第24話「怨敵との邂逅」

 渦巻く紅蓮が黒煙を吹き上げている。

 黒煙によって生じた漆黒の曇天が廃墟と化した帝都を見下ろしていた。

 鉛のように重くよどんだ絶望が立ち込める残骸の中をゆらゆらと進む灰に塗れた少女が一人。

 灰と煤で汚れた洋服に身を包んでおり、生地の破れた部分から見える皮膚は焼けただれ、炭化し、火の粉が爆ぜている。


 死と破滅が充満した世界を散策する少女を阻むように、神楽幸と藤堂逸気が立ちふさがった。

 村雨を手にする藤堂とは対照的に、幸は無手である。

 燐寸マッチ売りの少女は、火種を必要とする異能だが、周囲一帯が煉獄と化した世界においては無敵と言っても過言ではない。

 幸の人生は、この文魔の少女によって壊された。これ以上何も失うわけにはいかない。だとしても復讐心に囚われるな。和馬のように殺すことに固執してはならない。目的はあくまで文魔の封印だ。


「幸さん、作戦通りいくよ。いいね?」

「はい」


 文魔の少女は、幸と藤堂を睨みつけた。その双眸に瞳はなく、焼けただれ、溶けた肉の筋がぶら下がっている。

 幸が右手を掲げると、周辺の炎が竜巻のようにうねりながら文魔の頭上に寄り集まった。

 赫灼かくしゃくが一つの巨大な塊と化した瞬間、幸が右手を振り下ろすと、劫火の鉄槌が文魔の少女を打ち据える。

 文魔の少女は、ひらりと右手を振るい、小蝿でも相手にするかのように炎の槌を打ち払った。


 鉄をも溶かす高温を意にも介していない。

 文魔の全身は、灰に塗れている。灰は、燃え尽きたもの。故にこれ以上は燃やせないのか?

 幸の力では歯が立たたない相手。だがこれは想定内である。元より燐寸マッチ売りの少女の直撃をもってしても二度も殺し損ねた相手。炎に強い耐性を持つのは想像に容易い。


 幸の攻撃の意図は、文魔の少女の意識を一瞬逸らすこと。そして十二分に、その役目を果たしていた。

 本命は幸の炎ではない。村雨から迸る露だ。幸の炎に気を取られていた一瞬の間に、文魔の少女を取り囲むように無数の露が揺蕩たゆたっている。


「静まれ!」


 藤堂の一声が波紋のように空間へ広がると、突如文魔の少女は脱力し、がっくりと項垂れた。

 南総里無八犬伝の村雨は、魔を払うだけでなく炎を鎮める作用も併せ持つ。その顕現たる異能である藤堂の村雨は、文魔の燃え盛る激情を鎮めて微睡へと誘い、その動きを抑制する効果があった。

 力ずくで勝てない強力な文魔なら絡め手でいなせばいい。

 柔よく剛を制す。

 藤堂の授けた戦略は、見事に文魔を絡め取ることに成功した。


「幸さん! やつを顕現けんげんさせてくれ! その瞬間、俺が封印する!」


 藤堂は村雨を右手で持ち直すと、左手で懐から封印用の白紙の本を取り出した。


「はい! 顕現せよ!」


 それは有名な物語。灰かぶりと呼ばれる少女は、家庭教師にそそのかされて折り合いの悪い継母の首を折って殺してしまう。

 家庭教師は、灰かぶりの父親と結婚して新しい継母になった途端、彼女の実の娘である二人の義姉と一緒に灰かぶりを虐げ、奴隷同然の扱いをした。


 ある日灰かぶりは、白い鳩の助けにより、綺麗なドレスと金の靴を手に入れて舞踏会へ赴き、王子に見初められる。

 王子は、灰かぶりが何処の家の娘なのか知りたがったが、灰かぶりは金の靴だけ残して王子の前から姿を消してしまう。


 灰かぶりが残した金の靴を手掛かりに彼女を探す王子。そこで灰かぶりの義姉二人が名乗りを上げた。二人は足の指や踵を切り取って金の靴を履こうとするがうまくいかない。

 その後王子は、二人に灰かぶりという義理の妹がいることを知り、灰かぶりにも靴を履かせる。金の靴は灰かぶりの小さな足にぴったりとはまったのだ。


 灰かぶりは、王子と結婚し、幸せを手にする。そんな灰かぶりに義姉二人は媚びを売って取り入ろうとするが、鳩に目玉を突かれて盲目になってしまうところで物語は幕を閉じる。

