神様、もう勇者はお腹いっぱいです。

皆川 純

異世界転移者専用窓口

 大陸全土を恐怖に陥れた魔王は、異世界から召喚された勇者によって倒され、世界に平和が戻った。

 それは今を遡ること五百年も前のことだ。


 むろん、召喚された勇者コバヤシ・ユキナガは既にこの世の者ではないし、魔王との戦いはもはや歴史の教科書に半ページ程度しか扱われていない。人の営みは延々と続く、ならば時が経つに連れて過去の物語は扱いが小さくなるのは当然のことだからだ。魔王がいた、勇者が召喚された、討伐に成功し世界に平和が戻った、学生が記憶すべきことはそんなことではなく魔王との戦いによって経済がどうであったのか、文化にどのような影響を与えたのかと言った経済史や文化史に分類されることの方だ。

 それくらいには過去のものであり、魔王や勇者と言った存在はもはやこの世界で重要視されるようなものでなくなっている。

 が、問題がない訳ではない。

 歴史的事実と成り果てたそれの何が問題なのかと言われれば、「神様の適当さが問題である」と誰もが答えるだろう。


 召喚は神が人間に与えた召喚玉と呼ばれる、当時は国宝として厳重に崇め奉られ、現在では諸悪の根源として厳重さはそのままに病原菌の如く隔離されているそれによって行われた。

 そう、当時は非常に重要なものであった。

 そして、今はとてつもない厄介者である。

 人類の悲嘆を耳にした神は、「これで異世界から勇者を呼ぶといいよ。チート与えとくから」と召喚玉を与えたのだが、「じゃ、あとよろしく」と結末を見ずに去っていったのだ。そして恐らくもうこの世界に興味を失ったか、あるいは惰眠を貪っているのではないかと思われる。

 なぜなら、


「エリカ、チのJPN-2044番だ。面接頼む」

「ううう……またですか。お昼行きたいのにぃ」

「悪いな。何か今日は多くてさ、俺たちも今日は昼食うの諦めたわ」

「せめて召喚されるタイミングがわかるようにするとか、一定期間を空けるとかして欲しいですよね……ランダムで召喚し続けるとか悪夢でしかないですよ」

「何だろうな、悪いものでも食ったんじゃないか。『下痢玉』って言われるのもわかるよなぁ」

「ちょっとケリィさん、自虐ネタやめてくださいよ。汚いなぁ」

「いや自虐じゃねぇよ?!てか人の名前を下痢みたいに言うな」

 そう、召喚玉は未だにランダムで異世界から勇者を召喚し続けているのである。

 しかも最初に召喚された勇者はチートの大バーゲンとでも言うくらいにてんこ盛りされた能力を持って召喚されたのに、それで能力の在庫でも尽きたのか、やってくるのはごく普通の人ばかり。人ならまだマシな方で、勇「者」と言えない何かまで召喚される。


 猫や犬ならまだ良い。

 この世界にもいるのだし、出てきたらすぐに写真を撮って「里親募集」の告知を出せば済む話だ。

 困るのは、この世界に存在しない生物を持ち込まれることだ。

 エリカもここ国民省特別局召喚課に配属される際の研修で学んだことだが、垂れ流し始めた頃は気付かず外界に漏れ出てしまった生物がだいぶ問題になったらしい。水棲生物では特にアメリカザリガニ、ミシシッピアカミミガメ、ブラックバス、陸棲ではアライグマ、チョウセンイタチ、ヌートリアなどが未だに問題視されている。

 が、実は最も深刻な被害をもたらしたのはスギであろう。

 エリカなどは生まれた時からそうだったから「そんなものだろう」くらいにしか思っていないのだが、毎年春先になると「召喚病」と呼ばれている中で最大の被害を出す花粉症の患者が激増する。この召喚課選別窓口の同僚にも何人か被害者がおり、仕事にならない状況に陥っているのを見ているだけに、初めて被害が出た頃は大混乱だったのだろうなあということは容易に想像できた。


