第9話


「あらまあ~~~!」


 虹色の光を浴びながら、目を見開いて驚きの声を上げるウメ婆さん。やがてその表情が恍惚としたものに変わっていく。まるで極楽の温泉につかっているかのようだ。


「…………」


 佐山と一ノ瀬と鬼塚の三人は、ただただ目の前の光景に圧倒されていた。小牧だけが、呑気にテーブルに肘をついて、


「わあ、やっぱりすごくきれい……」


 などと、うっとりしていた。


「う、ぐうぅッ!」


 が、そのとき異変が起こる。ウメ婆さんが突然、口を押さえてもがき始めたのだ。


「ぐぅ、ぶふぁッ!」


 むせるようにして、総入れ歯を再び吐き出すウメ婆さん。


「ウメさん?!」


「お婆ちゃん!? あんた、やめなさい! お婆ちゃんに何をしたのッ!」


 佐山がウメ婆さんに駆け寄る。鬼塚も慌てて立ち上がり、二人を背中に庇うようにして光野との間に割って入った。


「……大丈夫じゃよ、佳代さん。心配せんでも」


 が、他でもないウメ婆さん本人が、すぐにその背中に声をかけた。


「でもお婆ちゃん、さっき苦しそうに……って、え?」


 床に転がったままの総入れ歯に目を留め、何かがおかしいことに気づく鬼塚。


「う、ウメさん……歯が……!!」


 佐山が愕然としていた。


「いやあ~~~びっくりしたねえ。口の中がムズムズしたと思ったら、ほら、いきなり生えてくるんだもの!」


 ウメ婆さんがニカッと笑う。


 なんとその口には――真っ白な歯が生え揃っていた。


「ご不便されているようでしたので、僭越ながらそちらも復活させていただきました」


 バールのようなものを下ろしてにっこりと微笑む光野。


「はああ~~これは本当にたまげたねえ。エファ……エファ……しん、路地裏ろじうら、とかいう名前だったっけねえ?」


「エファアシーン・ジウラですね」


「そうそう、それそれ。あんたのところの神様はすごいねえ。ありがたやありがたや……」


 手を合わせ、光野を拝み始めるウメ婆さんだったが、光野がそれを制した。


「私などは、一介の信徒にすぎません。私ではなく、どうかエファアシーン・ジウラに感謝の祈りを捧げてください。きっと、お喜びになるはずです」


「なるほどねえ。ありがたやありがたや……」


 窓の外へ手を合わせて拝むウメ婆さん。光野は微笑ましげにその後ろ姿を見つめてから、他三人の方へと視線を転じた。


「さて、いかがでしょうか。エファアシーン・ジウラの奇跡をご覧に入れましたが」


「大変よくわかりました。疑るような真似をして申し訳ありません」


 姿勢を正し、敬語で佐山が頭を下げる。鬼塚は無言で、茫然自失していた。


「マジでやべえ……」


 一ノ瀬が頭をかきながら呟いたが、おそらくそれが三人の総意だろう。


「ウメばーちゃん良かったね! あとでいっしょにお煎餅食べようよ!」


 そんな中、小牧だけが無邪気にはしゃいでいた。




「最後に一つだけ、教えてちょうだい」


 我に返ってから、鬼塚が真剣な表情で問うた。


「私に答えられることであれば、喜んで」


「ありがと。そうね……あなたがいう、エファなんちゃらが実在することは――この際、信じましょう。その『神様』が、色んな奇跡を起こしてくれるってことも」


「ええ。祈りを捧げれば、エファアシーン・ジウラは応えてくださいます」


 胸に握り拳を当て、胸の太陽の紋章をなぞるようにして手を動かす光野。あとで聞いたが、それがエファアシーン・ジウラへの祈りの作法らしい。


「そう。優しい神様ってわけ」


「太陽のように温かく、慈悲深い御方です」


「……なら、」


 ぎりっ、と歯を食いしばった鬼塚が、光野を睨みつける。その目には――明確な怒りの感情が滲んでいた。


「そんなに、お優しい神様なら……なんで、今まで、わたしたちを助けてくれなかったの」


 しん、と部屋が静まり返ったようだった。


「今までに何百万、何千万という人が死んだわ。誰もが奇跡を願いながら、叶わなかった。苦しみ、嘆き悲しみながら死んでいった……なぜなの? なぜ、そうやって祈ってきた人々を、その慈悲深い神様とやらは救わなかったの?」


「その人々の祈りが『エファアシーン・ジウラ』に向けられたものではなかったからです」


 呪詛を吐くような鬼塚に対し、光野は臆することなく明快に答えた。


「……なにそれ。信者しか救わないってこと!? 慈悲深さとやらが聞いて呆れるわね!」


「違います。『信者しか救えない』のです」


 指を立てて、静かに訂正する光野。


「エファアシーン・ジウラは、祈りを捧げた者に応えます――その祈りが届きさえすれば。裏を返せば、祈りが届かなければ、たとえエファアシーン・ジウラがそれを願ったとしても、手を差し伸べることはかなわないのです」


 ゆったりと椅子に座り直しながら、光野は言葉を続ける。


「確かに、エファアシーン・ジウラは、我々とは異なる次元の、大いなる力を持つ存在です。しかし決して、万能でも全知全能でもありません。神すら背くことのできない、『世界の理』とでも呼ぶべきものが存在し、『祈りを捧げた者にしか応えられない』という原理は、そのうちの一つです」


 深い同情を示しながらも、まっすぐに鬼塚の目を見つめて、説く。


「今までにこの世界で、数えきれない人々が祈りながらも、願い叶わず、無念のうちに亡くなったことは疑いません。しかしどんなに真摯な祈りでも、それが『エファアシーン・ジウラ』に向けられたものでなければ、エファアシーン・ジウラには干渉が許されないのです」


「そんな……。で、でも、それなら! それなら、あなたは!?」


 机から身を乗り出して、鬼塚はなおも食い下がる。


「それならばなぜ、あなただけがその恩恵に与っているの!? あなたはどうやって、その神の名を知ったというの!?」


「答えは単純です。生まれる前から、知っていました」


 なに? とその場の全員が光野を見る。



「――私には、前世の記憶があります」



 光野の口から語られたのは、壮大な創世の物語だった。

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