 その物語と主人公の名前は――。


「灰かぶり姫……シンデレラ!」

 

 幸の声を合図に藤堂が間合いを詰めようとした直後、幸は気付いた。


「そ、そんな! 文魔に、変化がありません!?」


 強制的に顕現させられた文魔は、存在が不安定になるばかりでなく、重版体が初版体に集束される。けれどその様子は全くない。

 重版体が存在しない?

 いや、十二年間存在し続けたなら重版体も存在しているはずだ。

 それでは、この文魔が初版体ではないのか?

 藤堂も異変に気付いたのだろう。文魔の懐に踏み込む足が躊躇した刹那、藤堂の背中に五本の軌跡が刻み込まれ、鮮血が躍り出した。


「ぐあっ!?」

「藤堂さん!?」


 藤堂の背後にシンデレラがいる。しかしそれは今まで幸と相対していたシンデレラではない。この空間にシンデレラは今二人存在している。


「ど、どうしてですか!? なんで!?」


 困惑しそうになりながらも幸はやるべきことを思い出す。

 二体の文魔を退け、藤堂を助けなくてはならない。


「ま、燐寸マッチ売りの少女!」


 幸の咆哮を合図に、爆炎が螺旋を描いて二人のシンデレラを弾き飛ばし、すかさず幸は藤堂の元へ走った。


「さ、幸さん……」


 藤堂は、支えを失ったように倒れ伏し、手にしていた村雨と白紙の本が地面に落ちる。村雨は刀の形状を失い、水となって焼かれた地面に吸い込まれた。


「藤堂さん!」


 藤堂の背中に刻まれた爪痕は深い。肉を断たれたばかりか内臓まで達していてもおかしくない。

 両手をあてがい止血するも、止めどなくあふれる血は、あと数分もこのままにしていたら致死量の出血となるだろう。


「藤堂さん! しっかり!」


 幸の声に藤堂は反応しない。呼吸音は聞こえている。掌に拍動も感じる。しかし急速に命の灯火が弱々しくなるのが分かった。


「だけどなんで!? どうして顕現しないんですか!?」


 重版体はやはりいた。しかし集束しないのなら藤堂が攻撃を仕掛けた個体が重版体で藤堂を攻撃したのが初版体か?

 それとも幸が文魔の正体だと確信していた物語が間違っていたのか?


「いえ、それはありえない……ありえないのに何で!?」


 灰に塗れた姿とみすぼらしい洋服を着た文魔の少女。幸の母親と継母の首を折り、義姉の足が削ぎ落された手口。確かにシンデレラのはずだ。

 グリム童話は版を経るごとに、残酷な物語や描写が削除される場合がある。現在の版に継母の首を折る描写はないものの、今回の文魔は改訂によってその描写が削除される以前の灰かぶり姫から発生したに違いない。


「シンデレラで間違いはずなのに……どうして顕現しないんですか!?」


 母親の首を折って殺してしまう描写。古いシンデレラには確かに存在していたはずだ。

 幼い頃の記録でおぼろげだが、雪や光子に読んでもらった覚えがある。これがシンデレラのもっとも古い版なのだと、確かに雪はそう言っていた。


 彼女の知識が間違っていた?

 いや、彼女の博識っぷりは文学者にも比肩する素晴らしいものだった。だとすれば間違っているのは幸の記憶。覚え違いをしているのかもしれない。


 例えば別の物語と混同している可能性もある。

 グリム童話には『ねずの木の話』という物語がある。これは義理の母親が息子の首をリンゴの入った箱の蓋で挟んで殺してしまう、という展開の童話である。

 義理の母親に殺され、生まれ変わって鳥となった息子は、美しい声で鳴いて義理の母親を誘き寄せると、石うすでつぶして殺してしまう。最後は美しい鳥が元の人間の姿を取り戻した所で物語は幕を下ろす。

 この話と混同してしまっているのか?


