第2話

「フレッド、お前というやつは……聞こえていたらどうするつもりだったんだ。私は肝が冷えたぞ」

 ブリーフィングが終わり、オーリスが退室したのを見たカスミはそう溢した。


「ごめんて姐さん。でも皆思った事でしょ? たぶん俺達みたいな連中の窓口やらされてるくらいなんだ、あのオーリスとかいうやつ相当社内で立場悪いぜ」


「まああまり有能そうな感じはしなかったよね。机上の空論とか好きそうな感じだ。でも本人がいる前で言うのは関心しないね」


 ユウも気持ちの面ではフレッドに完全同意だった。とはいえ、カスミの気持ちもわかるのでしっかりとフォローを入れておく。


「まったくだ。フレッドは知らんだろうが今ウチの家計は火の車なんだぞ」

「え、そうなん? ウチってそんなヤバいの?」


「はぁ……マリア、説明してやれ」

 カスミに言われ、マリア・カーソンは黒のネイルを塗りながら「りょ」と言って端末を操作した。


 マリアはフェンリルの経理担当だった。常に目の下にクマを作ってダルそうにしている少女で、戦闘に参加するというのに必ず黒のネイルを塗っている。しかし、いざ戦地に立つと連射型の大型ショットガンをぶっ放したり、火力支援をしてくれたりと、見た目にそぐわない火力担当なので、彼女に命を救われた者は多い。ちなみに胸も大火力級だ。


 そういった背景もあり、カスミ含めフェンリルの職員は彼女に頭が上がらなかった。


 マリアが戦場でショットガンをぶっ放している姿を思い出しながら待っていると、端末に資料が送信されてきた。見ると、いかに我がフェンリルの経営がよろしくないかが懇切丁寧に書かれていた。


「……なるほど。これはヒジョーにマズいねえ」

「そーゆーこと。だから今は頭下げよーと何しよーとお仕事しなくちゃいけないってことさ。じゃなきゃ明日のご飯に困っちゃう」


「オレはオマンマ食えなくなるのはイヤだぜ?」

 飯の話題に食いつきぬっと現れたのはボブだった。誰もが二度見するほどの巨体の持ち主の彼は、飯が食えない事にトラウマがあるのか何かにつけて「オマンマ食えないのはイヤだぜ」と言う隊内の面白黒人枠だった。ちなみにミドルネームは宗教上の理由で誰にも教えていない。


「わかってるさ。そうならないために私がこうして仕事を取ってきてるんだろう?」

「ありがたいコトダ」

「それにしても、カスミさんよくこんな大口の依頼取ってこれましたね」


 弱小PMCであるフェンリルはカスミ、ユウ、フレッド、マリア、ボブの5名しか職員がいない。


 カスミは主に指揮を担当するので、実働隊は4人の部隊という事になる。従って、やれる依頼といえば護衛がメインになるので、今回のような依頼はあまり回ってこない。


「条件不問で募集していたからな。すぐに食いついてやったさ。多少胡散臭いが、腐っても依頼主はFARMの一角だ。取りっぱぐれはないだろうさ」


 FARMとは企業国家の各分野の頂点に位置する企業の事だ。上からITのフェリス、小売のアウスレーゼ、インフラのレイレード、エネルギーのミンシャン。それらの頭文字をとってFARMと呼ばれている。


「って事は報酬も結構なものなのでは?」

「当然、報酬はふんだくれるだけふんだくった」

「流石姐さんだ! こりゃ暫くは上手い酒が飲めそうだぜ!」


「こらこら、いざという時のためにちゃんと少しは残しておくんだぞ? 私は金の無心などされても貸してはやれんからな」

「とかなんとか言いつつー!」


 なんて、仲良く和気あいあいとやっていると、ボブほどではないが大柄な白人男性がこちらに近づいてきた。彼はわざとらしく鼻を鳴らすと、こう言った。


「なんか臭えと思ったらここには日本人が二人もいるじゃねえか。やだやだ。醤油臭くて鼻が曲がりそうだぜ」


 PMCなんて職業は職業といえば聞こえはいいが、結局は人を殺すしか能のないような奴が好んでやる仕事だ。必然、血の気の多い人間がなりやすい。そんな人間は常にトラブルの種を探している。この白人の彼はユウ達にトラブルの種を見つけたようだった。


 とはいえ、そんな人間を相手にしているほど暇ではない。ここは大人な対応を見せて穏便にお引取りを願おう。少なくともそれが出来るほどにはフェンリルの面々は大人なはずだ。


