第6話「燐寸(マッチ)売りの少女」

「わ、私は……御伽の異能を……持っているんですか?」


 ようやく振り絞った声は掠れていた。

 藤堂は、幸の心情を察したのだろうか。

 穏やかだけれど切なげな、小雨のような声で喉を震わせた。


「俺は、君が御伽の異能を持つと確信しているよ」


 突き付けられた現実は、溶けた鉄のように幸の心を包んで焼き殺していく。

 やはりそうだったのだ。

 全ての原因は幸にあり、全ての災厄は幸が呼び寄せた。確かに叔父は正しかった。

 神楽幸は、人を不幸にする化け物なのだ。


「私は……家族を焼き殺した化け物なんですね……」

「それは違うよ」


 真摯な表情で藤堂は、首を横に振った。


「君は、化け物じゃない。異能が暴発してしまったのは事実だろう。でもそれは君と君の家族を狙う文魔を退けるためだった――」

「ですから! それは私が、我が身可愛さに!」

「俺は現場にいたわけではないから、正確なことは分からないよ。だけど君の意思によるものとは限らない。君を守ろうとした御伽の異能の意思によるものという可能性もある」

「御伽の異能の……意思?」

「御伽の異能は主を選び、宿る。それは清らかな心の持ち主の証明でもあるんだ。君は御伽の異能に選ばれ、そして御伽の異能は愛する主を守ろうとした」


 守る?

 あれが?

 あの火事が?


「守るって……」


 一体何を守ったというのだ?

 守れたものなんて何もない。

 残されたのは、孤独と罪悪感と愛する人々が燃え尽きてできた灰だ。

 

「守って……守ってくれる必要なんてありませんでした!」


 勝手に主に選んで、勝手に宿って、頼んでもないのに命を守ろうとして、結果的に多くの命を燃やしてしまった。御伽の異能と文魔。一体何が違うというのか?

 最初に文魔の影を見たあの日、雪と一緒に死なせてくれたらどれほど幸せだったか分からない。


「守ろうとした……なんて、恩着せがましいこと言われても納得なんかできません!」


 誰かの命を犠牲にしてまで生きたいと願ったことはない。

 そうしなければいけないぐらいなら死んだ方がいい。


「私が死ねば、それでよかったんです! そしたらたくさんの人が死ななくて済んだかもしれない!」


 感謝なんかできない。

 あるのは己に宿る異能への憎悪ただ一つ。

 それ以外にいったいどんな感情を抱けというのか。


「そんな力を宿しているなんて……やっぱり私は化け物だった! 罪人だった! どうすればいいんですか……たくさんの人を死なせてしまった私は、これからどうすれば!」


 罪の意識が心を焦がす。堪えがたい苦痛で吐き気がする。

 いっそこのまま消えてしまえたら、どれだけ楽になれるだろう。

 その場に膝から崩れ落ちた幸の背中を藤堂の掌が優しく撫でた。


「そうだね。君の立場は辛いものだよ」


 ほんの少し冷たくて心地の良い掌は、小川のせせらぎのようだった。

 燃え盛っていた心がほんの少しだけ冷めていく。


「俺なんかじゃ君の気持ちを分かってあげることはできない。だけど君は生きているんだ。そして御伽の異能を秘めてもいる。君が自分を化け物だと罪人だというのなら、罪を償うというのはどうだろう?」

「罪を……償う?」


 藤堂は、春の清流のように温かい微笑をたたえた。


「君の中にいる御伽の異能は相当強力な気配を放っている。恐らくは炎を操る力だ……使いこなせばどんな文魔にも対応できるはずだよ。自分を罪人だと思うなら俺と一緒に罪を償ってみないかい?」

「あなたと一緒に……」


 何年ぶりだろうか。誰かに一緒にいようと声を掛けられたのは。

 もしかしたら藤堂の異能は、頭の中を覗けるのかもしれない。

 だって幸が一番欲するモノを与えてくれるのだから。


 藤堂と一緒に頑張ったら許してもらえるかもしれない。そんなことを願ってはいけないはずなのに、ついつい考えてしまう。

 もしも許されるなら何ができる?