「まあとりあえず頼む。一次チェックシートはこれな」

 手渡されたシートにざっと目を通したエリカはうんざりした顔を隠しもしないが、かと言ってケリィも仕事で受け渡しているだけだ。文句を言っても仕方ない。

「了解です。お疲れさまでした」

「書いてある通り、3番ルームな。じゃ、後宜しく」

 苦笑しながら片手をひらひらさせて去って行くケリィを見送ると、書きかけの報告書を「処理中」のトレイに入れて腰をあげる。正直面倒くさいし行きたくない。どうしてこんな日に限って主任は有給なんだと愚痴りたくもなるが入省して半年、18歳の新人には自由に取得できる有給など付与されていない。

 溜息をついて受付カウンターから出ようとするエリカに、

「エリカ、終わったら休憩入って構わないから。ファイト」

 と隣で一心不乱に書類整理をする先輩が声を掛ける。目の下に隈を作りながら鬼のように手を動かす先輩に、だったら代わって欲しいとも言えず曖昧に笑ったエリカは、「ありがとうございます」と無理やり笑顔を作ると面談室へ向かった。






「ではまずお名前の確認からお願いします。『ベルンハルト・フォン・イゼルリング=エルシュヴァイン』さんでお間違えないでしょうか」

「ああ、そう呼ばれていたと記憶している」

 開始早々、エリカは目眩と頭痛に襲われた。

 先輩に言わせると職業病のようなもので、選別窓口から別部署に異動できればすぐに収まるとのことだったが、そんな可能性の話は今現在辛いことに対して何の慰めにもならない。希望出せるまで後3年もあるし。

「この世界ではあなた方異世界からの転移者は被害者であるという認識があります。そのため独り立ちできるようになるまではある程度こちらでサポートしますが、万一登録名と本名が違ったことが明らかになった場合はそもそも『別人である』と見做され、あらゆる福利厚生や公的助成の対象外となります」

 もう何度繰り返したかわからない定型文を告げる。

 エリカとしては特にJPNの転移者に対しては毎度繰り返すことであって淡々としたものだが、それを聞いた転移者は必ず決まった対応をする。

「登録名と本名、だと?」

「あなたは記憶が曖昧だそうですね。ただ、名前というのは生まれたからずっと呼ばれ続けてきただけあってそうそう忘れるものではありませんし、記憶から失われたように思えても案外残っているものです。カクテルパーティ効果という言葉をご存知ですか?」

「いえ……ああ、いや、知らないな」

 一瞬素が見えて慌てて取り繕う転移者の動揺を、さらりと見なかったことにしてスルーするのはエリカの優しさ。

「カクテルパーティのようにどれほど騒がしい場所でも、なぜか自分の名前だけははっきり聞き取るそうです。同じように、忘れたように思えても実は忘れていることは少なく、ふとした瞬間に戻ることがありますし、偽名を使っていても相当に練達したその筋の人でない限り、本名を出してしまうものです」

 そう言ってシートから目を上げて正面、ガラス越しに見据える。

 面白いように視線を落ち着かなくさせる転移者の反応があまりにもいつも通りで滑稽だが、ここで笑ってしまってはいけない。あくまでも仕事なのだし最初に確認すべき重要事項だ。

「本当に忘れているのなら情状酌量の余地はありますが、その場合でも思い出した本名が、登録されている本人であると認定されるまでそれなりの手続と時間がかかります。その間はもちろん公的支援は打ち切られることとなります。それが偽名であったとしたら……」

 言葉を区切って様子を伺う。

 完全に挙動不審になっているから、これ以上の脅しは必要なさそうだとエリカは判断した。この仕事に就いてまだ日の浅い新人だが、転移者というのは反応がわかりやすいからこの程度であれば判断は可能だ。

「では最終確認ですが、お名前は『ベルンハルト・フォン」

「カズキ・ヤマダです」

 先程までの痛々しいまでに偉そうな態度はどこへ行ったのか。

 目の前の、エリカとそう違わない年頃であろう少年は肩を落としながら力なく呟くように答えた。

「あなたの国の表現方法で結構ですよ。あくまで本人確認ですから、あなた自身があなたを表す慣例的な言葉で仰って頂かないと。姓がカズキで名がヤマダさんですか?」

「山田和樹です」

「確かですね」

「……はい」

「ありがとうございます、山田和樹さんで登録致します。では次に年齢とご経歴を確認します」






 淡々と事務仕事をこなしていく目の前の女性を呆然と見ながら、山田は何かがおかしいと思い始めていた。

 だって異世界召喚なのだ。例え日本ではデブオタだったりニートだったり引きこもりだったりしても、侯爵家子息に生まれ変わったり金髪碧眼で膨大な魔力を持っていたり、細マッチョで剣聖のジョブを持っていたりするはずではないのか。あるいはそのことに気付かず家を追放されてタイミングよく覚醒できるはずではないのか。

