好きな子は虐めたい話

榊どら

第1話

「男の子は好きな女の子を虐めたいものなのよ。だから、ユリウス様がマリーに冷たくするのはマリーのことが大好きだからなの」

 母の言葉を聞いた幼いマリーウェザーは、

「そうなのね」

 とぼんやり思った。しかし、その言葉が間違いであると知るまで大した時間は掛からなかった。


**


 ユリウス・ハイデンは、国の宰相であるハイデン公爵の嫡男である。大恋愛の末に結婚した夫妻の間に、随分遅く授かった一人息子である為、甘やかされ、かなり自由に育てられた。結果、気位が高く我儘な荒くれ者に成長してしまった。そんなユリウスが婚約者選びに催されたお茶会で見初めたのが子爵家のマリーウェザー・ロアフだ。

 何故、マリーウェザーを選んだか。

 不細工ではないが、秀でて可愛いわけではなく、爵位も高くない。他の令嬢と違う特異な行動をしたわけでも、目立った面白い発言をしたわけでもなかった。寧ろ、親に言われるまま、周囲と足並みを揃えてその場にいただけだ。だが、ユリウスはぐるりと辺りを見渡し、


「お前でいい」


 とマリーウェザーを指し示した。はっきり言えば、誰でもよかったから目についた娘を選んだ。面倒くさかった。だから特徴のない無難な娘を指したのである。嫌なら後から婚約破棄をすればいい。それくらいの軽い気持ちで。実に身も蓋もない始まりだった。

 だが、マリーウェザーの父親は爵位こそ子爵であるが、交渉術に長け、顔が利き、若手貴族を率い陰ながら影響力持っている。息子に甘いハイデン公爵は、政治の柵を排除してユリウスに好きな相手を選ばせる心算であったが、結果として、この婚約は政治的な面でかなり有意義なものとなった。

 唯一の問題は横柄な性格のユリウスにマリーウェザーが耐えられるか。しかし、二人は意外なほど上手くいった。マリーウェザーは同じ歳の女の子ならば我慢しきれないユリウスの我儘にも快く頷いて従ったのだ。


「よし。お前を家来にしてやる」

「うん」

「オレの言うことには逆らうなよ」

「うん」


 ユリウスは三日と空けずマリーウェザーを呼び出すようになった。多少歪な関係だったが、本人同士が納得している以上、反対する者はいなかった。

 しかし、時が経ち二人の仲は次第に変化した。美丈夫で文武両道な上、次期公爵家当主であるユリウスは女生徒に高い人気を博すようになり、同時に、ユリウス自身も思春期を迎え、異性に興味を持つようになった。周囲には黄色い声が溢れかえり見渡せば麗しい令嬢達がいる。だが、ふいに後ろを振り向けば傍にいるのは凡庸な容姿のマリーウェザーである。


「ダサい格好で傍に立つな」

「お前の話はつまらない」


 ユリウスはマリーウェザーを毛嫌いするようになった。それでも尚、マリーウェザーはにこにことユリウスに従っていたが、皮肉なまでに事態は悪い方へ進んでいく。


「ユリウス様には他にふさわしいご令嬢がいるわ。例えば、公爵家のコレット様やハンナ様よ。貴方が我が物顔でユリウス様の隣に居座るから遠慮なさってお近づきになれないでいるの。早く別れなさい」


 ユリウスの冷遇ぶりとマリーウェザーの子爵令嬢という爵位も相まって、攻撃する者が現れたのである。


「ユリウス様はわたくしを好いていてくださいます」


 マリーウェザーは温和に返したが、今度はそれに悪意ある尾ひれがつき、


「ユリウスは自分にぞっこんである、とマリーウェザーが触れ回っている」


 とあらぬ噂が広まった。当然それはユリウスの耳に入り大憤怒の嵐となった。


「オレがお前を好きなわけがないだろう。思い上がるな。今となっては、ただの政略結婚に過ぎん。お前に瑕疵が見つかればすぐに婚約は破棄するからな!」


 これ以降、ユリウスはマリーウェザーについて「嫌いだ。愛していない」と声高に吹聴するようになった。それでも、


「マリーウェザー嬢って健気だよな。婚約破棄になったらオレが立候補しようかな」


 と一部の令息達の間で静かな人気を得るほど、マリーウェザーは一途にユリウスを慕い続けていた。マリーウェザーに瑕疵はなく、卒業すれば二人は結婚する。ある意味マリーウェザーの執念の勝利である。

