第10話


 まず、エファアシーン・ジウラという存在があった。


 そしてエファアシーン・ジウラの存在する世界があった。


 そこには、地球人類の住む次元に名がついていないのと同様、名前がなかった。


 だが、そこには大地があった。


 エファアシーン・ジウラは、無限の愛と慈しみをもって、その地に生命を生み出した。


 それは獣であり、植物であり、ヒト――あるいはそれに限りなく近い生物だった。


 エファアシーン・ジウラの温かな光に照らされ、花々は咲き乱れ、果実はたわわに実る。


 獣たちは野を駆け、人々は踊り、歌い、全ての存在が生命を謳歌する。


 清浄なる空気と水に満たされたそこは、間違いなく楽園と呼べる場所だった。


 しかし楽園の外、世界の裏側には永劫の闇が広がっていた。


 そして、エファアシーン・ジウラと対になる存在がいた。



「それが、闇の神――邪神ウィーザンゲル・アーリです」


 

 ウィーザンゲル・アーリは混沌を好み、無限の強欲さと残忍さを併せ持っていた。


 永劫の闇だけでは飽き足らず、『隣神』の領域に目をつけたのだ。


 すなわち、エファアシーン・ジウラの創り出した楽園に。


 邪神の眷属が世界の淵から溢れ、人々は為す術もなく命を散らした。


 人々は、エファアシーン・ジウラに願った。邪神の眷属に対抗する力を。


 エファアシーン・ジウラは、人々に応えた。そして神の力を分け与えた。


 かくして、永劫の戦いが幕を開けたのだ。


 闇の神、邪神ウィーザンゲル・アーリの眷属と、


 光の神、善神エファアシーン・ジウラに愛された者たちの戦いが――




「――私は、その世界の神官の一人であり、邪神の眷属との戦いに身を捧げていました」


 机の上で手を組み、光野は滔々とうとうと語る。


「……そして、人生色々とありましたが、幸いなことに寿命を迎えました」


「光野さん、一気に端折りすぎじゃない?」


「長くなりますので。それで、家族に看取られながら、私は息を引き取った……のですが」


 そこで初めて、光野は表情を曇らせた。自身もいまいち要領を得ない、と言わんばかりに。


「……ですが、魂が天に昇っていくさなかで、私は神の声を聞いたのです。それはおそらく、このような内容でした」


『世界を救って欲しい――』


「そのとき、私は神意を測りかねました。私などは一介の信徒にすぎません。それが、世界を救うなどと――しかしそれ以上、神の声を聞く暇もなく、気がつけばこの世界に、つまり日本に生まれ変わっていたのです。ただひとりの赤子として……」


 新しい肉体と魂とのすり合わせがなかなかうまく行かず、はっきりした自我と記憶を取り戻したのは、五歳をすぎてからだったという。


「その頃にはもう、私には両親がいませんでした。二人とも不慮の事故で亡くなり、引き取る親族もおらず、私は施設に預けられていたのです」


 遠い目をしながら、光野はぽつぽつと話していた。これまで、常に穏やかな笑みを浮かべていた光野が、初めて素の自分を晒しているようで、小牧はなんとなく、光野も一人の人間なのだなぁ、などと思った。


「正直なところ、私は不安でした。この世界では、エファアシーン・ジウラの恩恵が皆無に等しく、私の祈りをもってしても、神の声すら聞こえなかったからです。今際いまわきわに聞いた神の声は憶えていましたが、ひょっとすると私は『世界の外』に追放されてしまったのではないかと、怯えてさえいました」


 そこまで語り、光野は苦笑する。


「ですが、じきにそれが誤りであったことがわかりました。祈りを捧げるうちに、かすかに声が聞こえ始め、エファアシーン・ジウラの恩恵にも再び与れるようになったからです」


 そうして光野は、なぜ自分がこの世界に生まれ変わることになったのか、エファアシーン・ジウラの神意を再び考えるようになった。


「そして、この世界にエファアシーン・ジウラの恩恵を広めることこそが重要な使命なのだ、という結論に至り、まずは人々の信用を得るため、社会的な成功を収めようと、勉学やスポーツに打ち込み始めたのです」


「なんか一気に俗っぽくなった」


「いやいや、小牧さん、大切なことですよ。この世界では新参の宗教を立ち上げようというのですから」


 光野が驚いたのは、地球の宗教の多様さだ。様々な神、宗派が存在し、皆それぞれの神を信仰している。光の神エファアシーン・ジウラと、闇の神ウィーザンゲル・アーリの二柱しか存在しない世界から来た光野にとって、それは新鮮な経験だったのだ。


「他の宗教は滅ぼさなきゃ! とか思わなかったの?」


「いえ……各々がそれぞれ好きな神を信仰すれば良いと、私は思います。そもそも、無理強いされた祈りを捧げられても、エファアシーン・ジウラはお喜びにならないでしょうし……」


 小牧の問いに、光野は少し困惑しながら答えた。


「ともあれ、私は小・中学校と無難にすごしました。エファアシーン・ジウラには絶えず祈りを捧げておりましたので、その頃にはささやかながら祈りが届くようになっていました。が、それでもみだりに奇跡をもたらせば、既存の宗教との摩擦は必至。私は大人になるまで、積極的な活動は控えようと思っていたのです」


 そしてそのうち肉体を強化できるようになった光野だが、スポーツで活躍するのは他の選手に対してフェアではないと考え、勉学一本に絞っていったそうだ。


「月日はさらに流れ、大学受験を控えていた晩秋に――あとは、皆様もご存知の通りです」


 光野の言葉に、皆の表情も険しくなる。


 もうそろそろ一年近くになる――最初の『不死者』が現れてから。


「私はあのとき、ようやく悟ったのです。エファアシーン・ジウラの神意を」


 世界を救って欲しい、という、その言葉の意味を。


「かの邪神の手から、この世界を救わねばならない、と。そう確信したのです」


 光野の言葉が、皆の脳に染み渡っていき――その意味を理解したとき、全員、ゾッと肌が粟立つのを感じた。


「……ま、待って頂きたい」


 佐山が、呼吸を乱しながら尋ねる。


「つまり……不死者たちが現れた原因というのは……!」


 ――ありとあらゆる科学的なアプローチが、失敗したという。


 不死者がなぜ発生するのか、その原因は、ついに判明しなかった――


「ええ、そうです」


 光野の表情も、かつてなく険しい。



「あれは間違いなく、邪神ウィーザンゲル・アーリの呪いです」

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