第17話   母に紹介

 ☆

 わたしは家に着くと、まずシャワーを浴びた。


 病院では、継続点滴をしていたから入浴はできなかった。体は清拭してもらえたけれど、髪は洗えていない。


 温度が一定の室内にいても、毎日洗っていた髪を洗えないのは、かなりのストレスだった。


 髪を乾かし寝間着にもなる部屋着のワンピースに着替えて、やっと落ち着けた。


 大地君がご飯を作ってくれている。


 ラーメンに手作りのチャーシューをたくさん入れてくれた。卵は半熟だ。もやしもシャキシャキとして美味しい。



「久しぶりに美味しいご飯よ」



 わたしは、もう大地君のご飯に魅せられている。大地君のご飯じゃないと、美味しく思えない。



「ただのラーメンだ」


「そんなことない。このチャーシュー、すごく美味しいよ。もやしも卵も絶妙」



 大地君が笑っている。



「病院食、そんなに美味しくなかった?」


「薄味で、お魚が多くて、そのお魚が硬くて。ご飯ばかりが多かったわ。刻み野菜なんて、味もなくてウサギの餌かと思えたわ」


「へえ。貧血があるから肉とか出てくるかと思った」


「貧血の治療は薬だったから別物じゃないかな?妊婦さんはおやつがあったのよ」


「へえ、特別待遇?」



 わたしは頷いた。



「フルーツポンチとかプリンとか」


「食べたかったんだな?」



 大地君がまた笑った。



「うん。美味しそうに見えた」


「個室だったのに、別の部屋の事が分かったのか?」


「うん。お茶をもらいに部屋から出たら、おやつの時間だったの。配られているのを見て、欲しいなって思ってた」


「言ってくれたら、買っていったのに」


「人の物を欲しがったらいけませんって、母によく言われていたから。我が儘だと思ったの」



 ラーメンを食べ干すと、大地君が冷蔵庫からプリンを出してきた。



「退院祝い」



 ふたつのプリンをわたしの前に置いた。



「食べられなかった分と、今日の分」


「大地君も一緒に食べよう」



 わたしは1コを大地君の前に置いた。



「一緒に食べた方が、きっと美味しいよ」

「んじゃ、一緒に食べよう」



 わたしは大地君と一緒にプリンを食べた。

 ああ、美味しい。



「これからの食費の事だけど、もう家賃は払わなくていいから、一つ通帳を作って、そこに生活費を決まった額入れていこうよ」


「俺、花菜ちゃんを養うつもりでいたけど」


「わたしも働いているもの」


「花菜ちゃんの給料は、将来、子供が生まれて専業主婦になったときの、小遣いにすればいい」


「わたしが専業主婦?」


「仕事続けるつもりでいた?」


「うん」


「子育ては大変だと思うよ。まあ、子供が生まれるまでは、働いたらいいよ。順番に考えていこう」


「でも、営業部の給料、そんなに高くないよ。わたしを養えるほどもらってないと思うけど」



 わたしは自分の給料で計算してみる。子供を望むなら共働きだし、子育てをするなら、やはり足りなくなりそうな気がした。



「営業部のエースより、俺の方が基本給いいと思うぜ。俺、研究部の給料で雇われているんだ。お試しで営業部にいるけど、本当の籍は研究部なんだ。週の半分は研究部にいるよ」


「そうなの?」


「気付いていなかったんだな?」


「うん。いつも営業部にいるような気がしていた」


「しょっちゅう呼び出されていたから、毎日、営業部には顔を出していたけどね。そろそろ本業に専念させてもらおうかと思っているんだ。営業部との兼業は効率が悪くてね。営業部には花菜ちゃんの顔を見に行っていただけだからね。だから俺の営業部の成績はいつも底辺だっただろう?底辺にいても部長は、俺を叱れないんだ。社長の息のかかった特別な社員だから」


「よく分からないけど、大地君は社長の命令で営業部を手伝っていただけ?」


「命令じゃなくて、お願いだね」



 大地君がニッと笑った。



「大地君と社長は釣り仲間だけど、それ以外に何か付き合いがあるの?」


「社長が会社の株をかけて、小学生の俺と勝負をしたんだ。社長が持っている株式の全てを、俺は社長から奪ったのさ」


「え?」



 大地君が思い出し笑いをしだした。



「小学生にまさか負けると思っていなかったんだろうな。勝ったら会社をやろうって誘われたんだ。社長には子供がいなくて、俺を養子に欲しいと俺の父親に頼んでいたけど、毎回断られていたな。そこで社長は無謀な賭けをしてきたんだ。1日で鰺を何匹釣れるか勝負だ!って。俺は若いから体力が有り余っているけど、社長はもう歳だ。どんなに頑張っても小学生の高学年の体力には勝てない。


俺は圧勝した。釣り仲間はみんな証人だ。会社の株券の全てを俺が持っている。社長を代われと言えば、社長はすぐに引退するだろう。ただ俺は面倒だし、遊びだったから株券は返すつもりだったけど、社長が大学院に進んだ俺を後継者として引き抜いた。研究部に籍を置いて、営業部にも出入りさせているのは、会社の仕組みを学ばせるためなんだ。社長は本気で俺に、ここを継がせるつもりでいる」


