第4話 出戻りに気をつけろ!

 最終回である。最終回にしなければ字数があれなので。

 というわけでめちゃ早いけど、これは最終回なんだなという気持ちで読んでほしい。よろしくな。君の心持ち一つで決まってくるからな!


 当然といえば当然だが、ホテルで働いている人間は配膳人ばかりではない。割と花形のフロントとか、お掃除係とか、リネン類を綺麗にしてくれる人たちだとか、ディナーショーとかになると外部の設営の人もやってくる。


 同じホテルで常勤していると割と各方面と顔見知りになるけれど、やはりそれぞれ人間の出す雰囲気? オーラ? 人相? 場の空気? なんかそういったものが全然違う。


 フロントの人はしゅっとしているし静か。まぁ受付でがちゃがちゃ喋ってたらいやだもんね。あまりがっつり関わってないけれど、フロントの人は我々配膳人のことを修羅の国の者と思っている節があり、顔を合わせると「若いのに可哀相に」というような感じで優しくしてくれる。


 お掃除の人たちは陰の人と陽の人の差が激しい。死体でも処理すんのか? という顔つきで客室に向かう人とか、汚れた10億でも隠し持ってんのか? という顔つきでリネンの入った籠を押している人とか、離島の島民か? みたいな感じで10メートル前くらいから元気に挨拶してくれる人とか。あと出会うたびチョコとかクッキーとかをくれるおばさまがいた。「あんた毎日いるねぇ!」とか言って。


 リネンの人はみんな職人なので、大抵の人がぶっきらぼうで、でも喋りかけると、はにかみながら色々教えてくれる。リネン室は地下二階にあって、その階のエレベーターを降りるともう湯気の匂いがする。清潔になる前の湯気の匂いと清潔になったあとの湯気の匂いが混ざっていて、なんだか懐かしい感じ。早急に用意しなければいけないテーブルクロスを他のセクションの人にぶんどられてしまって、泣きそうになりながらダメ元で取りにいったら「ちょっと待ってな」って言って出来たてホカホカのクロスを出してくれる。「こっちのがいいだろ」とかいって笑いかけてくれる。


 私は所属を決めないで働いていたので、フランス料理も中華料理も和食もバーもよく入っていたが、慣れてくるとみんなうちの常勤になりなよ、って言ってくれる。どこのセクションも慢性的な人手不足で、古い人間だけがずっといるのだ。


 フランス料理のセクション長はソムリエの資格をもっていて、でもワインの話ができる人がいないので、ワインの話ができない人にずっとワインの話をしている。


 中華のセクション長は女ボス(私を蹴っ飛ばした人。なんと社員ではなく我々と同じ配膳人だった)の大声に隠れていてまったく存在感がないが、女ボスがいないと「アイスを食べなよ」といってゆず味のアイスをくれる。


 和食のセクション長は和食の板前長が度を越したセクハラ・パワハラ人間(同衾を断られた若い女の子を山に置いてきたりする)のため心労が絶えず、もう十五年も単身赴任なのでたまに家に帰ると気疲れすると言っていた。でもいつも穏やかににこにこしていて、私のミスで怒らせたお客様に頭を下げに行って、それでもお客さんの怒りは収まらなかったんだけど「君も私も誠心誠意謝って、それでも怒りが収まらないのはあの方の落ち度だよ。我々の落ち度じゃない」と言ってくれてかっこよかった。


 どのセクションも楽しくて、どこの常勤になってもよかったけれど、でも私は宴会場の毎分毎秒なにごとか事件が起きて、ごちゃごちゃした泥臭い感じが好きだったので、常勤にはならなかった。それに一番えらい人たちは度々「こんな所にいるべきじゃない」と私に言った。理由はよくわからなかったけど。


 最終回なので顛末を話そう。


 ある日、まぁ、大抵はある日だ。ある日以外にことが起きるなんてことはない。

 いつもより軽めの勤務を終え、上がろうとしたとき背中が突然ブリキになってしまった。


 比喩かと思うかもしれないが比喩ではなく、ある種の人間は実は背中がブリキになることがあるのだ。背中がブリキになると、なんとじきに全身がブリキになりはじめる。ブリキの体は重たいしうまく動かないし、なんか背中にぬぐいきれない業が張り付いている感じで、端的にいって生きるのがつらい。で、ふと考えみると、休んだ記憶がなかった。


「明日は朝7:00集合ね!」

 リーダーが大声でいうので、私はそっと告げた。

「すみません、私もう3週間くらい休んでない気がするんですが」

 え、そうだった? とリーダーはカレンダーを見た。数えたら最後の休みが23日前だった。

「じゃあ明日休む? 明後日も?」

 とりあえず2日休みをもらうと、リーダーは大声で言った。

「死にそうな顔してるね! 僕は3ヶ月休んでないけど元気だよ!」

 ちょーこわいぜ、と思いながらブリキの背中のまま家に帰って、二日間布団の上でブリキのまま過ごした。


 二日後、出掛けに若干のパニック発作を起こして、ややブリキくらいの体調で宴会場に向かった。発作が起きるとその時はしんどいが、その後はそれ以前よりは頭の回転がましになる。いけるかもしれない、と調子に乗っていると、前方のイケメンジャイアンの腕にふくよかな女性が絡まっていた。


 はて。と思う。イケメンジャイアンが好んで同衾するのはコンサバ系の細い女子大生である。腕にからませておいている女性はむちむちしていておそらく30代前半であった。


「おはようございます!」

 舎弟として調教されていた私はイケメンジャイアンとその女性に元気よく挨拶をした。イケメンジャイアンはいつものごとく、おお、とだけ言った。女性はびっくりするほど女狐みたいな顔つきをして、今度は私の腕に絡みついてきた。