 けれど、後三月で卒業と言う時期になって、事件が生じた。

 母親が男爵家の後妻に入り、町娘から貴族へ成り上がった強かな娘パメラ・カーネギーが転入してきた。朗らかに無邪気な性格と愛くるしい容姿で、あっと言う間に日常に退屈している多くの令息達の心を掴んだ。そんなパメラが本命に選んだのはユリウスだった。男爵家である自分が婚約者のいる公爵令息に近づく自然な方法とは? パメラが目をつけたのはマリーウェザーだ。どんなに冷遇されていても婚約者である以上、二人には多くの接点がある。おっとりした箱入り娘のマリーウェザーを手玉に取るなど容易いこと。他の令嬢達は、ユリウスがマリーウェザーを貶めれば、くすくす皮肉な笑いを漏らすのに、パメラはしなかった。結果、


「公爵家のお茶会に私が?」

「ええ、ユリウス様の許可は得ました。ユリウス様のお屋敷の薔薇はとても美しいのよ」


 とマリーウェザーはユリウスとの会合にパメラを同席させるようになり、


「ユリウス様、パメラ様は貴族になったばかりで生活に慣れていないんですの。ユリウス様にもお力をお貸し頂きたいわ。彼女、社交界にも不慣れで、ダンスのパートナーもまだいないの。ファーストダンスの後は彼女と一曲踊ってくださる?」


 と二人に微笑んで告げた。

 しかし、これでは公明正大に浮気の許可を出したも同然だ。お人好しにも程がある。マリーウェザーの幼馴染である子爵家のレオナ・ミハエルは眉を寄せて苦言を呈した。パメラが多くの令息の心を捉えていて、今度はユリウスを狙っている、とあっさり見抜き、


「馬鹿ね。騙されて」


 と呆れて言った。


「レオナ、そんなことを言わないでちょうだい」

「あの女、どんどんユリウス様に近づいて行くわよ。ほら、つまずいた振りして寄りかかっちゃって。ユリウス様も断らないでしょうしね。貴方がそうしろと言ったんだもの。言質がある。本当に、貴方って、」

「レオナ、悪く言わないで。わたくしはユリウス様とパメラ様を信じているわ。わたくしを裏切ったりしない。大丈夫よ」


 いくら注意をしても、マリーウェザーは常にこんな言動を繰り返し、静かに笑うばかりである。だが、案の定、ユリウスと懇意になるにつれ、パメラの発言は変化していった。


「マリー様はお優しいけれど、確かに少しおっとりしていらっしゃる所がありますね。私はお傍にいて温かな気持ちになりますけれど……」


「マリー様、ユリウス様が冷たくあたるのは、きっと婚約者だから甘えていらっしゃるのよ。おっとりしたところが良いと仰っていましたよ。笑顔に癒されるって」


「笑顔でいることは大切ですけれど、真面目な話の時は、真剣に聞いて欲しいですね。ユリウス様が苛立たれる気持ちはわかります」


 二枚舌で二人の間に割って入り、段々とユリウスに同情しマリーウェザーを貶める発言を始めた。そして、先日、とうとう放課後のサロンでマリーウェザーに詰め寄ったのだ。


「私、本当はずっとマリー様に虐められていたんです! ユリウス様に他の令嬢達が近寄らないように、傍で見張れと命じられていました。近づく人には制裁をするようにも! でも、私、そんなことできなくて、それで……」


 マリーウェザーは冷静に、


「わたくしがそのようなことをした証拠がございますの? わたくし、嘘をつくことだけは許せませんの」


 と述べるが、やったやらないは水掛け論である。ユリウスがマリーウェザーを嫌っているのは周知の事実で、パメラをずっと傍におき、現在も隣に立たせている。卒業式は近く、このまま行けば婚儀は免れない。事実を捏造してでも婚約破棄の布石をつくる気ではないか。突然始まった修羅場に、サロンにいた学生達は静かに耳を傾けていた。

 どう決着がつくか。


「ユリウス様、私……」


 パメラは傷ついた素振りで俯いたが、実際はユリウスが隣にいることに勝利を確信し、唇が綻びそうになるのを耐えていた。沈黙の中、ユリウスの発言を待ち詫びる。が、口を開いたのはマリーウェザーだ。