 考えてみれば召喚された時もおかしかった。

 石造りの部屋とか中世ヨーロッパ風の部屋とか、そんな場所で光る魔法陣から現れるのが当然であるのに、彼が居た場所は見たこともない材質のグレーな壁や床で覆われた無機質な部屋だった。出迎えてくれるのも王女様だったり悪い顔した魔術師や宰相であるはずなのに、実際は作業着のようなジャンパーを着た男性だった。

 おお!とか勇者様!とかの声の代わりに、様々な文字が書かれたカードを並べられ、奇妙に思いつつも慣れ親しんだ文字に思わず反応したら別の担当者が出てきて、事務的に幾つかの質問をされた。困惑しながら答えながらも、辛うじて自分は貴族なんだぞと思わせるために速攻で設定を組み立て返答したら、次に連れて来られたのはこの面談室だ。

 全てが事務的に過ぎる。

 おかしいではないか、働いたことはないけどブラック企業に勤めていて過労死で死んだ後に神様からチート能力を授けられ貴族として転生してきた、という構想を組み立てていたのに全く活かせる場面がない。


「では、次に猶予期間の過ごし方についてご説明します」

 だが、エリカはそんな山田の混乱を気にした風もなく、次々と必要事項を説明し猶予期間中の職業体験の話に移る。ここは最も注意が必要なところで、JPNの召喚者は大抵ここで、「ごねる」「すねる」「だだをこねる」のどれかを発揮するのだ。

「山田さんがこの世界で生きていくためにもお仕事は大事ですが、そうは言ってもどんな仕事があって、どんな仕事が向いているかをいきなり決めることは難しいと思います。そのため、猶予期間中にこちらで各種研修やインターンシップ制度を設けておりますので、体験を通じて最終的に就くお仕事を選んで頂けるようになっています」

 そう言いながらエリカが手元のパネルを操作すると、二人を隔てていたガラス壁にリストが表示される。え、と驚いた山田は思わず半身を引いてしまったが、落ち着いて考えてみれば召喚された部屋を含めどうやったって技術水準は彼のいた日本よりも高い。この程度の技術は当然なのだろう。

「大きく分けて農林水産、加工製造、販売サービス、知的集約の4種類があります」

 ガラス窓に指を当て、各産業リストを拡大しながら説明を続ける。

「もちろん、転職は自由ですので猶予期間直後に勤めた仕事から、生活が安定した後別の仕事に移られる方も多いです。こちらにあるのはあくまでも公的支援終了後に自活するためのものであって、私共から推薦できる職業の一覧となります」

 ここまででもだいぶ希望を失いつつあるが、それでも山田はまだ夢の異世界生活を諦めている訳ではなかった。侯爵家の息子は諦めたが、冒険者になってざまぁされた後に覚醒してS級を目指したり、騎士になって王女様を護衛して惚れられたり、森の奥にひっそり住んで押しかけ弟子になつかれる大魔道士になったりする可能性は残っている。

 だが、

「あの、冒険者はどこにあるんですかね」

 黙って説明を聞いていたから、珍しく聞き分けの良い転移者で助かるなと思っていたエリカの手が止まる。


「はい?」

「ですから、冒険者ですよ」

 いや、聞こえなかった訳ではない。

 やっぱりそう来たか、という落胆から心を立て直すための時間稼ぎで聞き返しただけだ。なぜかJPNの人間は必ず冒険者とかギルドとか言い出すのだから、その単語自体は聞き慣れている。

