第18話



──ゴーン、ゴーン…。


 暮れ六つの鐘が聞こえる。同じ日の夕方、歳三と八郎は吉原に居た。昼間の男から必要な情報を聞き出した後、二、三、所用を済ませてこちらへやって来た。


 裏路地へ転がしてきた輩も、今頃は誰かが気が付いているかもしれない。路地から這いずり出て誰かに助けを請う事が出来れば、解放の時は早いが…。身ぐるみ剥がされ縛られた状態で、それをする意気地があるかどうかはまた別問題である。


「あいつら、まげも落としてやりゃ良かったか…」


 存外物騒なことを漏らす歳三に、八郎は目を丸くして笑った。


「そうですね。惜しいことしました」


 鐘の音が六つ鳴り終わると、あちらこちらから一斉に、三味線の音が鳴り始めた。夜見世の始まりである。


「まあ、あの恰好じゃ通りに出るに出られないでしょう。時間稼ぎくらいは出来ますよ」

「親父さんの迷惑料にしちゃ、安すぎだ」


 未だ納得いかない様子の歳三である。路地の角に立ち、行きかう人の波を眺める。徐々に提灯の灯りが明るくなってきた。


「あっ、花魁が来た!」


 冷やかし客の声がどこからか上がる。声のする方へ顔を向けると、揚屋へ移動する花魁行列が見えた。


(あいつの言った通りだったか)


 遊郭遊びで最も贅沢と言われるのは、引手茶屋へ遊女を呼び寄せる事だ。上客と言えども滅多に出来ない、まさに豪遊である。


 呼ばれた上級遊女(ほぼ花魁である)は、一人の客だけのために行列をなして揚屋へ赴く。茶屋の二階で上へ下への大宴会をする為だ。宴会の後は場所を移して、ようやくお目当ての女郎と床につく。


 それらすべての勘定は、当然ながら女郎を買った客が受け持つのだが、宴会代のみならず、茶屋の皆に配るご祝儀まで入れると莫大な金額である。


 当然ながら、おいそれと誰もが出来ることではない。庶民が一生かけてもお目にかかれない金子きんすが一晩で消えていく。(余談だが、厳密に言うと冒頭の花魁道中とは主旨が違う行列だが、冷やかし客にとってはどれも同じことである)


「よっ、花魁!」

「ああ、これでいい土産話ができた」

「これが、天下の吉原の花魁か…」


 やんややんやとはやし立てる連中の目線の先には、若い衆の掲げた箱提灯がある。そこには、燃え盛る火が描かれている。火炎玉屋の屋号だ。すなわち、花魁黛の行列である。


 道の端から遠目で眺める歳三達の前を、行列が厳かに通り過ぎていく。


(あんまり、気分の良いもんじゃねえよな。やっぱ)


 肌に馴染んだ見慣れた女が、見たこともない澄まし顔で別の男の元へ呼ばれて行く。頭では割り切っているはずでも苦い思いがせりあがるのはどうしようもない。


「店を確認しましょう」

「ああ…」


 だが、今日はのんきに行列見物に来たわけではない。行列に背を向けると、歳三は人混みに姿を消した。



◇  ◇  ◇


 その日の夜半過ぎ、品川へ至る街道沿いの暗いやぶの影に腰を据えた歳三は、道向こうの八郎に話しかけた。


「あんた、本当にいいのか。無事で済むとは限らねえぞ」


 ひそめられた声色は、真剣そのものだ。同じく薄闇の中、目をこらさないと見えない藪の影から顔を出した八郎は、一も二もなく答える。


「怪我が怖くちゃ、剣は握れませんよ」

「俺が言ってんのは…」

「わかってます。それこそ、心配御無用です。俺は俺の意志でここに居るんです。家も道場も関係ない」

「──なら、勝つしかねえな」

「よく言いますよ、勝つことしか考えてないくせに」

「わかってんじゃねえか」


 互いに頷き合って、それきり口を閉ざした。頭の上には星が瞬き始めて久しい。そろそろ歳三が睨んだ頃合いだ。


 二人がここに姿を隠す数刻前、二人は八郎の実家に寄っていた。八郎の義兄と話をする為であるが、歳三は初めて、歓迎され過ぎると返って居心地が悪くなる、という奇妙な体験をした。


(いざという時の口添えを約束してもらえたのはいいが…、どうにも調子が狂う)


