明けの明星 ②


当時、誰も私を責めなかった。


一くんのお父さんもお母さんも、おじいちゃんも。

私のお父さんだって、学校の先生だって。



「これは不慮の事故だから」



そう言って。


誰も、私を責めなかった。



……誰も、




「何とかならないんですか」

と、毎回のように病院の先生と話す一くんのお父さん。


「私がもっと、強く言っていれば……」

と、毎日のようにベッドの横ですすり泣いていた一くんのお母さん。



〝不慮の事故〟


私は意味を調べた。


不慮〈フリョ〉とは

……思いがけずに降りかかる(不幸な)こと。


思いがけずに起きた事故。

防ぎようがなかったということ。


 

本当に?



一くんのお母さんが、


「雨上がりで危ないから、今日は裏山に行かないこと」


と、一くんに言っていたのを、


私は知っていた。


知っていて、

それでも見に行った。


防げた可能性があるのなら、それは〝不慮の事故〟なんかじゃない。


一くんが失明したとして、それを不慮の事故なんて言葉で片付けていい訳がない。


誰かが責任を取らなきゃいけない。

誰かが罰を受けなきゃいけない。



誰かが苦しまなきゃいけないの。



そして、その〝誰か〟は、


───私なの。



だから、

だから、一思いに責めてほしかった。



怒られるのが怖い。

責められるのが怖い。

嫌われるのが怖い。



怖いのは嫌。


だって怖いから。


でも、あの時はいっそ



そう指を指された方が、

そう責められた方が、


……どれだけ楽だったか。


ゆるされることの苦しみを知った。


でも周りが何て言おうと、私は私を赦せない。


過去に戻って、なかったことになんてできない。


 じゃあどうしたらいいの?



――導き出した答えは、苦しむこと。


〝大切な人の人生の一部を奪った〟

という罪を、死ぬまで抱え続けること。



罪をして、苦しんで


そうしたら、いつか私を赦せる日がくる



……そんな気がした。




「赦す、赦さないって、決めるのは私じゃないんですけどね」

「……でも、自分自身を赦せないって、苦しいよね」

「……そう、ですね。苦しかったです」

「そっか」


苦しむことで赦されたかった。


苦しむことは、私自身で決めたことだった。


なのに、すごく辛かった。


楽しかった時間も、嬉しかった出来事も、大好きだった人も。

その思い出全部が、苦しみという感情に書き換えられてしまったから。


〝好きなものを好きでいられなくなる〟



すごく、辛いことだった。



「……赦されたかったくせに、苦しくて、辛くて、それがすごく……悲しくて」


だから、


「逃げたんです。」

「逃げた?」

「なかったことになんてできない、そう言っておきながら、思い出さないようにして、考えないようにして……」


私は最低だ。


「……忘れようとしました」


私がそう言うと、麗央ねえはただ静かに、私の手を握った。



話してしまえたら楽になるかもしれない。

そんな気がして、私は上手くまとまらないまま、麗央ねえに自分の思いをそのままに話した。


「ありがとう、話してくれて」

「……話したら、楽になるかもって、私……!」


やっぱり私は最低なんだ。

楽になりたい、なんて、自分のことしか考えていない。



「楽になることの何がいけないの?」

「……え?」


麗央ねえの言葉に、私は思わず聞き返した。



「逃げるのは悪いこと?」

「……それは、」

「私は、そうは思わない」


麗央ねえは真っ直ぐ私の目を見て、そうハッキリと言った。


「辛いことも苦しいことも嫌だし、楽して生きたい、少なくとも私はそう思ってる。

でも背負わなきゃいけないものがあることも、向き合わなきゃいけないものがあることも知ってる。

……逃げちゃいけない場面があることだって知ってるよ。私はひかりちゃんより、ずっとお姉さんだからね。」

「……うん、麗央ねえは昔から物知りだった」

「でしょ? ひかりちゃんよりもお姉さんで、物知り。私はひかりちゃんよりずっと大人なんだ。

なのにそんな私が、苦しいことや辛いことから逃げたいって思ってるんだよ?

つまり、何が言いたいか分かる?」

「……えっと、逃げることは悪いことじゃない?」

「ピンポーン!」


麗央ねえは、よくできました〜とパチパチ拍手をした。


「……ひかりちゃんが私のことを憶えていないって分かった時、正直ホッとしたの。

二人が辛い思いをしていた時に、私は何もできなかったから、正直、申し訳なさがすごくて。でも憶えていないなら、それはそれでいいか、無理に思い出させる必要もないって自分に言い聞かせてた。

でもさ、それだって、結局は自分が傷付きたくないから、言い訳して逃げてただけなんだよね。

……ひかりちゃんはさ、こんな私を最低だと思う?」

「思わない!」

「何で?」

「だって、」


何でって、上手く言えないけど。


「……麗央ねえの話を聞いて、私はそう思わなかった、から」

「じゃ、私も一緒」

「え、」

「私もひかりちゃんの話を聞いて、最低なんて思わなかったよ。赦すとか赦さないとか、それ以前の話。 ……ひかりちゃんに、罪なんてなかったよ」


……罪なんて、なかった?


「もし目が見えなくなったのが一じゃなくて、ひかりちゃんだったとしたら? ひかりちゃんは、一を責める?」

「責めない!」

「一もそうだよ、ひかりちゃんを責めたりなんてしてない。あ、言い付けを守らなかったのはダメだからね! それは二人とも悪い!」


でも、と、麗央ねえは小さい子をあやすように、優しく続けた。


「一の左目はちゃんと治って見えるようになったよ! そもそも、頭強く打っても一は死ななかったし、ひかりちゃんにも大きな怪我はなかったし、私としてはそれで充分。」


麗央ねえの言葉、一つ一つが、心にじんわりと大きな円を描いて広がる。


「言ったでしょ、自分を責め過ぎだって。もう充分。だから、ね?

──私の大好きなひかりちゃんを、もうそんなに責めないで?」


そう言うと、くしゃっと微笑んでくれた。

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