 ふう、と心中で溜息をついて気持ちを立て直す。

「残念ながら、未踏峰は宗教的理由で入山不可能なデスゴニーニャ山しかありません。また深海については国のプロジェクトとして莫大な予算と最高峰の科学技術を集結して行っていますので参加は不可能です。宇宙も同様ですね。人跡未踏の地は幾つか残っていますが、さすがにそれらを冒険するための資金を公的支援で支出することはできません。どうしても冒険したいと言うことでしたらまずは生活を安定させ、しかる後に実績を積みながらスポンサーを探すことをお勧めします」


 一気に言い放ったエリカに、山田は変な表情をした。

 聞く限り、確かにそれも冒険であろうが自分が言いたいのはそれではない。もっと心踊る、剣や魔法を用いて魔獣を倒して素材を売って……というワクワク世界のことだ。

「ギルドでクエストを受注したり、Sランクの魔獣を倒して素材を売ったりする冒険のことなんですが」

 山田がそう言うと、エリカはすっと表情を消した。

 いや、今までもそう表情豊かであった訳でもないけれど。

「山田さんの仰っているギルドというのは組合のことかと思いますが、冒険者に組合があるのなら鞣し業などの皮革業、食肉などの加工や販売、畜産などにも組合がある筈ですよね?そういった専門家たちの所属する組合があるのに、では一体誰が、どこの馬の骨とも知れない素人に依頼を出すのです?」

 おっといけない、つい言い方が雑になってしまったとエリカは反省する。さすがに今日は朝から4件目だ、同じような対応をこうも立て続けに昼抜きでやっているといい加減疲れてしまう。だが、そこで感情的にならないのがプロと言うもの、しっかりしなければ。

「治安維持は行政の仕事ですし、通商には保険業がありますから隊商護衛など必要ありません。魔獣と仰っていましたが、そのような獣をどのような基準で誰がランク付けなどするのでしょうか。そのための人員や技術研究、登録業務などにも経費や労力は必要ですよね」

「いやだから、それは冒険者ギルドが報酬から手数料取って捻出してるとか、あるいは冒険者が会費を払ってるとか、そんな感じでやってるんじゃないんですか」

 諦めきれずに喰らいつく山田だが、エリカはすっと指をガラスに向け、

「これでもごく一部です。これほど産業が細分化されているのに、ニッチな市場を狙ってそのような組合を作る必要はないと思いますし、作ったとしても市場が狭いだけに手数料も高額になってしまうのでは」

「……じゃ、じゃあ、冒険者って仕事はない、と言うことですか」

「ございません。もちろん、山田さんが冒険者業を起業されると言うのであれば、法に則って事業を行われる分には何ら問題ございませんが」

「そんな、自分でなんて……どうやって仕事取って来いって言うんですか」

「待っているだけでクエストが貼り出され、自分に合うものを選べば良いと想定されているのかも知れませんが、そのクエストは誰かが取ってきたものです。これはどのような仕事でも同じで、営業活動は必須です。待っていれば誰かがくれる、なんて仕事はないですよね」

 エリカの言葉に絶望の色を表情に乗せる山田。

 毎度毎度、可哀想だとは思うし同情もするが、こうして昼も抜いて仕事して稼いだ給料から税金を引かれ、それで運営している支援業務に寄生されても困るのだ。召喚された彼らに罪はないけれど、与えられた場でやれることをやって生きなければならないのは彼らも自分たちも同じなのだから。


 顔色を失って行く山田。

 召喚された直後には天を衝くバベルの塔ほどあった夢や希望は、今やちびた鉛筆くらいになってしまっている。冒険は、王女様は、エルフは、チートはどこへ行ったのか。そう心中で叫びながら、はたと気づく。

 そう、チートだ。魔法でもスキルでも何でも良いが、ステータスはどうなっていてどんなスキルが備わっているのか、それによって身の振り方だって決まるではないか。

「だったら、そう!せめてスキルやアビリティを測定して下さいよ!自分にどんな特技があってどんな能力があるのか、ステータスだって……」

「スキル、技能ですか。それは努力の末に身につけるものであって、誰かがくれるものではありません。アビリティ、能力も個人差はあれど鍛えればそれだけ上がります。その結果があなたの仰るステータスです。つまり、山田さんの今後の努力次第ですね。その努力を行政が支援するご説明を、先程からしております」

