五、「打つか」

 おやっさんが目を覚ますと、良い匂いが部屋に充満していた。

「おはようございます。朝餉あさげの準備が出来ています」

「ああ・・・」

 寝ぼけ眼を擦りながら、おやっさんは体を起こした。

 熱い味噌汁を啜るうちに、頭もはっきりしてきた。


「これも、真心というものかね」

「はい。何でも致します。包丁を打って頂けるのであれば」

「ん? ・・・何でも、じゃと・・・!?」

「はい」

「じゃあ服を脱いでもらおうか。ぐへへへ・・・」

「はい。ちょっとふんどしが汚れているので恥ずかしいですが・・・」

「莫ッ迦モ~ン! 本気で脱ぐ奴が居るかあ!」

「・・・えッ? では脱がない方が宜しいですか」

「当り前じゃあ。男の裸を見て何が楽しいんじゃあ!」

「・・・すん・・・」


 少し残念そうな若者を見て、困った表情を浮かべるおやっさん。

 それから数日、同じようなやり取りを幾度か繰り返すうち、二人は次第に打ち解けていった。

 悪い奴ではない。

 おやっさんは、若者の為人ひととなりを、そのように評価した。


 ただ純粋に、包丁を求める青年に、心を動かされた。

 今度は、人を殺すための道具ではない。

 昔、「名刀」を打っていた時も、それが人を殺すための道具だと、知っていた。

 分かって打っていた・・・はずだった。

 ただそれを意識していなかっただけだ。

 求められるままに打ち続け、気付けば残ったのは何もなかった。


 お上に献上するためと請われた、あの刀も同じだ。

 人を殺すためではないと言っていたのに、結果はどうだったか?


―――然し。

 此度は違う。

 この若者は信じられる。

 もう一度、信じてみよう―――


「打つか」

「えッ?」

「おぬしにも手伝ってもらうぞ」

「打って頂けるのですか!?」

「ああ。最高の物を打ってやろうか」

「有難うございます!」


 かくして、おやっさんは包丁を一本、打った。

 若者のために、魂を込めて。

 出来上がった包丁は、この世のものとは思えない、見事なものであった。

「試してみるか」

 おやっさんは、裏で採れた野菜を若者に手渡す。

「では・・・」

 若者が台所へ向かおうとするのを、おやっさんは引き留めた。

 顎で、その場で切ってみろと促す。

 少し怪訝そうな表情を浮かべてから、若者は野菜を片手に持ち、中空で包丁を押し当てる。


―――スパッ


 何の手応えもなかった。

 宙を切ったのかと錯覚するほどであった。

 野菜を持つ手が妙に軽い。


―――ゴツッ


 野菜の上半分が地面に落ちる音を聞いて、若者はハッと我に返り、地面に落ちた野菜を見て、目を丸くした。

 野菜が半分なくなった事に驚いた。

 自分で切ったはずなのに、切った事すら分からなかった。

「どうじゃあ」

「・・・す、素晴らしいです!」

「気に入ったか」

「はいッ!」

「では、そろそろ理由を話してくれぬか」


 若者は一瞬目を伏せて、やや言いにくそうな様子だったが、意を決したように顔を上げた。

「私には年老いた母が居ります。三十を過ぎてから生まれた子だったので、大層大事に育てられました」

 ゆっくりとした口調で話し始めた。

「父は戦に出て帰らず、女手一つで育てられました、私を負ぶったまま、夜まで休まず内職をしていたようです」

 おやっさんは若者が話すのを、ただ黙って聞いた。

「無理がたたったのでしょう、私が元服じゅうにさいの頃には、すっかり寝たきりに近く・・・」

 言葉に詰まった若者は、長い間を置いて続けた。

「今ではもう、動く事もままなりません。弟が今、母の面倒を見ています。私は一刻も早く一人前に成らねばならず、元服するとすぐ料理人の師につきました。それから数年。母に美味しいものを食べさせたいと思っていましたが、なかなか一人前に成れず・・・」

「そうか」

「・・・弟から連絡があったのです。母はもう長くはないと。まだ未熟の私ですが、何か母に作ってあげたい。そう思い、師に頼んで暇を頂きました。母に食べさせるための、芭蕉を入手する目処もつきました」

「芭蕉・・・確か信長公に献上されたという、伝説の果実じゃったか」

「よくご存じで。左様です。然し見た事もない食材、どのように料理すれば良いかも分かりませぬ。大変貴重なもの、無駄にも出来ませぬ。どの様にでも調理できるよう、最高の包丁を求め参った次第」


 おやっさんは沈思黙考すると、若者の言葉を脳内で反芻した。

「・・・そういう事ならば、早く帰っておあげなさい」

「ですが、御礼がまだ・・・」

「御代は不要じゃあ。今は一刻も早く帰り、母に芭蕉を食べさせるのが先じゃろう」

 若者は黙って、深々と頭を下げた。

「ご厚恩、感謝致します。母の事が済めば、必ず戻り、恩を返させて頂きますれば。御免!」


 若者は大事そうに包丁を抱え、駆け出して行った。



―――夢を見ていた

 トンカンカン

 鍛冶場に鳴り響く鎚の音

 たくさんの弟子たちが所狭しと鎚を振るう

「おやっさん! 見てくれよう。良い出来だろう? 傑作だよう」

「なあに、まだまだじゃあ! もっと精進せい」

「ちぇッ、たまには褒めてくれても良いだよう」

 笑い声が響き渡る―――



 目を覚まして身を起こす。

 炉に火が入り、一人の男が鎚を振るっていた。


 あの若者だった。

 その後ろで助手をしている一人の女性。

「起きましたか。見て下さい。これ、どうです? なかなかの出来でしょう」


 若者夫婦がここで寝泊まりを始めてから一年が経った。

 母を看取った後、若者は幼馴染の女性を伴い、おやっさんの鍛冶場へと戻ってきた。

 二人はおやっさんに弟子入りをし、毎日身の回りの世話をしながら、鍛冶仕事に明け暮れている。

 筋が良いのだろう、若者はすぐおやっさんに認められ、簡単な家庭用品を作って売る生活をするようになった。

 生計を立てられるようになると、二人はおやっさんが見守る中、略式の婚礼の儀を執り行った。


「・・・なまくらじゃなあ。まだまだじゃあ!」

「ちぇッ。またそれですか」

「どれ。久々に手本を見せてやるかあ! もっと火を起こせ!」


 (おしまい)

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伝説の刀鍛冶が包丁を打った理由 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro

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