伍   異邦人

 母が帰ってくる日、美冬と秋人は門の前にいた。

 父は馬車で仕事に向かい、執事が運転する車で母は帰ってくることになっていた。母が疲れると判断した父の計らいだ。屋敷で待つように言われた美冬はふくれっ面だったが、父に言い含められて、しぶしぶと待つことを選んだ。

 まだかしら、と首を何度ものばす美冬にまだですね、と秋人は繰り返す。

 車のエンジン音が聞こえれば、遠くにいても、すぐわかる。屋敷の中でも聞こえるだろう。そうは思っても、秋人はあえて言わなかった。また美冬にいなされる未来が想像しなくてもわかるからだ。

 目的もなく景色を眺めていると、脇道から現れた異邦人が現れた。開国をして数十年とはいえ、帝都の端に位置する岩蕗邸の前ではことさら目立つ。

 帽子の下は輝く金髪、瞳は空のようなガラス玉だ。出で立ちからも西洋の香りがする。

 秋人が異邦人を観察していると唐突に顔を向けられ、視線がかち合う。

 笑みを浮かべた男は長い足で秋人の前まで進み、帽子を胸に当てた。


「こんにちは。お尋ねしてもいいですか」

「どういったご用でしょうか」


 秋人が答えあぐねていると、隣から声が飛んできた。目だけをめぐらせば、すまし顔の美冬が異邦人をまっすぐに見つめている。


「この近くに岩蕗邸があるはずなのですが、ご存じですか」

「ここが岩蕗の屋敷です」


 所々外れた調子だが、理解するには不自由しない問いに美冬ははっきりと答えた。

 屋敷を囲んだ生垣と鬱蒼と生えた木々を見上げた異邦人は感嘆の声を上げる。帽子をかぶりなおし、腰を折った異邦人は美冬に向ける笑みを深くした。変わらない独特の調子で話し始める。