 何も言えず口をぱくぱくとさせる山田に、エリカはずばり言い切る。

「今後、あなたがどのようなスキルを身につけ、それをどう発揮してどう認めさせるか、そういったことも本人の努力次第です。資格などは基準になるかも知れませんが、当たり前ですけど『測定』など出来ません」

 今度こそ山田はがっくりと項垂れた。

 つまりあれか。

 鑑定したり身体強化したりデバフしたり転移したり火球出したり雷落としたり、馬車より早く掛けたりクリーンとか言えば風呂要らずだったり欠損部位まで修復したり大荷物をアイテムボックスひとつで済ませたり、そういうことはできないということか。

 HPやMPやSTRやAGRなどが数値で見えたり経験値が限界突破したりパーティ追放されたり際どいところでご都合主義的に覚醒したりということもないのか。

 だったら。

 だったらどうやってこの世界で生きていけば良いのか。

 何を楽しみにこの世界で生きろと言うのか。

 いや。

 まだだ、まだ諦めない。

「天啓の儀とか、ないんですか」

「何でしょうか、それは」

「ほら、成人になると子供たちが必ず受けるやつで、剣聖とか賢者とか聖女とか大商人とか天才鍛冶師とか魔道士とかの天職を神様がくれる……」

 ああ、とエリカは大きく頷いた。ここへ来てようやくの明るい反応に山田の期待も高まるが、

「前にもどなたかが言っていました。確かにそれは便利ですね」

「でしょう?!」

「そんなものがあったら、誰も努力しなくて済みますもんね」

「……え」

「だって、待っていれば天職くれる訳ですよね?ならそれが貰えるまで誰も努力しないのでは。それに貰えたらそれが天職で、天才だとか剣聖だとかなんですから貰った後も努力しませんね」

 エリカの言葉に山田は言葉を失う。

 反論の余地もない。ど正論だ。確かに「天職」が自動的に貰えるのなら誰も努力しないだろう。義務教育すら必要ない。子供は天職が貰えるまで、ただひたすら遊んで待っていれば良いのだ。

「……あの、側室とかって……」

「女性は子供を生む道具ではありませんよ。私達にだって感情はありますし尊厳もあります。そういった観点から宗教的にも認められていません」

「……ですよね」

 すみませんでした、と小さく付け加える。

 もう何でもいいから何かひとつでも自分の想定した異世界であって欲しい、そんな思いでつい口にしてしまったが、これまたエリカの反応が当たり前過ぎるほどに当たり前であった。


 すっかりしょげかえった山田に、いい加減疲労もマックスなエリカは彼から見えない部分でデバイスを操作する。

「去勢 要・不要」欄の「不要」にチェックを入れ、最も重要な選別を終えると説明の続きに入った。






「では、これで私からの説明は終了になります。お疲れさまでした。この後は別の担当が宿舎にご案内します」

「はい、ありがとうございました」

 もはや山田には転移直後の夢や希望はない。どこの世界だろうが、自分の生き方を決めるのは自分であるということがわかったから、もうこの後は正しく夢や希望を抱いて努力するだけだ。

 新たに黒歴史を作ってしまいそうだったのを矯正してくれるのだから、これはこれでこちらの世界の人々の親切心なのだろう。自分たちを養い教育する義務など彼らにはないのだから、正直、放置されても仕方ないところをこうして世話してくれるのだ。感謝こそすれ、憤ることなどない。

 敢えて怒りの矛先を向けるとするなら、召喚玉を放置したまま惰眠を貪る神に対してであろうが、エリカの説明に寄ればこの世界の人々にとってもその怒りは共有されているらしく、既に邪神か悪魔と言った認定がされているらしい。

