池ポチャ

青水

池ポチャ

 ある日、僕は同僚と上司と三人でゴルフをしにでかけた。

 僕と同僚はゴルフ初心者である。上司は自称上級者であるが、ド下手くそである。下手の横好きというやつだ。


 休日に部下二人をゴルフ場へ連れていく。いい迷惑だ。といっても、僕は別に休日にやりたいことなんて何もない。まあ、金は全部上司の課長が出してくれるというので、それだったらまあいいか、といった感じだ。


 一方、同僚の鈴木は不機嫌さが隠しきれていないというか、じわりとにじみ出ている。休日はナンパ三昧だ、なんて言っていたから、かなり軽薄な男だ。外見もどことなくチャラくて胡散臭い。


 課長は四〇代子持ちの大柄な男だ。性格はそこまで良くはないが、かといって悪いわけでもない。休日に部下を連れてゴルフ場に行かなければ、どちらかというと良い上司になるのではないか。


 ゴルフ場に着くと、さっそくゴルフを始める。今日は天気が良く、日差しが強い。帽子を被っているが、頭がくらくらしてくる。


「佐藤くん、鈴木くん。今日は暑いから、水分補給はこまめに、ねっ」

「はい」


 先ほど課長に買ってもらったスポーツドリンクをがぶがぶ飲む。鈴木は腕を組んでぼんやり立っている。


「あ、そういえば、あそこに池あるでしょ」


 課長の指差した先には、確かに池があった。


「ありますね」

「ウォーターハザードとかいうやつですか?」と鈴木。

「ああ、なんか名前変わったらしいよ」


 課長は答えた。知らなかった。本当だろうか?


「それでね、あそこの池にはちょっとした伝説があってね……」

「伝説?」と僕。

「『金の斧』って話知ってる? イソップ寓話のやつなんだけど」

「あれですよね?」と鈴木。「木こりが泉に斧を落として……女神様だかおっさんだかが『あなたが落としたのは、この金の斧ですか?』ってやつ」

「そうそう。で、正直に『鉄の斧』って答えると、金・銀・鉄の斧がもらえるって話」

「それがどうかしたんですか?」

「あの池にもね、出るらしいんだよ――神様的な存在が」


 ……は?

 つまらないオヤジギャグの類だろうか、と思って課長を見つめてみるが、課長の顔はいたって真剣だった。

 隣の鈴木と顔を見合わせると、二人で苦笑した。


「あ、さては俺が冗談言ってると思ってるな?」


 課長は上機嫌そうににやにやとしている。


「確かに俺は見たことないが、その伝説は本当の話って噂だよ」

「まさか」


 僕は目を眇めて池を見つめる。


「ま、今からやるから、試しに池ポチャしてみればいいよ。俺はやらんがね」


 そう言うと、課長はゴルフクラブを構え、勢いよくスイングした。

 課長の話が気になってはいたが、わざと池ポチャする気にはなれない。ゴルフクラブを持つと、ぶんぶん素振りする。

 暇そうにしていた鈴木が寄ってきて、小声で話しかけてきた。


「なあ、佐藤。課長の話どう思う?」

「『金の斧』?」

「まあ、しょせんは伝説――根も葉もない噂話だから、池ポチャしたって何にもならないと思うけど、なあ……」

「鈴木も気になる?」

「気になるよなあ」


 二人して濁ったどす黒い池を睨みつける。

 一見、魚が住めなさそうな汚い池に見える。この池に何か生物が住んでいるのだろうか……? ボールが池ポチャされるのを、池の底でじっと待つ何者かが――って、そんなわけないか。


「佐藤くん、君の番だよ」

「あ、はい」


 渾身のスイングによって飛んでいったゴルフボールは、強風にあおられ軌道が左へ逸れ、件の池の中へダイブしてしまった。


「あちゃあ」


 僕は様子を見に、池のもとへと向かった。

 近くで見てみると、想像以上の汚さだった。一瞬、これは本当に池なんだろうか、本当は沼なんじゃないか、と思ったほどである。


「おーい! 神様は出たかー?」

「出ませんよ」


 僕は苦笑しつつ、課長に言った。

 が、そのとき――。

 どす黒い池が光り輝いて、底から何者かがすーっと出現した。池の底にいたにしては、体は汚れても濡れてもいない。これは超常的な存在なのか――?


「あなたが落としたのは、この金の玉ですか?」


 おじさんだった。

 白い羽衣のような服を着た、悟りを開いたかのように穏やかな表情をしたおじさんが、僕にそう尋ねてきたのだ。


「え……いえ、金の玉は落としてません」

「では、こちらの銀の玉?」

「いや、その……ただのゴルフボールです」

「ああ、これですか?」


 そう言って、差し出した白いゴルフボールを見て、僕はこくりと頷いた。

 すると、謎のおじさんは満足そうににっこりと笑って、


「正直者のあなたには、この白の玉、銀の玉、そして――おじさんの金の玉をあげよう」

「あ、ありがとうございます……」


 これ、女性相手だったらセクハラになりそうだな……。

 もらった金と銀の玉を見て、僕はびっくりした。ずっしりと重く、汚れなく輝いている。これ、金メッキとかじゃなくて……。


「これ、純金と純銀じゃん!」

「それはおじさんの金の玉と銀の玉だよ!」


 おじさんの銀の玉ってなんだよ……?


