第10話 裏切らないよ
そんな感じで話しながら家に上がると、まずリビングに通された。対面式のキッチンに、四人用のダイニングテーブルとテレビとソファ。テレビとソファの間にはガラス天板のローテーブルが置かれてあって、その下にはブラウンのカーペットが敷かれている。
モデルルームのような部屋だと思った。
ゴミひとつ落ちていないところからも、彼女の両親の几帳面な性格がうかがえる。と同時に個性がないなとも思った。
好かれる要素がないかわりに、嫌われる要素もまったくない。
「ちなみにだがな」
諒太郎はソファに座ってから、キッチンに向かった聖澤に声をかける。
電気ケトルに水を入れながら聖澤が「ん?」と返事をしながら振り返った。
「もう一度言っておく。俺がお前の悩みを確実に解決できるっていう保証はないからな。砂化の件も今回のやつも。俺はプロじゃないから」
「それはほんとに大丈夫。だって……これは私の問題だし」
「どういう意味だ。これは私の、って」
「ううん。なんでもない」
苦笑いを浮かべた彼女にそう言われてしまえば、それ以上の追及はできない。
「それに、今日のは悩みじゃなくてお願いだって」
「悩みもお願いも同じようなもんだろ」
「全然違うって」
聖澤はそう言いつつ冷蔵庫の横の戸棚を開ける。中からコーヒーの粉を取り出してマグカップに適量入れ、電気ケトルのお湯を注いだ。
「ってか泰道くんはさ、どうして私のお願いを聞いてくれる気になったの?」
「別にたいした理由じゃない。気が向いただけだ」
同じ砂化症を抱えているから――の他にも理由はあるが、それをバカ正直に伝える必要はないと思った。
「えー、なにそれー。私たちはなんでも言い合えるじゅ」
「くねん夫婦とはもう言わせねーよ」
「じゃあどうして?」
「お前からコレをもらったからだよ。なんかこのままじゃ貸しを作ったみたいで嫌だったんだ」
床に置いていたリュックを持ち上げて、クマのキーホルダーを見せる。和沙とかいう女を救ったお礼に、聖澤からもらったものだ。
「なにそれ。私たちはもう友達なんだから、貸し借りなんて気にしなくていいのに」
「親しき中にも礼儀ありって言うだろ。友達って言葉に甘えてたらいつか痛い目見るぞ」
しまったと諒太郎は思う。
少しばかり、口調がきつくなってしまった。
聖澤は怒られたと感じたのか、表情を強ばらせたまま固まっていた。
「いや、まあその、つまり友達であり続けるためには、そういう礼儀も大事だって言いたかったんだ」
「うん。わかった。肝に銘じとく……けどさ」
聖澤は湯気の立ち上るマグカップ二つをお盆の上に置いた後、目は伏せたまま口を開いた。
「泰道くんって、その、友達に裏切られたことでもあるの?」
「は?」
急に心の壁の内側に足を踏み入られたような気がして、諒太郎は恐怖を感じる。聖澤がここまで踏み込んでくるとは思わなくて、心の準備ができていなかった。
当然、受け答えもたどたどしくなる。
「いきなりなにを、お前、そんな、お前」
「だって友達であり続けるためとか、一人がいいとか、そんなことばっかり言うし、クラスメイトと仲良くしたがらないのも、そういうことなら」
「そんなんじゃ、別に、ないから……」
否定しているが、背中は冷や汗でびしょびしょだ。
過去を、ウヨを、思い出してしまう。
裏切られたと言われればたしかにそうかもしれない。
それまでの関係性を壊すようなことを、裏切るようなことを最初に言ってきたのはウヨだ。
そういう意味ではウタは裏切られたと言っていい。
「俺は、別に、そんなんじゃ、ないっていうか」
だけど、ウタの方がひどい裏切りをしでかした。
もうとりかえしのつかない、ひどいことをしてしまったから、諒太郎はその日からウタというあだ名を捨てたのだ。それと同時にそれまでの自分も捨て、極力一人でいようと決めた。
「俺は、だから、その……」
「私は、泰道くんを裏切らないよ」
聖澤の声がすぐ隣から聞こえてきた。
顔を上げると、柔らかに笑う聖澤が隣に立っている。
諒太郎が俯いている間に移動していたのだ。
「安心して。私は絶対、泰道くんを裏切らない。だって」
聖澤がテーブルにお盆を置いてから、ちらりとTシャツをめくってお腹の砂を見せてくる。
「これを明かしてるのは泰道くんだけ。私は泰道くんを信じてるんだよ」
彼女はそのまま諒太郎の隣に座る。コーヒーの入ったマグカップを諒太郎の前に置いてから、肩に手を乗せてくれた。
「それに、泰道くんも私を裏切らないって、知ってるから」
諒太郎は聖澤から目を逸らす。
こいつはなに一人で勝手に心配してくさいこと言ってやがんだ。
裏切るとか裏切らないとか、こいつとそんな信頼関係を交わしたって過去がなくなるわけじゃない。
「なんだよそれ。お前は人をすぐ信じすぎだし、俺が裏切らないかどうかはわかんないだろ」
「そんなことないよ。だってそれ、つけてくれてるじゃん」
聖澤が嬉しそうに声を弾ませながら、諒太郎のリュックについているクマのキーホルダーに視線を向ける。
「だからそれは、ただ単にもらったからで」
「そうやって素直になれないところも逆に可愛い」
「うるせぇ」
これ以上、こんな青春ごっこみたいなやり取りをしていると気がくるってしまいそうだ。
諒太郎はゴホンと咳払いをして話題を変える。
「ってか、なんで毎回コーヒーなんだよ」
聖澤は、諒太郎が図書準備室にいった時も缶コーヒーを用意していたし、今日だって「なにがいい?」と聞くことすらせず、当然のようにコーヒーを用意した。
「え? だって好きなんじゃないの?」
キョトンと首をかしげる聖澤。Tシャツの首元が緩んで、角度も相まって鎖骨やそれ以上が見えそうだ。
「俺が、いつコーヒー好きだって言ったよ」
「あの喫茶店で飲んでたじゃん」
「ああ、あれは……」
そうか。だからこいつ勘違いを……と諒太郎はあの日の自分の行動を後悔した。
ここで誤解を解いておかないと後で困る。
顔が熱くなるのを感じながら、諒太郎は真実を告げるために口を開く。
「なんていうかな、その……あのコーヒーはあの場の空気に合わせただけっていうか」
「え? じゃあ泰道くんコーヒー好きじゃないの?」
「ま、まあ、むしろ苦くて嫌いっつーか」
「じゃあなんで頼むの?」
「あの場でコーヒー以外のもの頼めないだろ。あの場の雰囲気にはコーヒーが一番合うから、まあ、見栄みたいなやつ」
「なにそれ。泰道くんも意外と格好つけたりするんだね」
「うるせぇ。相談聞いてやらねぇで帰るぞ」
「あ、ムキになった。やっぱ可愛い」
恥ずかしくて死にそうだが、ここで本当に立ち去るのはもっと格好悪い。
「じゃあそれも私が飲むから、なにがいい?」
って言っても麦茶しかないけど、とつけ加えながら聖澤が再度キッチンに向かう。その背中はなぜかものすごく嬉しそうに見えた。
それは弱みを握ったってことですかね……。
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