 歳三はふるりと頭を振って、意識を切り替える。


(後の事は後で考えればいい)


 それきり、歳三は黙って道の先を見つめていた。二人が押し黙ってからしばらくすると、遠くに提灯の灯りがいくつか見えて来た。




「──来たぞ」

「ええ」


 狭い道を挟んで両側で、その時を待つ。徐々にその姿が見えてくる。連れだって歩いてくるのは、黒ずくめの集団。既視感を覚えるのも仕方がない。おそらくいつかの奴らとそう顔ぶれも変わらないはずだ。


(ひぃ、ふぅ、みぃ……思ったより多いな。これで負けたりしたら、あいつらに何言われるか)


 全力を期すなら、日を改めて四人で狙った方が確実だ。本来、今日はそのつもりで町へ出て来たわけではない。だが、急展開でここに至っている。


 目を凝らして数えた頭数は、全部で十一人。対するこちらは歳三と八郎の二人であるから、その差は大きい。当然、皆が帯刀した武家人である。番太らの比ではない。


 見ると、道向こうで八郎が指を五本立てている。


(俺に一人譲るってか。律儀な野郎だ)


 それに頷いて見せると、すぐにその姿を再び藪の向こうに隠した。六対一だろうと、五対一だろうとやることはそう変わらない。


 やって来たのは、先ほどまで吉原で豪遊していた一行である。彼らは皆一様に上下とも黒ずくめを着ており、今となればわかりやすい風体である。


(仕える上司が謹慎中なのに、関係してるのかね。それにしても、殿様と喧嘩する羽目になるとは…)


 いくら歳三と言えども、一国一城の主を闇討ちするわけにはいかない。とはいえ、喧嘩を売られたのはこちらの方だ。


 直接手を下せないなら、外堀を攻めるしかない。要は相手の戦意を削いでしまえばいい。出る所に出られたら困るのはあちらの方だ。


 昼に捕まえた奴から聞き出した話から、今晩、茶屋借り上げの総仕舞そうじまい(行事に絡めてやる大宴会、普段より高額になる)をやると知った。少し前には、近々恩赦おんしゃが出るかもしれないという噂を耳にした。恩赦が出れば、彼らの主君の謹慎が解かれる可能性は高い。


(謹慎が解ければ、奴らは国に帰る。つまり、夢の時間も終わりってことだ)


 江戸で謹慎中のはずの大名が、吉原の花魁を身請けして連れて帰るのは余りに聞こえが悪い。江戸に囲っていても、会う事ができなければ余計な醜聞を広めるだけである。結局は、限りある時間の中、火遊びと割り切っているのだろう。


 歳三は一行が最も狭い箇所に差し掛かるのを、じっと待った。



(今だ)


 夜目に慣れた歳三は、足元の小石を高く放り投げた。



──こつん。


「何や?」

「どうした」


 それを合図に八郎が、木に括り付けた縄を思いっきり引っ張った。



──ガササッ、ばきっ、バサバサ…


「何ながっ」

「誰かおるなが?」


 薄闇の中にあっても漆黒の影を作る木々は、人の恐怖心を簡単に煽る。姿の見えない不気味な音に右往左往する中に、時折土佐言葉が混ざる。


(郷士が半分ってとこか)


 子供だましもここまでである。最後に八郎が矢を天に放った。



──ヒューるる……


「敵襲だ!」


 空を切って音が出るように細工をした矢は、のどかな田舎道を一気に戦場に仕立て上げた。浮足立った連中に、弓を放り投げた八郎が飛び込んだ。瞬く間に一人が地に伏せた。


 明らかな人の気配に、誰もが刀を抜いた。そこへ今度は歳三が走り出た。真っ先に提灯を切って落とした。


 提灯の灯りに慣れていた奴らは、夜目が効かない。途端に薄闇の中に放り込まれ、戦々恐々として同士討ちし兼ねない状況だ。


(こっちには丸わかりだ)


 いつかの礼とばかりに、歳三が容赦なく斬りかかった。怒号と剣劇の音が飛び交い、狭い夜道は一気に騒然となる。暗闇の中でも迷いなく斬り込めるのは、夜目のおかげだけではない。


 現れた一行は全員が草履ぞうりを履いていた。言わずもがな、この時代のごく一般的な履物であるから当然である。だが草履は、乾ききった土を踏みしめるたびに、わずかに土鳴りの音を立てる。