「大地君、社長になるの?」


「まだ先の話だけど、そろそろ社長の仕事も覚えろと言われそうな気もする。結婚の報告もしたしね」



 わたしはあまりに大きな話に、ポカンとして話を聞いていた。



「だから、専業主婦でいいんだよ。今の給料は貯金しておけ」


「でも、大地君、すごく節約していたから、お金に困っているのかと思っていたの」


「家を建てたかったんだ。家族で住める一軒家が欲しかったんだ。だから節約していた」



 わたしは頷いた。



「どこに建てるの?」


「まだ考えてない」


「お爺ちゃんなら、ここに建てろと言いそうだけど」


「ここは小次郎爺ちゃんの家だ。でも、花菜ちゃんと結婚したと知ったら、小次郎爺ちゃんなら言いそうな気もする」



 遺産分与で、わたしはこの土地をもらう権利が出てくる。



「ま、そういうことだから、花菜ちゃんは俺のお嫁さんをしてくれたらいいよ。ご飯は俺が作るし、洗濯物は花菜ちゃんがしてくれたらいい。今まで通りと変わらないよ」


「ご飯はわたしが作ったら駄目なの?」


「駄目ではないけど、練習したい?」


「うん」



 大地君が嬉しそうに笑った。



「それなら、体調が良くなったら、少しずつ教えるね」


「ありがとう」



 家のチャイムが鳴った。



「あ、俺が出るよ」



 わたしは食べ終わった食器を台所に運んで、さっと洗う。



 ☆

「はじめまして、父に聞いて来ました。不在中に父がお世話になりました」



 なかなか家の中に入ってこない大地君を、追いかけるように玄関に行くと母がいた。



「お母さん、お帰り。家に入ってお話したらいいのに」


「それもそうね」



 母は、玄関を上がって、まずは仏間に入りお参りをする。

 その後、居間のテーブルの前に座った。

 わたしは冷蔵庫の中からお茶を出して、グラスに注ぐ。お盆に載せて、居間のテーブルに置いた。



「ありがとう、花菜」


「暑かったでしょう?」


「そうね」


「お仕事は順調に終わったの?」


「お正月に放映される新作のアニメ制作の打ち合わせよ。思ったより時間がかかって迷惑をかけたわ」


「大地君が、すごく手伝ってくれたの」


「お父さんから聞いているわ。ここに部屋を貸しているって。花菜の事も頼んでいるって言っていたわ。風邪は治ったの?」


「うん。お爺ちゃんに移すといけないと思って、大地君にお任せしたの」


「若瀬さん、本当にお世話になりました」


「いいえ、小次郎爺ちゃんは僕の釣り仲間で、子供の頃から世話になって来ましたから」



 大地君は頭を下げる母に、お爺ちゃんと特別な仲間だと告げた。



「あの、お母さん。話があるの」



 わたしは結婚をしたことを話そうとした。

 その前に、大地君の手がわたしに触れて、離れていった。



「ご挨拶もしてないのに、僕は花菜さんと籍を入れました」


「は?」



 お母さんの表情が、硬直した。



「大地君とは、職場が同じで、4年前からの知り合いだったの」


「職場結婚ってことかしら?」


「ここに尋ねてきたとき、大地君がいて驚いたんだけど、一緒に住んでいるうちに、結婚してもいいかなって思えるようになったの」


「花菜さんを一生大切にします」



 お母さんは、わたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。



「花菜がいいと思う人と結婚してもいいけれど、少し早くないかしら?」


「4年前から、花菜さんを想っていました」


「花菜は?」


「わたしも優しい人だと思っていたの」


「家からこの家に連れて来たのはお母さんだから、文句は言えないわ。お互いに想い合っているなら許します。若瀬さんのご両親には、挨拶をしたの?」


「まだです」


「順番が逆になってすみませんとお詫びもするのよ」


「はい」



 お母さんはお茶を飲んで、「帰るわ」と立ち上がった。



「お母さん、黙って入籍してごめんなさい」


「怒ってはいないわ。いい子ちゃんの花菜が、珍しく私の許可なく入籍したことに驚いただけよ。28歳ですからね。もう立派な大人になったのね」


「ありがとう」


「若瀬さん、花菜をよろしくお願いします」



 お母さんは、大地君に頭を下げた。



「こちらこそ、よろしくお願いします」



 大地君も礼儀正しくお辞儀をした。

 お母さんは微笑んで帰って行った。

 空は青かった。梅雨前なのに、夏のような暑さだ。

 背後から大地君がわたしを包みこんだ。



「花菜、少し休もう。倒れたら大変だから」


「誤魔化してくれてありがとう」


「一生、話さないよ。花菜のお母さんにとって、花菜はきっと宝物だ。今回のことを知れば悲しむと思う」


「一生の秘密にしてほしい」


「最善を尽くすよ」


「ありがとう」


「小次郎爺ちゃんは、日曜日に花菜の調子が良ければ報告しよう」


「うん」



 わたしは自分の部屋に布団を敷かれた。



「夜ご飯には起こすよ」


「うん。少し寝るね」


「おやすみ」


「おやすみ」



 額にキスされて、わたしは微笑んだ。

 照れくさくて、恥ずかしい。

 大地君は掛布のタオルケットを捲った。

 布団に横になると、タオルケットを掛けてくれる。



「気分が悪くなるといけないから、スマホを置いておくよ」


「うん」



 わたしのバックからスマホを取り出して、枕元に置いた。



「ありがとう」


「また後で」


「うん」



 大地君は、わたしを寝かせると、部屋から出て行った。

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