「ユリウス様、遂にわたくしに瑕疵が見つかりましたわね。約束通り婚約破棄をしてくださって構いませんわ」


 さらりと述べると優雅にその場を後にする。直後、事態は一転した。


***


 春麗らかな陽気の中、盛大な結婚式が執り行われている。皆が晴れ晴れとにこやかに式場に身を寄せていた。不穏な空気は花嫁控室だけだ。


「悪魔、鬼畜、腹黒」

「レオナ、花嫁に向かって言う台詞じゃないわ。酷い」


 マリーウェザーはいつものようにゆったり微笑み、花嫁介添え人を務める親友のレオナに返した。純白のドレスに身を包み、純粋無垢に虫も殺せぬ顔で座っているマリーウェザーにレオナは貼り付けの笑顔を向けた。


「マリーウェザー様、ご結婚おめでとうございます。皆、長年耐え忍んだ貴方を心から祝福していますわ。本当に貴女って……」


 レオナは呆れて言った。

 パメラとのサロンの一件で、マリーウェザーが婚約破棄を口にした途端、真っ青な顔のユリウスが立ち去るマリーウェザーに、 


「マリーちゃん! ちょっと待ってよ! なんでそんなことになるんだよ!」


 と付き纏い、


「話が違う! ねぇ、嘘でしょ?」


 と半狂乱に縋りついたことは記憶に新しい。それを無視して歩みを進めるマリーウェザーに、更になりふり構わず追い縋り、二人は馬車に乗り込んで消えた。翌日、置き去りにされ嘲笑に晒されたパメラがユリウスに詰め寄れば、


「君は何を言っているんだ? オレが愛しているのはマリーウェザーだけだ」


 の衝撃の告白である。


「大体、昨日の暴言は何だ? 妙な妄言を喚き散らしマリーを貶めた罪は重い。彼女は優しいから不問に付すと告げているが、今後彼女の周りをうろつくようなら容赦はしない」


 パメラは真っ赤な顔で走り去り、また転校して行った。だが、それを気にする者はいなかった。学生達の好奇の眼差しは、まるで一人芝居のパメラより、ユリウスとマリーウェザーに向けられていた。長年蔑ろにしてきたくせに一体どう言う了見なのか。マリーウェザーは絶対に自分から離れない、と慢心していたが、あっけなく崩れ落ち目が覚めたのだろうか。周囲は疑問符を飛ばしまくっていたが、当人達は仲睦まじい恋人同士へと変わった。卒業パーティーでは常に寄り添っていたし、ユリウスはマリーウェザー以外と踊らず、また、誰とも踊らせなかった。そして、本日めでたく結婚の運びとなった。どんな扱いを受けてもユリウスの傍を離れなかったマリーウェザーに、


「私には真似できませんわ。最後に勝ったのは貴方ね」


 と嫌味半分に告げる者もいるが、一途な恋が実を結んだことには多くの祝福が寄せられている。

 だが、隣で全てを見てきたレオナには、苦笑いの感情しかない。マリーウェザーが負けたことなど一度もないのである。昔からずっと、ただの一度もない。





「ご主人様、わたし、薔薇園を見に行きたい」

「なんでオレが家来の言うこと聞かなきゃいけないんだ」

「あのね、ご主人様は、家来の為に福利厚生をしっかり整えないとダメなんだよ。じゃないと家来は他所のご主人様のところにいっちゃうんだよ」

「え」

「わたし、薔薇園を見せてくれるご主人様の家来になるから、もう帰るね」

「薔薇園に行くぞ!」


 マリーウェザーはユリウスに従い薔薇園へ向かう。


「マリー、今日はユリウス様のお屋敷に行かなくていいの?」

「うん。レオナと遊ぶからいいの」

「でも、毎日来ないと怒るぞって言われたのじゃなかった?」

「家来はレオナの所へ出向中だからいいの」


 マリーウェザーは二日はレオナと遊び、一日はご主人様の元へ向かう。そう命じさせたので従う。マリーウェザーはユリウスに逆らったことはなかったが、自分の意に添わない行動をしたこともなかった。

