった。

 美冬に術を施したことは覚えている。自分から何かが奪われていく感覚を耐えている内に彼女の額の傷の血は止まった。代わりに自分の額から血が流れる。落ち続ける血を焼いて止めようかとも思ったが、腕が上がらず、加減を間違えない自信もないのでやめた。

 名前を呼ばれるまでの時間がいかほどのものだったのか、覚えていない。自分の力はどんどん削がれていくのに、たがが外れたものを塞き止めることは不可能に感じられた。氷塊が落ちてきて、美冬が助かるとわかり、力が抜ける。

 要塞のように円を描いていた炎が消え、視界が暗転する前に、父の影を見た気がした。

 次に秋人が目を開ければ、自室に寝かされている状態だ。

 あれから、どうなった。美冬はどうしている。首を巡らすこともできない体ではどうしようもない。

 襖の向こうから、秋人、入るぞという声がかけられた。返事を待たずに姿を見せたのは父だ。

 起きていたのか、と軽く目を見開いた父はどこか安心したように笑む。秋人の傍らにあぐらをかいて座った。休めていないのではないかと思えるほどに憔悴している。


「お前も疲れただろう。手短に済ませる」


 秋人は目礼で返した。

 いつもの様子に父は声のない笑いをこぼして続ける。


「まずは礼を言う。美冬を助けてくれて有難う。お前がいなかったら、美冬が危うかったかもしれん」


 そう切り出した父は男が焼け死んだこと、美冬はまだ眠っていると教えてくれた。

 秋人は感情を動かさないように見ていたのは父の口元だ。

 野太い声を出す口が結ばれる。父が目を伏せ考え込む時間はたっぷりと十秒はあった。

 覚悟を決め、美冬と似た力を宿す瞳を秋人に向ける。


「もう、私がお前を世話することを許されなくなった。意識を取り戻したら、体が動かなくとも連れてこいと言われている」


 秋人は驚きもしなかった。そうだろうな、と何処かで諦めていたのかもしれない。

 熱を失くす暗雲の瞳に、秋人と呼びかけられた。


「今はちとキツいかもしれんが、努力を怠るな。全てにおいて強くなれ。そうしたら、願いが叶う」


 お前ならできるだろう、と力強い瞳が背中を叩いているようだ。これで仕舞いだ、というように父は力強く膝を叩いた。


「何かほしいものはあるか?」


 思い出したように言われた言葉に秋人はしばし考えた。

 父としては、水や食べ物のことを訊いたつもりであったのに、目の前の少年は真剣に考えている。かすれた声を聞いた父は慌てて枕元に置かれた水を飲ませてやった。

 水を飲むのもそこそこに、秋人が最後に願ったのは、美冬に会うことだった。



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