「おじさんの金の玉と銀の玉だからね!」


 強調するようにそう言うと、謎のおじさんは池の中にずぶずぶ沈んでいった。

 夢を見たのか、妄想か――いや、僕の手のひらの上には、確かに金の玉と銀の玉がのっている。これは現実だ。だけど、なんというか夢見心地。


「おい、佐藤!」


 やってきた鈴木と課長は驚愕顔をしている。ムンクの叫びの中に並んでいても、不自然ではない表情だった。


「……見た?」

「見たよ、見た見た!」


 鈴木は興奮しているのか鼻息荒く早口だ。


「なあ、こんなかにボール投げ入れれば、金とかもらえるのかな?」

「うーん、どうだろう……?」

「よし、やってみよう!」


 鈴木はゴルフボールを掴んで、ひょいと池の中に投げ入れた。

 三人で池を凝視して待つ。しばらく待つ。

 どす黒い池が光り輝いて、底から謎のおじさんが再び出現した。ボールを投げ入れた鈴木を睨みつけながら、


「ボールをね、わざと池に落とされるとおじさん困るんだよね」

「え? あのー、金とか銀のボールは――」

「これは没収!」


 鈴木の言葉を無視して、おじさんは池の中へと消えてしまった。

 ボールをわざと投げ入れて、金と銀の玉が手に入るのなら、半永久機関ができてしまう。どうやら、謎のおじさんは人の欲望には敏感なようだ。世の中、そんなに甘くないというわけだろう。


 鈴木は悔しそうに歯ぎしりした。表情から推測するに、彼はまだ金の玉と銀の玉を手に入れることを諦めていないようだ。彼はプレイボーイだし、きっと己の欲望に正直な男なのだろう。そして、おそらく欲深い。


「なあ、佐藤」

「なに?」

「『金の斧』の場合は斧で、お前の場合はゴルフボール。それなら、投げ入れるものはなんでもいいんじゃないか?」

「あー、そうかもなぁ」

「試しにいろいろ投げ入れてみよう」


 重要なのは欲望の有無――偶然かわざとかだと思うんだけど、面白そうなので放っておいた。

 鈴木は手持ちの物をぽいぽい次から次へと投げ入れる。


「金、金、金持ちになりてえなあ~」

「あなた、この池はごみ箱じゃないんだから、不法投棄は困るんだよね」


 池の中から現れた謎のおじさんが溜息混じりに言った。


「俺が落としたのは、普通のボールペンです!」

「まあいいや。このボールペンは没収ね!」

「待ってくれ! 俺は正直に答えたじゃないか! 金と銀のボールペンを――」

「さよーならー」


 二人の会話は絶望的にかみ合っていない。

 鈴木は頭を抱えて唸った後、悪だくみでも思いついたのか、口角をVの字に上げてにたあっと笑った。


「……何か思いついたの?」

「ああ」


 鈴木は僕にだけ聞こえるように囁き声で答えた。


「あの謎のおじさん、物をわざと投げ入れると、お前のときみたいに金か銀か聞かないで、問答無用で『没収』するよな。これをうまく利用してやるんだ」

「うまく利用する?」

「そう、完全犯罪だ」


 どうも、話がきな臭くなってきたぞ。


「つまり、消えてほしい人をこの池に叩き込めば、没収され、証拠を一切残さず消すことができるってことだ」

「鈴木、お前まさか――」

「課長!」


 鈴木は僕を無視して、課長のことを呼んだ。

 鈴木は課長のことを嫌っている。こうしてゴルフに連れていかれる以外にも、彼のだらしない私生活について軽く説教されたり、仕事のサボりを注意されたりと、鬱憤が溜まりに溜まりまくっているのだ。


 ここで少し課長について擁護しておくと、彼は比較的甘い人間である。厳しい上司ならば、鈴木はもっと説教されているだろうし、閑職に追いやられていてもおかしくはない。

 しかし、鈴木は課長に対し、感謝など当然していない。恨み骨髄である。

 よって――。


「課長、池に池に……」

「え? 何かある? 金でも浮いてる?」


 池を覗き込む課長に、鈴木は後ろからドロップキックをかました。

 ドボーン!


「ちょ、お前、何やってるんだよっ!?」

「ははははっ! ずっとドロップキックをかましてやりたかったんだよ! せいせいしたぜ!」


 何度目かの謎のおじさん登場。

 謎のおじさんは舌打ちしそうなほど不機嫌な表情で、両脇に金と銀の塊を抱えていた。あの人型の塊は……え、課長?


「あなたが落としたのは、この金の課長ですか? それとも、この銀の課長ですか?」

「いえ、俺が落としたのは普通の課長です」


 喜びのあまり、鈴木はそう答えてしまった。

 答えてから、『しまった!』という表情をする。


「あ、違う違う。俺が落としたのは金の課長で――」

「正直者のあなたには、すべての課長をプレゼントしましょう」

「いや、普通の課長はいらないって――」

「じゃあね!」


 謎のおじさんは池の中へと沈んでいき、芝生の上には金と銀と普通の課長が残される。普通の課長は池に落とされたのでずぶ濡れである。


「鈴木くん……」

「はい……」

「よくも池の中に落としてくれたね」

「いや、あれはわざとじゃなくて偶然――」

「ふんっ!」


 学生時代、ラグビーをやっていた課長のタックルが、鈴木を池へと突き飛ばした。

 そして、池の中から謎のおじさんが現れ――。


「あなたが落としたのは、この金の鈴木ですか? それとも、この銀の鈴木ですか?」


 いや、もういいよ!

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池ポチャ 青水 @Aomizu

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