女神の肌は予約済み

Case3:源氏名:アカリ その1

 それは馴染みの客の男から言われた一言から始まった。

「ねぇねぇ。アカリちゃんはパーソナルシェアっていうアプリ知ってる?」

 私が水割りを作っている最中に、客の水口は私の腰に手を回しながら訊ねてくる。

「パーソナルシェア? 何それ? アカリしらなーい」

 私は水口が腰に回してきた手をそれとなく自然に外しながら、質問に答えた。

「何でも共有しちゃうすごいアプリなんだよ。凄いでしょー。かんぱーい!」

 強めの酒をクイッと飲み干した水口はそのアプリの自慢をしながら私に寄ってくる。まるで絡み酒みたい。

 私はこの水口という男が苦手だ。なんとなく馴れ馴れしいし、店では私のことを毎回指名してきては、過度なボディタッチなんて当たり前だ。だけど、店に結構なお金を落としてくれるので、私は渋々隣に座るしかない。大変不本意だけれども。

「へぇ。それはすごいね」

 当たり障りのない返事を返すけれども、心底その話題はどうでもいい気分だった。

「それでさー。僕、アカリちゃんと共有したいんだよね。このアプリで」

「え? アカリと共有するの?」

 コイツと共有するのなんて死んでもゴメンなんだけれど、そんな私の気分なんて全く知らず、水口は私の目の前でスッと右手を差し出す。

「だからアカリちゃんのスマホ貸ーして?」

「えー。アカリのスマホを水口さんに貸すの? ちょっと怖いなー」

 コイツにスマホを貸し出したが最後何をされるか分かったもんじゃない。

「大丈夫。変なことなんてしないから。ね? 一生のお願い!」

 この男、全く折れる気配なんてない。私ははぁ……とため息を一つつく。

「もー、分かった。ちょっと待ってねー。バックヤードから取りに行ってくるー」

「うん! いってらっしゃーい。僕はここで大人しく待っているからねっ!」

 私は自分個人のスマホじゃなくて、店で貸し出してくれている仕事用のスマホをバックヤードの自分のクラッチバックから取り出してきて、水口に手渡す。

 私の個人情報は店貸与のスマホには入ってないから水口に何かスマホの情報を抜き取られても恐らく大丈夫なはずだ。

「ありがとう。やっぱりアカリちゃんは優しくて僕の女神様だよー」

「もー、またアカリのことを女神様だなんて。水口さんは本当に冗談が上手いんだから」

「本当のことだもん。僕の女神さまー」

 水口はそうやって気持ち悪い笑みをこちらに向けてから何やら私の仕事用のスマホで手早く操作を始める。

 “女神様”という呼び方は水口が私を初めて指名した時から呼ばれている。彼にとって私は彼が描いていた女神像そのものらしい。正直嫌気がさしていた。

「出来た! はい、アカリちゃんのスマホは返すね」

 彼はもろもろの設定が終わったらしく、私にスマホを返す。一応画面をチラッと見て何か変化があるかどうか確かめてみる。メニュー画面には特に変化はないので、変なアプリなどは入っていないように見える。一体何の操作をしていたのだろうか? 共有アプリとか言っていたようだけれども?

「ねぇ、水口さん? 一体なんの共有をしたの? アカリに教えて?」

 私は精一杯の甘え声で水口に訊ねる。何をしたのか突き止める必要が一刻もあった。

「んー、どうしようかな? アカリちゃんが今度同伴付き合ってくれるっていうなら教えてあげてもいいけど?」

 コイツ。本当にウザい。

「いいよー。同伴してあげるから、教えて。アカリに秘密にするなんてずるいー!」

 変な怪しいものと共有しているのならすぐにボーイに伝えてこの男を出禁にしてやろうとそう考えていたのだけれども、彼の口から出た答えは素っ気ないものだった。

「アカリちゃんのSNSの更新があったら僕のスマホに通知するように設定しただけだよ。そんなに怯えないで」

 お店で働いてる女の子たちはみんな固定客なんかと交流を深めるために個々にSNSのアカウントを持っている。私も持っているのだが、水口はその通知を円滑にするために設定をしたという。本当かどうか定かではないけれども、今はそう信じないといけないみたいだ。「もう、なんでも共有出来るからっていうからアカリびっくりしちゃった。水口さんたら、冗談がうまいんだから」

「ごめんごめんって。お詫びにこれとこれをアカリちゃんのために注文するから許してね」

 彼はメニュー表を見てボーイに注文を伝える。

「わー。水口さん本当にありがとう-! もう大好きっ!」

 私は営業スマイルで水口に抱きつく。彼はまんざらではない様子な顔で笑っていた。

 嗚呼、いつ見たってこの男の顔が不快だ。

 この日は結構な額のお金をあの男は落としていって帰って行った。

 はぁ。今日も苦痛の時間が終わったと時計を見るとちょうど上がる時間になっていた。

「時間になったんで、上がりまーす。お疲れ様でしたー」

 私はそう言ってバックヤードへと引っ込み、店を後にする。

 今日も一日が終了して、部屋に帰るなりロクなお手入れもせずにベッドへとダイブして眠りへとつくのだった。

 

 結局アイツが本当は何を共有したのかということを、私は後から身をもって知ることになる。

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