生活と流れ星

辺理可付加

第1話 生活と流れ星

 ちょっと変わったインターンだ。普通は夏休みとかにがっつり一週間くらい拘束されて無給バイトみたいなことをするのがインターンだと思う。

でも僕が今行っているインターンは全然違った。夏休みが終わった秋頃から冬まで、毎週木曜日の夕方から数時間、数ヶ月間行われるというスタイルのものだった。

しかも内容も「ちょっと働いてみよう」ではなく、クリエーティブ系の会社故か、「クリエーティブっていうのはこうやってやるんだよ」と座学的にノウハウを教えてもらい、宿題として企画やらキャッチコピーやらを作ってくるスタイルのものだった。

なんか大学の講義をインターン先で受けているような感覚だったし、企業側もインターンのタイトルに『塾』と入れているくらいだった。



 その日の『講義』が終わると学生達は仲良く飲みに繰り出すのが常だった。もちろん僕もそれについて行くのだが、一つどうしても困ったことがあった。

僕は下宿して大学に通っているのだけど、その下宿が結構な田舎にあるのだ。大学が田舎にあるんだから仕方ない。

それの何が困るって、駅から下宿が遠いもんだから当然バスのお世話になるのだが、そのバスが二十二時には無くなってしまうことだ。

同じ都道府県にあるものの都会部分と田舎部分で離れている会社と最寄駅の移動時間を勘案すれば、二十二時までに駅に着くにはどうしても長居出来ないのが常なのだ。


「だったら一晩中遊び回って朝帰りしたらいいさ。若いんだから」


と知己の教授は仰ったが、翌日は運悪くハードな実習が控えている僕には易々と選べる選択肢ではなかった。



 そんなわけでインターンの終わりが近づく冬のその日も、僕は学友と飲みに繰り出すも軽く摘んで一杯やったら中座するお決まりのパターンをとった。


「もう時間か」

「残念やね」

「大変だよなぁ」


ポツポツ巻き起こる別れの声に手を振る。


「悪いね。また来週」



 少しのカナッペと梅酒のロック、白い息を流しながら駅までの早歩き。地下鉄に乗る頃にはほろ酔いになってしまった。顔が赤いのは気温のせいばかりではないだろう。

座れないどころか混んでいる密閉空間は、疲労と酔いが足に来た僕を嬲るみたいだ。だんだんぼんやりと感覚がぼやけてきて、視線の先にあるロープウェイの車内広告に書かれたコピーが念仏のように頭蓋骨の内側を回遊する。

金剛山山頂、金剛山山頂、金剛山山頂……



 地下鉄を降りれば下宿、ならどんなによかったか。むしろここからの方が長い。特急に乗って延々と。

最初こそビルや街の明かりが眩しいものの、駅を幾つか通り過ぎる度、桜が夏に向かうように減っていく。スマートフォンを弄っているのに外の景色ばかり目に付くのは疲労で注意散漫になっている証拠だ。

幸いにしてかどうなのか、空いてる車内で座れた僕には外の景色を理解する余裕くらいはあった。でも相変わらず頭は疲労の鉛でずっしりしているわけで。

つまりはノーガードの脳ミソに景色の物悲しさが流れ込んで来るのだ。窓の外が暗くなっていくのに歩調を合わせて、僕の梅酒ロックもデトックスされていく。

普通は酔うと眠くなるものだが、むしろ軽い酔いの勢いが僕の最後の抵抗力だったようだ。

瞼が重い、寝てしまおうか、いやいや寝過ごそうものならもうバスは無いかも知れない、いやしかし……、駄目だ駄目だ、こんな思考をぐるぐる回しているから眠くなるんだ、シャッキリしろ。

何か頭の冴えることを考えるんだ。例えば明日の実習の段取りとか……、これは正直今考えたくない。何か、何か……。

クリエーティブで疲労した脳細胞が考えることを拒否している内に降りる駅に着いた。窓から見える街の明かりは、冬の桜のように殆ど眠っている。



 バスの料金二百十円。機械に放り込んでタラップを降りると運転手の


「ありがとうございましたーー」


が背中に届く。学生の若さで、学生のレベルのタスクでフラフラの僕には、中年の体力で、仕事という重労働を遅くまで努める彼の身がとても悲壮に見えた。どうも明かりの少ない夜は感傷的になる。



 二階建ての下宿。急な階段を登って二階へ。こいつには越してくる時の荷物の搬入時にも苦労させられた。ここを引き払う時に家具一式背負って降りなければならないと思うと憂鬱になる。薄暗い電灯の点いた廊下の一番奥が僕の部屋だ。