「はじめまして~。私がいない間がんばっててくれたんだってねぇ!」


 私はただただ「(なんかすげえ!)」と思いながら、おっぱいを腕に感じ、ややブリキの体を硬直させることしかできなかった。当時はマウントという言葉は使われていなかったけれど、あれは確かにマウントであった。あんなに完璧なマウントを取られることなどそうないのに、私はまだ心が純粋だったのでおっぱいが腕に触れていることに対し「(私のことが好きなのか!?!?)」と混乱することしかできなかった。


 どうも彼女は私が来る直前まで長い間、紅一点としてこのホテルでバリバリ働いていたらしい。で、なにかコスプレ的なこと? よくわからないけど何かが忙しくて一年近く働いていなかった。で、帰ってきたらよく知らない若い女が自分の後釜に収まっていた。ということだったらしい。当時はそんなことまで頭が回らなかったので「(お金払ってないのにめちゃくちゃスキンシップしてくれるな!?)」と思うだけだった。


 女狐さんは初日に「いない間のこと色々教えてね♡」と言っていたが、その日の終わりには「あれやったの? まだ? やってきて」みたいな感じで一年のブランクをなきものにしていた。


 パニック障害ということを差し置いても私はあまり物覚えがいい方ではなく、というかその頃にはもう割と頭の病状が次のステップへ進みつつあったので、やることなすことだいぶやばめだったのだけれど、文字通り尻を叩いてみんな助けてくれていたので、それまでなんとかギリギリ元気に狂いながら仕事ができていたのだ。


 女特有の~、とか女の世界は~、とかいう言説が私は毛が生えそうなほど嫌いなのだけれど、だって女に特有の女の世界なんて存在しないですからね! 陰湿さに男女関係ないですから。ただ、女に特有の苦しみからくる歪はたしかに存在しているわけで。


 女狐さんはそれから三ヶ月くらいの間、私に仕事とはなんたるかを教え込んだ。飲み会では料理を取り分ける、お皿を下げる、ビールを継ぐ、注文をする。カラオケでデュエットできる曲を一つ二つは覚えておく。太ももくらいまでは触らせてあげる。男同士の会話に入り込まない。にこにこ笑って相槌を打ち続ける。男だけの集まりに一人で参加してはいけない。どんなことを言われても笑っている。などなど。


 私は善悪とか倫理とかが元から分からなかったので、ただ女狐さんに教えられたことを必死に実行した。そうすると当然、都合の良すぎる女が出来上がる。が、女狐さんにはその結果が気に入らなかった。なぜならみんな若い女の方が好きだから。そして私が若かったから。


 ある日。

 粉カラシに水をいれて練りカラシを練成する仕事をしていると「まだそんなことやってんのかよ」と女狐さんが背後でつぶやいた。そのような言葉遣いをされたことが初めてだったので、私は振り向けなかった。どんくさいとか、なにかそんなようなことを、誰かと話していた。


 その頃には、いつもがんばってるねーってお菓子をくれて、ゆっくりでいいんだよ~と言ってくれていた主婦の人たちが、女狐さんの顔色を伺って私の指示をあまり聞いてくれなくなっていた。私は偉い人にお前が指示をしろと言われていたので困っていた。主婦の人たちは女狐さんと一緒に先に休憩に行ってしまった。でも私はカラシを全部作ってしまわなければいけなかった。指示したけど誰もやってくれなかったから。


 は!? 書いていて悲しくなってきたんですけど!?


 あぶねー、なんか泣いちゃう感じの雰囲気になってきたのでやめますけれども、そんなようなことがありつつ、それとプラスして副支配人に個室に呼ばれて頬を舐められたりなどして限界が来てしまったため、配膳の仕事はやめてしまったのだ。


(後年、久しぶりにホテルに訪れて馴染みの配膳人に「あの副支配人って定年したんでしたっけ?」と聞いたら「死んだ」とだけ返ってきた。死んでた)


 私は別の男社員にも女狐ちゃんの方が良い、お前はどんくさいしへらへらしてて気持ち悪いとか言われていじめられていて、辞める直前くらいの飲み会で、それまでお世話になっていた人たちに、もう辞めるかもしれないです、みたいなことを話していた。


 イケメンジャイアンは「やめろやめろ」とか言っていたが、酔っ払ってくると「お前は誰の言葉を信じてるんだよ」とか言ってデレていた。でも私にはもうその言葉を受け取るだけの気力と体力と健全な精神が残っていなかった。


 女狐さんは人が変わったように、時々私にものすごく優しくなる。そういう日は、ものすごく離れている私の家まで車で送り届けてくれる。甘い飲み物を買ってくれて、楽しくドライブをしてくれる。


「女にだって仕事はできるからね。馬鹿にされても、気にしちゃだめだよ。私たちの戦い方があるんだから」


 私は彼女のことを慰めたかったが、もう薬で眠くて、気の利いた言葉がでてこなかった。優しいときの女狐さんは私のことだけを心配し、愛してくれているような気がした。でも次の日になれば、また彼女は戦いに出るのだ。


 こんな所にいるべきじゃない、という言葉を思い出した。それは優しい言葉だったが、今も戦っている彼女のことを考えると、厳しい言葉でもあった。


 でも結局、私はその言葉を信じて辞めてしまった。それでも今でも、こんなエッセイに書くくらいはあの場所が好きなのだ。というような感じで、急に最終回を締めさせていただきます。

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