「今後、生活面でのサポートは別担当になりますが、相談しずらいことがあれば私に言って貰っても構いませんよ、山田くん」

「え?」

 突然フレンドリーになったエリカに、山田は驚いた目を向ける。相変わらずのガラス越しだが、デバイスを操作して一部を開いた彼女は名刺を差し出してきた。


 受け取って目を落とすと、

「平井絵梨佳……平井……え、もしかして三中でC組だった、平井?!」

 驚愕に目を見開き、ガバっと顔を上げてガラスの向こうをまじまじと見つめる。茶色っぽい髪、ぱっちりとした少し眠た気な二重、3才ほど若返らせれば確かに見覚えがある。

「はい。お久しぶりです」

「え、え……ちょ、え、じゃあ平井もこの世界に転移してきた?」

「3年前に。頑張って受験勉強して一高受かったのに、結局ほとんど通えませんでした」

「え、マジか……マジか……ええええ」

「召喚された時、沢山の言語が書かれたカード見せられませんでした?」

「あ、見せられた見せられた。日本語もあったよな」

「あれで反応した言語の担当官が一次ヒアリングしたんですよ。で、日本人だったから担当も私になったんです。あ、もちろん今は私もここの言葉話せますけどね」

「え……じゃあ、もしかして俺、これから外国語も勉強しないと……」

「はい、ダメですね」

「マジかよ……」

 最後の最後で驚愕の事実。

 大学受験まで終えてもう当分勉強はしたくないと思っていたのにこれだ。山田はがっかりしたが、世界が違うのだから言語が異なるのは当然のことではある。

「同郷の誼です、本当なら選別窓口の担当とはこれ以降会うことはないんですが、何かあれば相談に乗りますよ。じゃあ、頑張って下さいね」

 そう言って初めて見せる笑顔を残し、絵梨佳は部屋を去って行った。

 後に残された山田は暫く名刺と、絵梨佳の出ていった扉を交互に眺めて呆然としていたが、

「あれ?これもしかして新しいロマンスの予感……っ!」

 あまり懲りていないようだった。






「お疲れ様です」

 受付窓口に戻ってきたエリカは、山積みになった「処理済」書類の横で突っ伏していた先輩に声を掛けた。

「あー……エリカもお疲れ」

「大丈夫ですか先輩。ていうかさすがの処理能力ですね、狂気の書類量だったのに全部終わったんですか」

 顔を上げた先輩に感心した声を掛けると、

「そりゃね。今日は何が何でもエリカとデートしたかったし」

「なっ!」

 ストレートに言われて思わず赤くなってしまう。

 真面目な人なのでからかうつもりでも冗談でもなく、本気で言っていることがわかるからタチが悪い。特別イケメンって訳でもないし家柄が凄いなんてこともない。ごくごく普通の21才にしか過ぎないのに割とモテるのはこういった素直な人柄故だろう。

「ま、まあ私も楽しみにはしていましたけど……」

「それは嬉しいね。じゃあ残りも頑張って終わらせるとするか」

 うーん、と伸びをするとデバイスに向かう。あれだけやってまだデータ処理をするつもりらしい。

「無理しないで下さいね先輩。あ、そうそう、今担当してきた人、私の中学時代の同級生だったんですよ」

「そうなのか、珍しいなあ。俺は3年やってるのに同じ中学どころか同じ県の人に会ったことすらないな」

「そりゃ先輩は鳥取ですもんね……そもそもの母数がアレですし」

「あ、鳥取バカにしたな」

 本気で言ってる訳ではないことはお互いにわかっている。何しろ3年前にエリカが召喚された時に担当してくれた、その時からの付き合いだ。

 誠実且つ真摯に対応してくれた彼のお陰で、エリカはくさることなくこの世界で頑張る事ができた。その時はこんな感情ではなかったけれども、理路整然と納得できるように話してくれた対応があったからこそ、彼女もまた彼のようになりたいと思った。

 彼は担当した転移者が半年の猶予期間を終えた後、独り立ちする時には必ずお祝いに行き激励している。大半の人はそれっきりになって新しい道に進んでいくのだが、エリカは憧れが高じて進学し、こうして彼と同じ職場で働けるよう努力した。

 いつからそういう感情を持ち始めたのか、今となっては定かではないけれどこうして通じ合ったのだから、3年の努力は無駄ではなかったと思う。


 こきこきと肩を鳴らしながらデバイスに向かう彼に、

「先輩、手伝いますよ。何件か回して下さい」

「ありがとう助かるよ。それにしても、いい加減召喚玉も止まってくれないかなあ」

「ほんとですよね」

 顔を見合わせて苦笑する。

 こんな時に言う台詞はひとつ。この召喚課では決り文句として繁忙期によく使われる言葉だ。


「神様、もう勇者はお腹いっぱいです」

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神様、もう勇者はお腹いっぱいです。 皆川 純 @inu_dog

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