このときふたりは結婚の約束をした。そろそろどうですか? と康生が言って、真帆が頷いた。彼女には思い出の教会があり、できればそこで結婚式を挙げたかった。

「思い出?」と彼が訊いた。

「子供の頃、日曜学校に通っていたんです」

 彼女は言った。

「八歳でこの町に引っ越してきて、それきりになってしまったんだけど、優しい牧師さんだった」

「そう?」

「ええ。すごく親切にしていただいて。献金の箱があるんだけど、わたしはいつもおもちゃの子供銀行のお金をそこに入れていたんです。それでも、牧師さんは『どうもありがとう』って言ってくれてたの」

 康生がくすりと笑い、その振動が真帆にも伝わった。

「わかりました。では、そう遠くないうちに、その教会で」

「ほんと?」

「はい」

 康生が笑みを浮かべながら頷いた。

 胸がいっぱいになった真帆は、彼に強くしがみついた。

「嬉しい」

 そして「愛してるわ、康生さん」と勢いで口にしてしまった。

「はい」と康生は言った。

「ありがとう」


 それは彼女が期待していた言葉ではなかった。


「それで?」と彼女は訊いてみた。

「はい?」

「いえ――なんでもありません」

 真帆は急に恥ずかしくなった。康生の胸に額を押し付け顔を隠す。

「はい?」ともう一度康生が訊ねた。


 真帆は黙ったまま彼の胸でかぶりを振った。

 いつか、と彼女は思った。そのうち。それまではお預け。


 けれど、そのチャンスが訪れることは二度となかった。

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