第14話 予約日

 どうも、おかしい――その後も何度か新宮さんとメールのやり取りを続けた僕が抱いた感想は、端的に言うとそれに尽きた。彼女からのメールにはしばしば「すみません、着信を見落としてたみたいです」と謎の謝罪が挟まるのだ。


 夜勤とかで忙しいのだろうという憶測を添えて返信を送ってみたのだが、


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いやいや、さすがにそんな、一日おきに夜勤なんてできませんよ。

菊谷川さんも入院してたからある程度は分かると思いますけど、病棟の夜勤って、そりゃあハードなんですから。


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 返ってきたのはそんなコメントだ。言われてみれば――僕が病棟を歩き回れたのは入院生活も後半だったが、夜勤で深夜まで病棟にいた看護師さんはほとんどの場合、翌日と翌々日には姿を見かけなかった。

 一日ずつインターバルを挟んだもどかしいピンポンを繰り返すうちに、僕にも師美厚生会病院の、病棟看護師の事情がだいたい呑み込めてくる。

 病棟での夜勤が明けると、看護師は体調を整えるため、翌日まるまる一日の休養を取ることになっている。夜勤の終了は朝八時半、それから申し送りや着替えを済ませて帰宅の途に就くのは、なんだかんだで十時くらいまでずれ込む。


 帰宅してからの過ごし方は人によりけりだが、だいたいは数時間の仮眠を取ってコンディションを調整した後、夜はまた普通に寝る人がほとんど。そして次の日一日は完全に休養。

 病棟の状況にもよるが、多くても二週間に一度くらいしか完全徹夜の夜勤は入れないようだった。そうなると、新宮さんからの返信が遅れる理由、その前提は大きく崩れる。


 それに、彼女が受け取った僕のメールには、日付が常に一日前で記録されているらしい。


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これじゃあ出先で急に思いついての待ち合わせ、とかはできないですねー……


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 そんなことを言ってくる。それじゃあ、とリアルタイムで会話できるチャットアプリをインストールしてみたが、僕から送ったメッセージには、やはりすぐには返事リプがつかなかった。


 実際にはこれら全てが一日挟んでのやり取り。時間はかかるし疲れる。といってもこの奇妙な現象に僕たちは頭を悩ませると同時に、ひどく興味をそそられた。

 スマホの日付設定そのものが一日ずれているのか、とも考えたが、メールのサーバーは外部にあるのだから、影響は受けないはずだ。


 同じ日本にいて日付変更線でもまたいだかのような、いやそれ以上の「ずれ」。およそ常識では考えられない。さんざん首をひねったあげく、僕と新宮さんは、僕の一番近い通院日、三月十五日に直接会って話そうと決めた。


 その日は彼女が準夜勤で四時からの勤務なのだが、少し早めに出てくればいい、というのだった。


         * * *


「車で? ダメですよ、まだ本調子じゃないのに……」


 ガレージで車を発見したときから抱いていた、定期診察日の通院に車を使う、という考えは葵さんによって一言の元に否定された。


「ダメですかね……?」


「ええ。その日は私、お昼前からご町内の大切な集まりがあるんで、病院へも付き添えないんです。駅までの送り迎えはしてあげますし、南豆畠と病院の往復分、タクシー代も出しますから、余分な心配をさせないでください」


「わ、分かりました」


 涙目で言われるとうなずくしかない。僕も車の運転に自信満々というわけではないし、確かに体も本調子ではないのだった。仕方ないので電車で行くことにする。受付の予約時間は朝十時。麴町駅から南豆畠台までは電車でだいたい二十分程度。駅から病院まではタクシーなら道が混んでもせいぜい五分だ。逆算すると――朝九時に出れば、まあ余裕で着くはずだ。


 

 夕食後。二階の東側の共有スペースでテレビを見ていると、金垣内さんが一階から階段を上がってきた。抹茶色のタオルで頭を乾かしながら片手で未開封の缶ビールを弄んでいる。えんじ色のジャージにスリッパをつっかけ、どこかのプロサッカーチームのロゴらしきものが入った大きめの長袖Tシャツを羽織っていた。


「いよぅ、杜嗣くん、お風呂空いたよ。早織と葵さんはまだなんか手が離せないみたいだし――」


 そう言いながら、彼女は吹き抜け越しに四階、いや屋上の方をうかがった。


「先に入っちゃえば」


「え、うーん。どうしよっかな……」


「あーあー、あっぶないなあ。ダラダラやってると、風呂場でどっちかと鉢合わせしちゃうかもよ?」

 

 うえっ、と変な声が出る。人によっては願ってもないシチュエーションかもしれないが、この醤油坂ハイツでの僕の立場から言えば、そんな気まずい場面に突入するのはできれば避けたい。


「入りますよ。二人にはちゃんと伝言しといてください」


「おけえ」


 そう言いながら、金垣内さんはキュバッと小気味よい音を立てて缶ビールを開けると、一口あおって気持ちよさそうに息をついた。


「……ああ、そうそう。杜嗣くんさ、なんか急にお金必要になったり困ったりしたときはさ。私に相談しなよ。仕事外だから、無利子で都合するよ」


「ええ……?」


 急に妙なことを持ちかけられて少し身構えた。金垣内さんは僕の反応を見てひとしきりおかしそうに笑うと僕が手にしていたスマホを指さして言った。


「葵さんには言い出しにくいことでお金いることも、多分あると思うんだよねえ」

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