「先日、手紙を送ったのですがなかなか返事がもらえず、勝手ですが出向いてきました。岩蕗卿はいらっしゃいますか」

「父は出掛けております」


 柔らかな言葉を美冬ははねのけた。

 異邦人はその様子を気にすることもなく、残念ですねと呟く。顎に手をあて、考え込むさまを数拍。美冬を映していたガラス玉が秋人に向けられる。


「もしかして、貴方が葛西かさいさんですか?」


 確かに、秋人の姓は葛西だ。岩蕗に比べれば、ぎりぎり引っかかっているような花の一族。しかし、秋人の生家は断絶されたも等しい。茶飲みの会話にも上らないような名だ。


「……どうして、知っているのですか」


 秋人は異邦人から半歩離れた。

 異邦人の顔が輝き、秋人との距離をつめる。


「私は貴方に会いに来ました!」


 興奮した声と広げられた腕が秋人に迫り、影を落とす。溢れんばかりの好意を向けられた秋人はおののいた。門の柱に背をぶつけ、逃げ場を失う。

 秋人が異邦人に抱き付かれる前に動いたのは美冬だ。秋人のズボンのポケットから目的の物を取り出し、異邦人に投げつける。

 突然の攻撃に身構えることなく、胸で受け、投げられた物は地面に落ちた。

 落ちた物を凝視すれば、秋人が持ち歩いていた守石だ。黒水晶がにぶく光る。執事に返そうとしたら、肌見離さず持つようにと言われたのは記憶に新しい。

 事も無げに異邦人は守石を拾い上げた。掌の上で角度を変えて眺めた後、一言唸る。美冬、秋人と順に見比べて、守石を手の内で転がした。


「これは投げつける物ではなく、持っておく物です。異能いのうを吸う石ですからね」


 興ざめした様子で説明した異邦人はしゃがみ込み、秋人に石を差し出す。

 目線が上から下に移り、秋人の恐怖が少しだけ和らいだ。しかし、動きの助けにはならない。

 秋人の受け取らない様子に、要らないならいただきますよと異邦人は促す。

 口を結んだ美冬は興味と疑心の入り交じった目で異邦人を睨み付けている。秋人は直感でこれ以上関わってはいけないと悟った。

 秋人が切り上げようとする前に、人好きのする笑顔をした異邦人が、そういえばと切り出す。


「名乗っていませんでしたね。私はフィン。西の果てから来ました。異能の研究をしている者です」

「研究って何をしているの?」


 好奇心に負けた美冬の口から疑問がついて出た。

 予想通りの展開に秋人は呆れつつ、気のそれた異邦人から守石を取り戻す。ひったくるような形になったが、一つも咎められなかった。

 体を固くする秋人を放って、会話がすすむ。


「どんな種類の異能があるか調べたり、古い書物を探したりしています」

「異能ってどんなものがあるの?」

「未来を見たり、あやかしを封じたり、結界を作ったり、怪我を治したり、ですね」

「そんなこと誰だって知っているわ。私が知りたいのは変わった異能よ!」

「火や風を起こしたり、植物を操るものもありますね。物を宙に浮かすものや、ああ、そういえば岩蕗家の氷を操る能力もとても珍しいですよ」


 流れるような説明にも満足できない美冬は、他にはと詰め寄っている。掴みかかりそうな勢いだ。

 一方の異邦人は楽しそうに笑い声を上げていた。腰を上げ、ズボンにできたしわをはたいて伸ばす。


「落ち着いてください。よろしければ、次の機会に資料をお持ちしますよ」

「次の機会っていつ?」


 異邦人が提案したにも関わらず

美冬は鼻に皺を作る。


「異能が使えるようになるのも、もう少し先です。焦る必要はありません」


 異邦人がなだめても、美冬の表情は変わらない。再び、口を開こうとした時、手首を引かれ、後ろにたたらを踏んだ。


「お嬢様、それぐらいにしてください」


 いつになく真剣な声色に美冬は振りかえった。

 平時なら熱のない表情には険しい色が浮かべている。


「お前、変よ」

「素性がわからない人と関わるものではありません」


 指摘を忠言で返した秋人は握りしめた腕を引いた。

 ますます眉間のしわを深くした美冬が大人しく従うはずもなく、噛みつくように言い返す。


「ちゃんと名乗ったわ」

「名前なんていくらでも誤魔化せます」


 珍しく強い口調の秋人に美冬は渋面を惜しみもなく顔に出す。

 秋人は何か言いたそうに口をゆがめ、迷う素振りで異邦人の様子をうかがった。すぐに地面に落ちた視線を美冬に定める。


「……守石が重くなりました」

「頭でも打ったの」


 心配の欠片もない返答に秋人は押し黙った。秋人自身も美冬の言うことが最もだと思う。

 だが、掌に収まる守石の重さは、目一杯に水を入れたバケツぐらいになっている。


「おそらく、彼の力のせいかと」


 秋人は異邦人の胸板を睨み付けたまま、美冬を握る力を強める。もともと人の目を合わすことを苦手としているが、異邦人を直視することが出来ない。自分の非力さを痛感し、策は逃げるだけだと悟っていた。


「ねぇ、貴方。石に何かしたの」


 わからないなら本人に聞けばいいとばかりに美冬は平然とした様子で異邦人に問いかけた。

 さすがの秋人も苛立ちを覚えるが過ぎた時間は戻せない。


「何かしたかと訊かれると困りますね」


 笑って言った異邦人はあけらかんとしていた。

 面白そうに片方だけ口端を上げた美冬に対して、秋人は頭を抱えたくなる。あからさまに危険とわかることでも平気で首を突っ込むのが美冬だ。

 秋人の焦りをかき消すようにエンジン音が聞こえてきた。徐々に大きくなる音に、人知れず息を吐く。

 表情を明るくした美冬は通りを振りかえり、異邦人もつられるようにして顔を向けた。

 止める間もなく、秋人の手を振り払った美冬が駆け出し、母様、伯母様とはしゃいでいる。


「帰り道に静江さんを見かけたから、ご一緒したの。待たせて、ごめんなさいね」


 話しながら降りた母は美冬に寄り添った。美冬の出迎えに軽く返し、異邦人の方へ片身を向ける。


「どちらさまでしょうか」


 にこやかな顔で母は言ったが、ごまかしは許さないという雰囲気をかもし出している。

 帽子を胸にあてた異邦人は腰から体を折り、礼を取る。


「フィン・ミアカーフと申します」

「申し訳ないのですが、覚えがなくて……どのようなご用件でしょうか」


 美冬と同じ言葉なのに腹に据えているものが違えば、張りつめる空気も言葉の真意も違うように聞こえる。

 秋人は大人の凄みを垣間見た気がした。


「葛西さんに話をうかがいに来ました」


 異邦人は許しを請うように頭を下げたまま言葉を並べた。

 声もなく、母の目が知り合いかと秋人に訊ねる。

 秋人は小さく首を振った。


「横から失礼します。彼はミアカーフ卿です。『異能狂い』と言えば、美幸さんも噂ぐらいには聞いたことがあるのではなくて?」


 秋人が顔を向けた先には美冬の伯母、静江が立っていた。冷たさを感じさせる涼やかな目を持つ彼女は母の義姉にあたる。目を細め、咎めるように言葉を飛ばしていく。


「また、興味で動いてしまったのでしょう。今日は立て込んでいます。後日に改めてくださいませんか」


 伯母の苦言に異邦人は仰々しく肩をすくめた。


「敵いませんね、椿小路つばきこうじさんには」

「今は梅辻うめつじに変わりました」


 異邦人にも臆しない伯母がぴしゃりと言い返す。

 これは失礼しましたと異邦人は眉尻を下げた。

 伯母が旧姓だったのは十年以上前の話だ。結婚したことを知らないとはいえ、古い付き合いであることがわかる。

 秋人は異邦人に得体の知れない物を見る目を向けた。体の奥底は冬空の下に投げ出されたように震えている。

 視線に気付いた異邦人の笑顔を直視できない秋人はすぐに顔を背け、母の後ろにいる美冬を見付けた。

 美冬は興味と何かを織りまぜた瞳を光らせているが、大人達だけの会話に混ざろうとはしない。息をひそめ、ただただ異邦人が立ち去るのを見守っていた。

 秋人は眉をひそめ、まただと思う。なぜ、我慢する必要があるのか。本来ならありえない状況に頭をひねった。秋人には答えがわからない。

 母の影に隠れた美冬の手は固く握りしめられていた。



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