 それに対して、歳三らはなめし革を張った地下足袋じかたびを履いていた。さらに脚絆きゃはんで押さえた足元は、旅装束でお馴染みの姿だが、袴に比べて格段に動きやすいだけでなく、足さばきで無駄な衣擦れの音を立てない。目と耳の両方で敵味方の区別がついているのだ。




退けっ、屋敷に知らせろ!」


 誰かの声で動ける者がバラバラと走り出た。あの襲撃の夜と違って、彼らの下屋敷が近いせいか地に転がった輩は置き去りだ。


 歳三は小さく口笛を吹くと、奴らが逃げた方角と逆に向って走り出した。すぐに道をそれて林の中に飛び込んだ。すぐ後ろを八郎が追ってきた。


「追わないんですね」

「必要ない」

「そりゃそうか」


 そのまま、しばらく走り続け、すっかり喧噪が聞こえなくなり、代わりに虫の声しかしなくなったので、街道脇まで戻った。深夜ということもあってか、主要街道といえど人気はない。


「追っ手は来てねえな」

「あれじゃ、しばらくは無理でしょう」

「そうだな」


 一旦呼吸を整えると、二人で街道脇にしゃがみ込んで脚絆を取り、地下足袋から草履へと履き替える。風呂敷に包んで腹に巻きつけていたものだ。


「これ、すごく動きやすかったです」

「ああ、そうだろ」


 外した脚絆と地下足袋を手に、八郎が感心したように言った。農家の生まれの歳三にとっては、慣れ親しんだ装束だが、武家の生まれの八郎には馴染みがない。日々目にすることはあっても、使った事はないのだ。未だ、旅という旅の経験がないのだから、それもしょうがない。


 お互いの服装を確認して、何事もなかったかのように街道に降りて歩いていく。


「今頃は、路地の奴らも合流しましたかね」

「そうだな、ようやく俺らの正体に気づいた頃じゃねえか」

「その報告を受けるのは、明日の朝…ですか」

「おそらく」


 今頃、親玉は吉原で宴会後のお楽しみの最中だろう。翌朝、はらわたの煮えくりかえるような報告を受けることを思うと、胸がすく。


 護衛の者らが深夜帰路に着くだろうと言ったのは、歳三である。確信はないが自信がある、と言いきった。これまでの動向から今夜もそうだと睨んだのだが、見事正解だった。


 吉原では引け四つ(午前零時頃)の拍子木が鳴ると、新たな客は取らない。帰路に着く客は大引け(午前二時頃)までに送り出し、そのまま朝まで過ごす客は女郎と一緒に床につく。


 つまり、護衛は傍仕えの者で十分事足りるのだ。むしろ、男ばかりがいつまでも居座る場所などない。


 家臣の中でも下級武士が当たる護衛は、決して高給取りではない。非番の日に安い昼見世に通うのがせいぜいで、夜見世の大店など、彼らに買える女郎は居ない。


 意外なことに吉原を支える客層は、武士を相手に商売する大店の旦那衆が多いのだ。




「想定より人数が多かったな」

「ええ、総仕舞いにあやかろうと、総出で繰り出したんでしょう。結果、痛い目見ましたけど」


 唇に笑みが浮かぶ。だが地面に転がった輩も、誰も死んではいない。無傷とは言えないものの、致命傷は与えていない。とはいえ、刀は鉄の棒である。


「しばらく動けねえな」

「それは間違いない」


 歳三もつい最近まで奴らの手にかかり、怪我で臥せっていたが、あの時の獲物は竹刀だった。


(下手したら使い物にならねえかもな)


 敵ながら、不運な上司に当たったことを気の毒に思う。


「奴らも生まれは選べねえ、ってことか」

「ええ、受け入れるしかない」

「そういう事だな」


 半刻ほど後、二人は道場の裏口からそっと戻った。何食わぬ顔で布団に忍び込んで、緩く目を瞑る。


(さて、明日は奴らがどう出て来るか…。あいつらと次に打つ手、考えないと…)


 しばらく考えを巡らせようとしたが、長すぎる一日にすぐに深い眠りに落ちて行った。





 翌朝、いつものごとく容赦なくたたき起こされ、道場で稽古がひと段落した頃、近藤が瓦版を手に入ってきた。


「おい、土佐が大変な事になっているぞ」


 それに顔を見合わせたのは他でもない、歳三と八郎だった。


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