「なんだテメエ? ……フレディなんて俺と似た名前しやがって。ふざけてんのか?」


 訂正。我がフェンリルにも血の気が多いのが一人いたのを忘れていた。フレッドは文字通り食って掛かる勢いでフレディなる白人男性にそう言った。


 ああ、これは血の雨が降るな。なんて思っていると、意外にもフレディはフレッドの肩を叩いて笑顔を見せた。


「おいおい、そんな怒るなよ。俺は白人とは喧嘩しない事にしてるんだ。俺が嫌いなのは日本人だけだ。それに、フレディとフレッドなんてたいして似てないだろ?」


 今時珍しい白人至上主義者という事なのだろう。それに加えて個人的に日本人に恨みを持っているといったところだろうか。


 なんて冷静に彼を分析していると、フレディはフレッドを押しのけてユウの前に立ちはだかった。ユウの身長が170そこそこなのに対し、フレディは優に180を超えている。ユウは自然見上げる形になる。


「俺に何か用ですか?」

「……ムカつくんだよなあ。テメエみてえな日本人を見てるとよお、古傷が疼くんだ」


「はあ、そうですか。それが俺と何か関係あるとは思えませんけど」


「カアッーたまらんね。その舐めた口! お前みたいなガキがいっちょ前な口を叩いてんじゃねえよ」

 そう言ってフレディはユウの頬をペチペチと叩いた。


「おい女! テメエも日本人だろ?」

「……それが?」

「随分可愛いガキだよなあ? こいつはお前のペットか何かか?」

 フレディは頬を叩いていた手を上にあげ、今度は頭を小突き始める。

「私の兵士だが?」


「ハーッハッハッ! こいつあー傑作だ! こんなチンチクリンが兵士だと? 舐めるのも大概にしろ。こんなもんはこうして一発殴ってやりゃあ……な!」

 被りを振ったフレディはユウを思い切り殴った。口の端が切れたようで、一筋の赤い線が垂れる。


「見ろよ? やり返してもこねえ! とんだ腰抜けだ! 皆見たか? 傑作だよなあ?」


 いい感じに人が集まってきていた。PMCにとって喧嘩など日常茶飯事なので、誰も止めようとしない。むしろ、もっとやれと囃す始末だ。


「クックックッ……」

 カスミは喉の奥で笑った。唇が怪しく弧を描く。その笑みは見る者が見れば獲物を見つけた笑みであると一目でわかった。だが、フレディの目には違うように映ったようだった。


「部下が部下なら上司も上司だな。どいつもこいつも腰抜けかあ?」

「あーあ。あたし知ーらないっと。ボブ避難するぞー」

「ああ、オレも巻き添えはゴメンダ」

「俺っちも逃げよーっと」

 マリアに続いてボブとフレッドがユウ達から距離を取った。


「カスミさん、許可を」

「構わん、やれ。ただし作戦前につき任務に支障をきたすような怪我はさせるな」

「了解」


 格闘戦において体格、ひいては体重は大きく重視される。ボクシングの階級があれだけ細かく分けられている事からもそれは読み取れるだろう。その理論からいくと、フェンリル内においてもっとも格闘戦に優れた人物はボブという事になる。だが、


「一発は一発ですからね」

 ユウの姿が消えた。否、超低空からのタックルを仕掛けたのだ。あまりの素早さに目が追いつかなかっただけでやった事は単純だった。

「んな!」


 フレディの態勢を崩し、マウントポジションを取ったユウは肘を掲げてフレディの鼻に落とした。グシュ、という潰れる音と共に血飛沫が舞う。


 何事にも例外は存在する。天性の格闘センスによって、ユウの隊内における格闘成績はボブを抜いてトップだった。


 やる事はやったとばかりにあっさりとマウントポジションを解除したユウは「これであいこです」と言って、座って事の成り行きを観戦していたカスミの側に控えた。


「よくやった、と言いたいところだが少々やりすぎだぞ?」

「ムカついたので。でもこれでもう舐められる事もないでしょう」


「そうだな。今ので愚鈍な輩にも誰がトップにふさわしいかわかった事だろう」

「……ひょっとして狙ってました?」

「ふふ、どうかな?」


 彼女がこの展開を狙っていたのかどうかは定かではないが、おかげで作戦中に動きやすくなった事だけは事実だろう。

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