 何だってできる。

 どの道、失われるはずだったのに、薄汚く生き残ってしまった無価値な命だ。


「役に立てるんですか? こんな悍ましい力でも――」


 藤堂の表情が険しくなった。初めて見せる反応に戸惑う。


「幸さん。君の境遇は辛いものだった。だけど自分と自分を選んでくれた御伽の異能をあまり卑下するものじゃないよ」

「ですけど……」


 許すなんて簡単にはできない。大切な家族を奪った原因なのだ。

 しかしだからこそ使い潰してやればいい。

 御伽の異能が主と共にあろうとするならこれから歩む地獄を一緒に歩かせてやろう。


 贖罪のために持てる全てを使う以外に、許しを得る方法などない。いや、もはや許しを得ようなどとはおこがましいのだ。

 許されなくても罪を償い続けろ。許されようとするのはなく、許されずとも足掻き続けて血反吐に塗れ、異能の手を握りしめたまま惨たらしく死ねばいい。

 それでようやくだ。それでようやく奪ってしまった命に対して、多少なりとも手向けになる。


「藤堂さん、どうすればこの力を使えますか。私の意思で、自在に」


 藤堂は、幸を訝しげにしばらく見つめた後、一転して笑顔を作った。


「御伽の異能を使いこなすには、御伽の異能との相互理解が必要不可欠なんだ。急に言っても難しいだろうけどね」

「相互理解……」


 いくら異能が憎いと言っても、藤堂の言い分にも一理ある。

 幸は、自分の御伽の異能がどんな物語から生まれたのかすら知らないのだ。

 炎に関係する能力であるのはともかく、炎が登場する物語となれば、対象は広範にわたる。とてもではないが絞り切れない。


「藤堂さんは分かりますか? 私の御伽の異能がどんな物語から生まれたのか――」


 幸の問いかけを断ち切るように、事務所の扉がノックされた。

 藤堂は扉を見やった。


「ん? アリスかい? 入っておいで」


 扉を開けて入ってきたのは、裾をささやかに彩る白いフリルが印象的な黒いワンピースを纏った西洋人の少女だった。

 華奢な身体つきは、幸よりも二回りは小さい。歳の頃は幸より五つは下に見える。

 冬の月光のように透き通った銀色の髪は肩にかからない長さで切られ、雪のように白い肌と相まって実に見目麗しい。

 蒼玉のような瞳は、男女を問わず見る者全てを虜にする魔性の気配を醸し出している。


 しかしアリスの風貌で最も幸の目を引いたのは、彼女が胸に抱えている金縁の鏡だ。こちらを向いている鏡面に映るのは、幸と藤堂の姿ではない。

 絵だ。一目だけでは幾何学模様に見える。だがよくよく見れば、それは地図だ。浅草近辺の地図のようである。

 アリスは、鏡を指差しながら幸を睨みつけた。すると蒼い瞳が紫色の光を纏った。蒼玉を外して代わりに紫水晶をはめ込んだようだ。


「え? 瞳の色が……」


 狼狽うろたえる幸に対して、藤堂が言った。


「御伽狩りは異能行使の際、瞳の色が変わるんだよ。俺は水色。アリスは紫だ」

「……藤堂。初版の居場所はここ」


 アリスからは、明らかな敵意が滲んでいる。侮蔑の視線を向けられた経験は数え切れないほどあるが、明確な敵意を浴びせられるのは叔父以来だった。

 しかしアリスのそれは敵意ではあるが、憎悪とは言えない。飼い犬が自らの飼い主が他所の犬を可愛がっている時、相手の犬に向けるそれに近い。

 突然、藤堂が幸を一瞥する。

 失礼でごめんね――。

 声には出さず、そう伝えたいようだった。

 やれやれ顔でアリスの隣に立った藤堂は、鏡を覗き込んだ途端、苦笑した。


「いつにもまして大雑把だね……捜索範囲内にこの事務所も入っているけど」


 アリスの頬が焼き餅のようにぷっくりと膨らんでいく。


「さっきまでは平気だった。今は調子が悪い……うまく気配を探れない」


 幸が二人のやり取りを呆然と眺めていると、藤堂はアリスの頭を撫でながら顔だけ幸に向けた。


「彼女は文魔の気配を探知できる稀有な御伽狩りだ。とは言っても探る範囲が広い……幸さん、急いで行こうか」


 藤堂は、右の袖口から燐寸マッチ箱を取り出すと、幸に投げて渡した。反射的に右手で燐寸マッチ箱を取り、胸に抱えていた本を左手で持ち直した。

 燐寸マッチを持つのは人生で初めての経験である。火事に二度も見舞われたため、なるべく火を起こす物を遠ざける生活をしてきた。真冬でも火鉢はおろか、湯たんぽですら湯を沸かすのが怖くて使っていない。

 食事もほとんど外食で済ませてきたし、家でも季節を問わず水道の水をそのまま飲んでいた。


「こんな物を持っていたら危ないですよ! 私は火を操る御伽の異能なんですよね? 万が一があったら――」


 手の中に炎を生み出す種がある。そう考えただけで心の内に不安が燃え広がっていく。


「大丈夫だよ」


 甘い声と涼やかな掌が幸の不安を鎮火した。


「俺は君を信じている」

「……出会ったばかりの私を?」

「出会ったばかりの君をね」


 藤堂といると懐かしい感覚を思い出す。ふわふわして温かくて心地よい。

 これはひょっとして安心している?

 十年ぶりに訪れた感情に戸惑わされる。

 呆然とする幸を尻目に、アリスは唇を尖らせて藤堂に詰め寄った。


「出会ったばかりの女を口説くなんて……藤堂は不埒もの」

「どこで覚えてくるの? そういう日本語」

「活動写真と浅草オペラ」

「まったく君は……じゃあ改めて行こうか幸さん。アリスはお留守番」


 アリスは、限界まで膨らんだ頬を見せつけて無言の抗議をした。


「戦闘になったら危ないだろ?」

「その女はいいの?」

「彼女は、戦闘向きだから」


 言われてようやく思い出す。

 文魔を探しに行こうにも幸はまだ自分の異能が何かも知らない。

 戦いに向いていると言われても、それすら知らずに一体どう戦えばよいのか。


「あの藤堂さん! 私の御伽の異能って!?」

「君は、もうその答えを手にしているよ。それも二つ」

「二つ手にしているって……まさか」


 右手には藤堂がくれた燐寸マッチ箱。左手には幸が書棚から引き抜いた一冊の本。題名は――。


燐寸マッチ売りの少女?」


 本の題名を読み上げた時、幸は胸の奥底で小さな焔がくすぶるのをはっきりと感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る