第5話 三戸野

人数が百を超えた頃、明智光秀様の寄騎となり、斉藤利三様に配属された。

天正10年、本能寺の変につづく山崎の合戦では斉藤利宗様に従った。

味方総崩れの中、利宗さまの「保月城に戻る。」に従い数名が道案内を勤めた。


北に向かい山陰道に入り、亀岡を経て京丹波を目指した。

敵方は勝竜寺城の方へ向かったようで後を追ってくる兵は無い。

鎧甲を脱ぎ、身軽になって先を急いだ。


船井郡三戸野に我らが知古、先達の修験道場がある。ここに助けを求めた。

先達曰く私は僧だ、殺生は好まない。来る者拒まず。それに明智様は良いご領主であった。

快く奥まった別棟に案内してくれた。

翌日、先達どのから「明智様ご落命。落ち武者狩りが始まったようです。下手に動かない方が良い。」と、知らされた。

ほどなく修験者の装束に着替えた方々が、保月城と丹後宮津城に向け出立された。

利宗様と怪我人がここに残った。我らはお供の方々が戻り次第、森口に帰る事になった。


お使者の方々が空を飛ぶような速さで戻って来られた。

「下の姫、福様は稲葉様ご養女に、幼い和子様は隠しようもないので母君と残られた。利宗様はこのまま隠れていて下さい。」とのことで護衛の者達が送られてきた。


細川様からのご使者は、思いもよらぬ事を伝えた。

修験道場で奥方様を預かって欲しい。

このまま宮津城にいては、謀反人の子、処刑せよと言われたら断れない。

幸いここは明智殿の領地、離縁した故、話があるなら明智にどうぞ・・・で済む。

警護は細川で行う。修験者の装束が整い次第、兵をこちらに送る。

利宗様については細川で預かる。須川にある陣屋で五十名は匿える。足りなければ増築すれば良い。

この話、先達殿も断れまい。我らも早々に帰る事にした。

京での動き等、わかれば知らせて欲しいとの事であった。


山のように草鞋を積んだ船が姫路に向かったと聞いて筒井様は兵を出さなかった。

元服されたばかり、初陣の殿を山崎に送らなくて正解だった。

「皆無事に帰れただろうか。」

「無事に決まっている。足が速くて泳ぎの達者な者が此度は選ばれた。船も隠しておいたから・・・」

「先日は人目を避けて動いていたのに今日は堂々と街道を歩ける。修験者とは便利だな。

京に寄って行くのか。」

「いや、京の事は京の者が知らせているだろう。我らは真っ直ぐ帰ろう。」


鎧甲を脱げば淀川の船頭、芦原を抜けほぼ全員が森口に帰り着いた。

利宗様を助けた事で、思いもよらぬ福が舞い込んだ。二年後、寄騎ではなく家臣として細川様に仕官が叶った。

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