 しかし、年を重ねて、粗野で単純なユリウスも、いい加減いいように扱われていることに気づいた。苛々とマリーウェザーに嫌味を言い、当てつけな態度を取るようになった。 


「コレット嬢は美しくお前とは雲泥の差だな。せめて服装くらいちゃんとしろ。何だ、その地味なドレスは。ダサい格好でオレの隣を歩くな」

「わかりました」

「ハンナ嬢は話題に富んで面白い。それに比べてお前は、何処の店の菓子が旨いだの、恋愛小説がどうのだの、オレの興味のない話ばかりして、少しは彼女を見習え」 

「わかりました」


 わかった、わかったと言う割に全く変わった様子のないマリーウェザーである。ユリウスが苛々している中、あの噂を耳にした。


「ユリウスは自分にぞっこん、とマリーウェザーが触れ回っている」


 ユリウスは顔から火が出るような羞恥に見舞われ激昂した。怒りの原因が図星を言い当てられたからと気づく前に、マリーウェザーを怒鳴りつけた。


「オレがお前を好きなわけがないだろう。思い上がるな。今となっては、ただの政略結婚に過ぎん。お前に瑕疵が見つかればすぐに婚約は破棄するからな!」


 これにて二人の関係性は決まった。

 あの日、マリーウェザーの屋敷に来訪したユリウスは、傍にレオナがいるにも関わらず、噂の抗議をした。元々事実ではない話だ。だと言うのに勝手に決めつけ婚約破棄まで持ち出し暴言を吐いた。レオナが背筋が凍る思いでマリーウェザーに視線を投げると、冷静な顔でユリウスを見ている。そして、態度を一変させて告げた。


「わかりました。わたくしに瑕疵があれば婚約を破棄されるのね。瑕疵とは例えばどのようなことでしょう? ダサい格好で貴方の隣に立つこと? つまらない話題を告げることかしら? だったら今すぐ破棄して頂かないと。今日お父様がご帰宅されたら伝えます」

「何を言っているんだ。誰もそんなことは言っていない!」


 途端に狼狽してユリウスが返す。


「仰ったではありませんか。ユリウス様はわたくしのことが嫌い。だけれど、政略結婚をしなければならない。でも、わたくしに瑕疵があれば堂々と婚約破棄できる、と仰いましたわ。ねぇ、レオナ?」


 わたしに振るな、とレオナはびくびく思ったが、マリーウェザーは余裕の表情で続け、相反してユリウスからは血の気が引いていく。


「まさか嘘ではないでしょう? わたくし、嘘つきって大っ嫌いなんですの。ユリウス様はいつだって自分のお心に正直な方ですから、わたくしお慕い申してきましたのよ。でなかったら、とっくに婚約破棄を願い出ておりました」

「子爵家から公爵家に破棄を願いでれるわけがないだろう!」


 恐らくそれがユリウスの最大の強みだった。が、


「わたくしの父は交渉ごとに長けておりますこと、ご存知でしょう? 婚約の際に貴方の性格を懸念しました父が、わたくしからの意向で破棄が叶う念書を公爵様より頂いておりますの」


 ハイデン公爵がユリウスを可愛いように、ロアフ子爵もまたマリーウェザーを溺愛している。蒼白になるユリウスをレオナは「あーあ」と言う感情の元、出来る限り空気になって見守っていた。


「えぇ、ですので、わたくし嘘つき男とは結婚致しません。けれど、嘘をおっしゃらないユリウス様のことは大変お慕いしております。ユリウス様はわたくしを嫌っていらっしゃるけれど、家のことを慮りわたくしで我慢されるのでしょう? 責任感のある所も好ましく思います。これまでのわたくしの瑕疵をお許しくださるなら婚約は続けたいと思います。如何なされます?」


 これ以降のユリウスは「気の毒」の一言に尽きる。思春期で拗らせた少年の言動をマリーウェザーは決して許さなかったのである。ユリウスは、どんなにマリーウェザーに恋い焦がれても好意を口にできなくなった。その瞬間嘘つき男に成り下がり婚約破棄は免れない。


「嫌いだ」

「愛してなどいない」


 言っている分にはマリーウェザーはにこにこ笑い自分に従ってくれる。唯一真実を知るレオナはこの歪んだ関係を困惑しながら見続けてきた。

 何も知らない周囲の令嬢達が、ユリウスの悪態に乗じてマリーウェザーを嘲笑う度に、ユリウス自身は生きた心地がしなかった。好意を露わにすれば婚約を破棄されるが、冷遇していれば結婚してくれる保証などないのだ。


「わたくし、このような扱いをされてまで結婚などしたくありません」


 ある日突然マリーウェザーが掌を返し婚約破棄を言い渡すとも限らない。そして、現実には辛辣な態度を取り続けている事実がありありと存在しており、マリーウェザーの主張は酷く真っ当なのである。