 下宿に帰ってまず最初にやることは、この寒い冬の夜中に窓を開けること。正直とても嫌なのだが、


「空気が籠ってると良くないから寒くても部屋の換気はしなさい」


と母に口酸っぱく言われて育った僕には避けられない習慣である。二階なんだし窓を開けて大学に行ったって、とも思うがそれも習慣が許さない。

何故室内で外気温に晒されなければいけないのか……。窓を開けてからリュックを下ろすと、床に腰を落ち着ける。もう疲れて疲れて、とにかく座りたい。なんならこのまま眠ってしまいたいが、まだ風呂に入っていないし第一窓を閉めないと風邪を引く。

でも疲れた。眠い。せめて横になりたい。しかし横になれば寝てしまう。

寝ないためには何かしている必要がある。漫画でも読んでいようかと思ったところで、


「腹、減ったな……」


そういえば今夜はカナッペしか口にしていない。普段ならその後コンビニでサンドイッチでも買って入れておくのだが、今日は疲労で感覚がぼんやりしているせいかこうやって下宿で落ち着くまで空腹に気付けなかった。

何か食べたい。が、今から料理をする気力は無い。かといってコンビニに出掛けるのも億劫が過ぎる。

となれば選択肢は一つしかない。食器棚の下、レトルトやインスタントを詰め込んだ部分を開く。


「カップうどん、か……」


真っ先に手に付いたのは『赤いきつね』だった。

なんでこれがあるんだろう。正直言って僕は蕎麦派、『緑のたぬき』の方が好きで自分で『赤いきつね』は買わない。

あぁ、そうか。これはこの前実家から送られてきたやつだ。母が『赤いきつね』派で、僕が実家にいた頃も安売りしているとよく買い込んでいた。多分これも買い込んだのを割譲してきたんだろう。

そんな、僕の好みに関係無く送られてきた『赤いきつね』。手軽にお腹を満たせればいいか。僕はお湯を沸かした。



 お湯を注いでから三分経った『赤いきつね』に七味唐辛子を振り掛ける。換気で寒い室内、冷え切った顔の表面に白い湯気が当たるのがなんとも心地良かった。お手軽なインスタントであること以上に人間の文明を感じた。

それこそ親にしっかり育てられた習慣で夜食のカップ麺など食べたことが無い僕は、せっかくの初体験だからこの状況を少し愉快にしてやろうと思った。

僕はベランダに出た。どうせ室内もベランダも気温が変わらないのだから、いっそ星でも見ながらうどんを啜ることにしたのだ。



 ベランダに出ると、夜の暗闇が僕を出迎える。見える明かりはガソリンスタンドと時々走る車のライトだけだ。立ち上る湯気の白さがよりくっきりと見える。それはゆらゆらと僕の顔の高さまで来ると、吐く息の白さと混ざって区別が付かなくなる。

当初の目的通り空を見上げると、綺麗な星空とそれを横切る飛行機のライトが見える。標高が高い場所ではないので満天とまではいかないが、冬の大三角が鮮鋭に見えるほど、少なくとも僕の故郷よりは美しい星空をしている。


ベランダに出て良かったな、そんな万感の思いを込めて僕は熱いうどんをたぐった。

寒い空気に晒されて、星を見ながらうどんを啜る。それはまるで、今はめっきり見なくなった移動式屋台のうどん屋。父の持っていた漫画に出て来た在りし日の光景。

そういったものに対する憧れやノスタルジーが、麺と一緒に喉を通り熱や出汁の風味と共に身体に染み渡る。湯気越しに見るオリオンは、なんとも言えない情感がたっぷりだった。柔らかい麺や甘味がじゅっと滲み出る油揚げも、なんだか優しく包み込んでくれるようで疲労や空腹、寒さの中にあった僕の心を穏やかにしてくれる。

身体の芯から温まる、とよく言うけど、それよりも深い場所から温まるような気がした。



 ずっと上を見上げていると首が疲れるので視線を下ろすと、またガソリンスタンドや車のライトが目に付いた。それ以外目に付くものも無いのだけれど。

さっきまで星空を見ていたからか、暗い街の中で一際明るい光の塊となっているガソリンスタンドは、まるで広がる宇宙に鎮座する惑星のように見えた。

ならば差し詰めシューッと走っていく車のライトは流れ星と言ったところだろうか。

今から家に帰るところかも知れない。恋人を家に送ってあげているところかも知れない。自分や家族、その仕事の成果を受ける人々の暮らしのために働いているところかも知れない。

そこになんらか誰かの生活と思いを背負った、地上を走る流れ星。僕は願い事を唱えたりはしなかったが、流れていくその光をずっと眺めていた。

 そして『赤いきつね』が空になる頃、僕はこれから風呂に入って寝るだけだというのにすっかり元気になってしまっていた。

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生活と流れ星 辺理可付加 @chitose1129

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