第7話 もちろんお口に合います。ですから

 アレクシス様が私の部屋から退室すると入れ替わりに入室したのは、侍女長のグレースさんと私付きとなる侍女ライカさんだ。

 侍女長はさすがに貫禄があって少々気圧されたが、ライカさんは年齢がごく近く、親しみやすい笑顔で挨拶してくれてほっとした。


「侍従長まで話を通す程でもないこと、言いづらいことなどはわたくし共にお申しつけいただければと思います」


 侍女長という役職にあって接する態度を弁えておられるだけで、私のことを考えてくれているお方のようだ。


「はい! 圧が強くて近寄りがたい侍女長まで話を通す程でもないこと、言いづらいことなどはわたくしライカにお申しつけいただければと思います!」

「……ライカ」


 じろりと睨めつける侍女長に対しても臆することなく、冗談ですとぴっと赤い舌を出して肩をすくめているライカさんはなかなか度胸の座った人物と見た。

 私に付いてくれる人がライカさんで良かった。


「ライカさん。ご助言、誠にありがとうございます。そういたします」

「奥様まで」


 一瞬眉をひそめたが、ライカさんと顔を見合わせて笑うと侍女長はやれやれと苦笑いを見せた。


 こんな方々が私の側に付いてくれるならきっと大丈夫。ここできっと上手くやっていける。

 私はそう思った。



 ――のは早計でした。


 室内着に着替えを終えると、死神卿との最初の食事が待っていたからだ。

 ご機嫌斜めでいらっしゃるのか、ズモモモと背後から目に見えぬはずの暗黒の靄を出して待機している姿を拝見してしまった。

 長い道のりで疲れてお腹は食事を要求しているのにもかかわらず、口の方は拒否している。心と体の均衡が崩れている今、回れ右してお部屋に直帰したいところだ。

 食事を部屋で取ることはできないだろうか。……うん。できないだろう。頑張るんだ私。


「お、お待たせいたしました」

「ああ」


 自分に発破をかけてアレクシス様に声をかけると、彼は立ち上がって私を迎えてくれるが、その表情は硬い。

 何かの失態を犯して最後の晩餐になるかもしれないから、今晩は思う存分しっかりと頂くことにしよう……。

 私はそう心に決めながら、引いてもらった椅子に腰を掛けた。


「今日はその。ご苦労だった」

「は、はい。アレクシス様もお疲れ様でございました」


 料理が運ばれて来るまで沈黙が続くかと思われたが、アレクシス様が口火を切ってくれた。どうにも事務的な言葉ではあるものの、沈黙ほど怖い空間はないのでとてもありがたく思う。


 ……あ、違う。

 そういえば口を開いても怖いものは怖いんだった。


 それでも今のアレクシス様からは不器用ながらも気遣いが伝わってくるので、必要以上の気を張ることもない。私も頑張って会話を続けることにした。


「サザランスは国境付近には山々がありますが、海にも面している町なのですよね」


 この地に降り立った時、木々の香りと共に潮の香りがしたような気がしたのだ。


「ああ。だから内陸とは採れる食材も、獲れる海産物の新鮮さも違う」

「そうなのですね。お料理、とても楽しみです」


 なかなかいい感じに会話が続いている中、美味しそうなお料理が次々に運ばれてきてテーブルに並べられた。

 実家ではお料理は順番に運ばれてくるので驚いたが、国防を担う辺境伯はいつ何時呼び出しがあるか分からないから、一度に出てくるのかもしれない。


「食事作法が内陸部と違うかもしれないが、慣れてくれ」


 驚いている私を見てのことだろう。アレクシス様はそう言った。


「え? あ、はい。もちろんでございます。お気遣いありがとうございます」


 私としても内心、ちまちま出てくる料理形式には少し辟易していたのだ。これくらい豪快に出てくる方が彩り豊かで見目にも楽しませてくれ、わくわくする。


 アレクシス様は天の恵みと命、食卓まで携わってくれた人々への感謝を口にする。それがパストゥール家での食事前の挨拶のようだ。

 死神卿とは思えないほど、人への感謝と命に対する真摯な言葉に内心驚きつつも私も彼に倣った。


 そしてついに食事が開始される。

 料理は一度に出てくるものの、作法的にはやはり前菜から行くべきだろうかとアレクシス様の様子を伺っていると、前菜をまだ残したままメイン料理を食べている。


 私も前菜に軽く手をつけた後、冷えない内にとメイン料理へと手を伸ばす。

 何のお魚の煮付け料理だろうか。自分の味覚に合うだろうか。おそるおそる口に運ぶと。


「こっ」


 これは何と――美味っ!

 美味しさのあまり震える手を止めて目を見張った。するとアレクシス様は目ざとく気づいて声低く尋ねてくる。


「口に合わないか? もしかしたら内陸とは味付けが違うかもしれないな。あまりにも慣れないようだったら次回から変えるが」


 ――なっ。りょ、料理人を斬首クビですって!?

 私は勢いよく顔を上げる。


「いいえ、いいえ! とても、とても美味しいです! 美味しくて感動しております!」


 やっぱり絶対的な生殺与奪権に手にしている恐ろしい人だった……。


「そうか?」

「ええ、ええ! むしろわたくしの方が口を合わせに参りますから、どうか料理人の方をクビ斬首にしないでくださいませ」

「……斬首? あ、ああ。分かった」


 内陸部はなかなか過激なんだなとアレクシス様が呟いたことは、あまりにも小さな声だったので私の耳に届かなかった。

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