 毎回の社交界では、マリーウェザーがどんなドレスを着てくるかで、ユリウスの精神状態は大きく上下した。


「ユリウス様はまたマリーウェザー様をエスコートされていないわよ」

「流石にお可哀想」


 同情と好奇の視線がマリーウェザーに注がれ、自分の周りには沢山の令嬢がダンスを申し込みに来る。内心はマリーウェザーに駆け寄りたい思いでいたが、本日は婚約者の務めとしてファーストダンスを願い出ることも、近寄ることもままならない。ユリウスは季節ごとに様々なドレスを仕立ててマリーウェザーに贈る。マリーウェザーの方もいつもは嬉しそうにそれを身につける。だが時折、明らかに贈り物ではない地味な色合いのドレスを着てくる。


「ユリウス様の婚約者として恥ずかしい瑕疵のある姿」


 で現れるのである。つまりが気分じゃないから近寄るな、と示している。やむなく離れて見つめるしかない。

 ダンスを申し込まれ無粋に断れないユリウスはダンスホールに向かうが、視界の中には常にマリーウェザーがいる。そんなユリウスを意に介さず、他の令息に声を掛けられ流行りのスイーツ店について談笑を続けるマリーウェザーに、


「もういい加減許してあげなさいよ。いつまで怒っているの?」


 とレオナが注意したことは数え切れない。


「わたくし、何も怒ってなどいないわよ?」


 しかし、マリーウェザーはにっこり笑って答えるのみである。ユリウスは気の毒だが、自業自得でもある。そんなに好きなら最初からあんな暴言吐かなければ良かったのに、とレオナは染み染み思う。そうして夜会が終われば、


「ロアフ子爵の手前、送らないわけには行かない」


 ユリウスは無理やりマリーウェザーを自分の馬車に乗せる。嫌々な体で。全くご苦労なのである。


「マリーちゃん、今日はハノイ卿と随分楽しそうにしていたけれど、何を話していたんだ?」

「ユリウス様には興味のない話題ですわ。つまらない話ですので」

「……マリーちゃん、もういい加減に、」

「いい加減に?」

「……なんでも言うこと聞くから」

「ユリウス様、何だか変ですわよ? わたくしはずっとユリウス様をお慕いしております。嘘など吐きません。嘘吐きは嫌いなんです。でも、そのお言葉はとても嬉しいです」


 言われればユリウスは混沌とした思いになる一方、若干の安堵を感じる。マリーウェザーの応報は学園や時折の社交界だけで、二人の時は当てつけな態度はとっていない。ユリウスが学園で不用意に近寄らなければ問題はない。だが、健気な令嬢として密かな人気を得ているマリーウェザーを放っておけず、あれやこれや絡んでいく。いろいろ残念なのである。

 そんな歪な二人だったが、卒業も間近に迫り結婚が現実味を帯びてきた。流石にこんな関係は終幕させるべき、とマリーウェザーも思案するようになった。そこへ飛んで火に入る夏の虫のご登場である。


「あのパメラって子、前の学校で王太子にちょっかい出して、転入してきたらしいわよ。こんな変な時期におかしいと思ったのよね」


 レオナが告げれば、マリーウェザーは笑った。


「わたくしと友達になってくださるそうよ」

「貴女の友達はわたしぐらいしか務まらないから」

「わたくし、嘘つきって本当に大嫌い」


 マリーウェザーの強い言葉にレオナは嫌な予感しかしなかった。案の定、マリーウェザーはパメラをユリウスに引き合わせ、


「友達なの。優しくしてあげてね。親切にして差し上げて」


 とお願いしたのである。なんでも言うことを聞くと約束したユリウスが逆らうわけはない。社交界でユリウスとダンスする意気揚々なパメラを見ながら、


「馬鹿ね。騙されて」


 とレオナは呆れて言った。


「レオナ、そんなことを言わないでちょうだい」

「あの女、どんどんユリウス様に近づいて行くわよ。ほら、つまずいた振りして寄りかかっちゃって。ユリウス様も断らないでしょうしね。貴方がそうしろと言ったんだもの。言質がある。本当に、貴方って、」

「レオナ、悪く言わないで。わたくしはユリウス様とパメラ様を信じているわ。わたくしを裏切ったりしない。大丈夫よ」

「何を期待しているのよ。もう、いい加減にしなさいよ」

「わかった。これで最後にするわ」


 そうして件のサロンの修羅場である。あの後、馬車に乗り込んだ二人の会話は、語るに忍びない。ユリウスの泣きの一手で、


「婚約破棄は絶対にしない! どうして? 全部言うこと聞いていたじゃないか。どうしたらいいんだよ? 絶対に結婚はする! してくれないなら死ぬしかない。もう生きていけない。ねぇ、マリーちゃん、さっきの変な女のことなんて誰も信じてないよ? マリーちゃんに瑕疵なんかないんだから!」