 他にも母親殺しの物語はグリム童話や他の物語にも多く見受けられる。そのいずれかと混ざってしまったのかもしれない。

 早く正体を正確に突き止めなくては。幸の焦りをあざ笑うかのように、藤堂が攻撃しようとした文魔の少女から、もう一人の文魔の少女が零れ出すように生じた。


「また増えた!?」


 最初に会敵した個体から分裂した。やはりそちらが初版体だ。強制顕現させようとしたのに重版体の集束が発生しなかったのなら、やはり幸が文魔の正体を間違えている。

 初版体の文魔から一人、また一人と文魔が産み落とされていく。

 一は十に。十は百に。百は千に。幸の絶望だけではない。帝都を覆い尽くす絶望を糧とするように文魔は増え続けたのだ。

 いつしか数えることを放棄せざるをえない大群となって幸と藤堂を包囲していた。


「そ、そんな……こんな数……どうやって」


 どれが初版体なのか、もはや見当もつかない。

 頼みの綱である藤堂の体温が急速に下がっていくのが、背中に置いた掌から伝わってくる。

 一帯が猛火に炙られ、五十度近い気温となっているにもかかわらず、藤堂の身体は氷のように冷たく感じられた。

 このままでは藤堂が死んでしまう。もう二度と大事な人を失いたくないと思ったのに。


 火災の類焼も留まるところを知らず、火の手は増すばかりだ。これではアリスも無事でいられるかどうか。

 これだけの炎があるというのに、相手の文魔には、炎が全く通用しない。

 一体でも歯が立たないのに、こんな数を相手にして勝てるわけがない。

 絶望を抱けば文魔はより成長する。だけど幸が今更絶望するのをやめたところで意味はないだろう。帝都が滅ぶと、数十万の人々の心が絶望に染められている。幸一人が心を強く持ったところでどうにもならない。


 それならばもういい。藤堂と一緒に終わってしまいたい。

 幸は、藤堂に覆いかぶさった。

 贖罪を放棄した幸は、きっと藤堂と同じ場所には行けない。

 けれど、それでも今この瞬間だけは共にありたい。


 幸と藤堂へ文魔の群れが一斉に手を伸ばした。これだけの数に引き裂かれるのだ。きっと苦しみも痛みも一瞬で終わる。


「ごめんなさい。藤堂さん……アリスさん」


 幸が瞳を閉じようとした寸前、猛火の渦が次々に爆ぜ、円舞を描きながら文魔の群れを打ち払った。

 爆圧によって弾き飛ばされる文魔の軍勢だったが、やはり灰をさらに焼き尽くせる炎などありはせず、一体も欠けることなく健在であった。

 どこまでも役に立たない異能。大切なモノを壊すばかりで、守れもしない異能。

 何のために存在している?

 何のために力を振るう?


「もう放っておいてください!」


 たった一人生き残ってどうなるというのだ。

 たった一人になってどうしろというのだ。


「このまま藤堂さんと一緒に死なせて!」


 生きることに疲れてしまった。

 このまま終りにできたら、どんなに心が安らげるか。


「生きていたって良いことなんかない……」


 もうどうだっていい。

 自分も世界も、何もかも諦めるから、お願いだから楽にさせてください。

 それともまだ苦しみ足りないというのか?

 勝手に選んで勝手に守って不幸を与えたのは御伽の異能だ。幸が自ら選んだ道ではない。知っていればこんな力最初からいらなかった。

「何もかも燃やしてしまうだけの私がいたって意味なんかないんです! どうして私を選んだの? どうして私じゃなきゃいけないの? 守ってくれなくていいからその炎で焼き尽くしてください!」


 幸が心の底から願うと――。


『幸』


 懐かしい声が聞こえた。


「え?」


 十二年ぶりだけれど、聞き間違えるはずがない。この声は紛れもなく――。


「お母さん……」


 雪の声だ。

 呼びかけに応えるように炎の渦は姿を変えて人の形を象った。


『幸、諦めないで』


 炎の人型は在りし日のははおやの姿となって幸を抱きしめた。

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