 完全に駄々っ子であった。次期公爵家の当主であり、学園では生徒会に入り、成績優秀、スポーツ万能、婚約者を冷遇することのみが唯一の難点であるユリウスの実際は、マリーウェザーの一挙手一投足に生きる死ぬの大騒ぎなのである。普段はある程度の矜恃を残して振る舞うユリウスの我を忘れた取り乱しように、流石のマリーウェザーも胸が詰まった。


「もしかして、ユリウス様は、わたくしを好いていらっしゃるの?」


 マリーウェザーの静かな声にユリウスが口籠る。


「昔はありえないとおっしゃってらしたけれど」


 二人の視線が重なる。しんとした馬車内に緊張が走る。マリーウェザーは不安に揺れているユリウスの瞳に鼓動が鳴った。マリーウェザーは自分が適当に選ばれた婚約者であることも、ユリウスの性格も知っている。だから、悪態をつき続ければ、そのうち我慢ならずに離れていくだろう、と思ってきたし、別にそれで構わなかった。最初のうちは。


「あ、愛しているんだ。もう抑えきれない」


 ユリウスが拳を握り締め意を決した声で告げる。笑ってしまう。お前でいい、ではなかったか。


「……人の気持ちは変化しますものね」


 ユリウスがマリーウェザーの柔らかな声に、顔を覗き込む。婚約者など誰でもよくて、誰でもいいから、マリーウェザーを選んだ。そして、それは確かに変化した。


「どうしても、君がいい」


 ユリウスの震える声にマリーウェザーは笑顔を隠しきることができなかった。






「何処が一途で健気な御令嬢なんだか」


 ふふっと笑うマリーウェザーにレオナは肩を竦めた。


「ほら、そろそろ時間よ。あんまり遅いと旦那様がが蒼白になって迎えにくるかもよ」 

「じゃあ、もう少し待ってみようかしら?」

「え?」


 レオナはマリーウェザーのドレスのベールをただし、式場へ向かう準備を整えていたが、不穏な発言に動きを止めた。


「ねぇ、レオナ、わたくしが怒ってユリウスに仕返ししていたって思っている?」

「え?」


 他に何があるのか。初恋を拗らせて暴言を吐いたユリウスに、同じく初恋を更に拗らせたマリーウェザーの長期にわたる仕返し。それが二人の呆れた関係性だと、レオナは解釈している。ある意味似たもの同士のお似合いだ、とも。


「わたくしね、ユリウスと婚約したばかりの頃、母に言われたことがあったの。男の子は好きな女の子を虐めるものなのって。だから、ユリウスはわたくしを好きなんだって、思っていたの」

「まぁ、有りがちな話じゃない?」

「でもそれって間違いなのよね。わたくし知ってしまったのよ」

「何が? ユリウス様は貴女を好きじゃないの」


 マリーウェザーが感慨深く頷いて言うので、レオナは眉根を寄せた。悪い予感しかしない。耳を塞ぎたかったが、生憎ウェディングドレスの裾を持ち上げるのに両手は埋まっている。


「そうじゃなくて、好きな子を虐めたいのは男の子だけじゃないってこと」

「ちょっとそれ、」

「でも、今日は結婚式だから止めておくわね。早く行きましょう」


 レオナが呆れ返るも、マリーウェザーはいつものようににっこり笑い式場へ歩き出す。とんだ勘違いをしていた。和解した二人はよい夫婦になるだろう、と。けれど、そんな理由ならユリウスのこれからはどうなるのか。最後にすると言わなかったか。しかし、レオナに引き止めるすべはない。


「知りたくなかったわ」


 朝に挨拶した際の最高に幸せに笑うユリウスが脳裏を巡るが、既に哀れな子羊にしか思えない。いや、しかし、今日だけは大丈夫なはずだ。マリーウェザーは嘘が嫌いなのだから。存分に幸せを味わい尽くすよう、後でそっと進言しておこう。彼の受難が続く人生に幸あらんことを、レオナはマリーウェザーの背中を見つめながら切に願った。

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好きな子は虐めたい話 榊どら @dorasakaki

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