第4話 自分勝手

「それでね、泰道くん」


 それからしばらくの間、DV男の愚痴を話し続けていた聖澤は、仕切り直しと言わんばかりにコホンと咳払いをして、鞄の中からラッピングされた小さな袋を取り出した。


「これ、昨日のお礼。助けてもらったのにビンタして本当にごめんなさい。過程はどうあれ、和沙を救ってくれたのは事実だから」


「なるほど。そういうことかよ」


 これを渡すことが今日の本当の目的だったのか。謝罪と感謝の気持ちをきちんと言葉にできるあたりに、彼女の人間性が垣間見える。


 諒太郎は袋を受け取り、鞄の中にしまう。


「ってかわざわざこんなとこまで連れてこなくたって、教室で渡せばいいだろ」


「それはっ……」


 聖澤の表情に一瞬影ができた気がしたが、


「ってか泰道くんも泰道くんだよ。なんであんな風にしか救えなかったの?」


 すぐに責めるような視線を向けてきた。


「あんな風って?」


「汚い言葉ばっか言ってたじゃん。もしあれで和沙がもっと傷ついてたらどうするつもりだったの?」


「は? さらに傷つけるだけだけど」


「え?」


 聖澤が目を丸くする。


 ああ、めんどくさいけど説明するかぁ、難しいんだよなぁ言葉で説明するの。


 諒太郎は小さく息を吐いた。


「お前さ、【閾値(いきち)】って知ってるか?」


「ヴァンパイアの好物のこと?」


「それは生きている血な。俺が言ってるのは【感情の閾値】のこと」


「知らない」


 やっぱり。ってか普通はそうか。


 諒太郎はどう説明すればいいだろうかと、頭の中で単語を慎重に選び、言葉を組み立てていく。よりわかりやすい言葉を使うよう心掛けた。


「閾値っていうのは、かみ砕いて説明すれば、人がふっ切れるボーダーラインって感じかな。人は誰しもある程度のストレスに耐えられるようになっている。でも、そのストレスがある一定のラインまで達して、それを超えると、『なんで私こんなことで悩んでたんだろう! 我慢してたんだろう!』って開き直れるんだ。これが、ふっ切れたってことな。あの時俺は、あの女に罵詈雑言を浴びせて、強制的にストレスレベルをふっ切れるボーダーラインまで引き上げたってわけだ」


「……なる、ほど」


 腕を組んで深くうなずく聖澤。


 曖昧な返事だったため、理解したのか理解していないのかわからなかった。


「でも……さ。もっと他の方法はなかったの?」


「他って?」


「誰も傷つかない方法」


「あるよ。いっぱい」


「じゃあ、だったら別の方法で」


「バカかお前。DVだぞ? じゃなきゃ俺だってあんな方法はとらない。あの場であの女が死にたくなるような恥をかいても、実際に死ぬよりましだろ」


「死ぬって、そんな大げさな」


「明日拳が包丁に変わらない保証がどこにある?」


 きつめの口調で告げると、聖澤の眉がぴくついた。


 ようやくDVの本当の危険性を理解したみたいだ。


「あるわけないんだよ、そんなの。だからどれだけ恥をかいたって、惨めな思いをしたって、生きてる方が何百倍もましなんだから、手段なんて選ばずに早く解決しなきゃいけないんだ」


「でも、泰道くんからしたら和沙は赤の他人じゃん。そんな人のために、私からはビンタされて、和沙からはコーヒーかけられて」


「赤の他人だからこそだろ」


 本当にこいつはなんもわかってないのな。


「じゃああいつの友達のお前は、俺みたいな言葉を言えたか?」


「それは……」


 聖澤が悔しそうに唇を噛む。


 友達だからこそ言えることがあるように、他人だからこそ言えることもある。


「な、だからこれでいいんだ。俺一人が嫌われるくらいで誰かの命が救われるなら安いもんだろ。どうせ俺は和沙とかいうやつと、今後一切会わないんだから」


 聖澤は黙り込んでしまった。


 諒太郎は声がきつくなりすぎたか? と思い、軽いトーンを意識しておどけてみせた。


「ま、あのお気に入りの喫茶店に恥ずかしくてもういけないってのは、ショックだけどな」


「……そうだよね」


 冗談で言ったつもりだったのだが、聖澤は本気で捉えてしまったらしい。


 くそ。


 こういう空気は苦手なんだ。


 諒太郎がなんとか場を取り繕おうと頭を働かせていると、聖澤が儚げに笑った。


「泰道くんはすごいね。ほんとすごい」


 心から言っていると伝わる、柔らかな声だ。


「なんていうかさ、私は自分の立場ばっかりで、本当に人のことを考えられてないっていうか」


「俺の方法は赤の他人だからこそできたことだ。お前が自分を責めるようなことじゃない」


「違うの。そういうことじゃなくて」


 聖澤がふるふると首を横にふる。


「だって、私が泰道くんに教室でお礼を渡せなかったの、私がクラスで浮くのが怖いからなんだ。私は昔からクラスの中心にいて、明るくて、そういうキャラだから、それが壊れるのが怖いっていうか」


 その説明、暗に俺を傷つけてますけど? と諒太郎は思ったが、カースト上位という立場の聖澤だったら無理もない考え方だと、そんなしがらみに囚われている聖澤に同情すら覚えた。


「なるほど。ラノベばっかり読んでるボッチの俺にプレゼントなんか渡そうものなら、たしかに目立って仕方ないな」


「そういうこと」


 即答で肯定しやがったぞこいつ。


 ちょっとは否定してくれないと、自虐が本当に自虐になっちゃうじゃねぇか。


「それに手紙も。宛先書かなかったの、ラブレターぽいじゃんって思ってさ。みんなにばれた時に名前書いてたら、からかわれたり、あんなやつのこと好きなのって、その……キャラじゃないから」


「ああ、それでか」


 諒太郎は今朝手紙を読んだ時のことを思い出す。たしかに宛先は書かれていなかった。


 なるほど。


 さっきの天然発言は撤回しなければいけない。


 こいつは意外と頭いいのかも。


 いや……自分の立場を守るのに必死なだけか。


 諒太郎は、変なところばかりに気を遣う彼女にまた憐れみを覚えた。


「別に謝るなって。気にしてないから」


「うん。……でも」


 彼女は遠慮がちに破顔する。


「私ほんと最低だね。泰道くんは和沙を救ってくれた人なのにさ。自分が傷つきたくないって、自分の保身のために泰道くんを傷つけるような手法を取れちゃう」


「そうでもないぞ」


 諒太郎はきっぱりと否定した。自分を否定する彼女を見ていると、どうしてもあの日のことを思い出してしまって、励ましの言葉を言わずにはいられなくなったのだ。


「俺は逆に嬉しかった」


「え……嬉しいって、泰道くんってドMなの?」


「ばっか違うわ! どうしてそうなる?」


「だって傷つけられるのが嬉しいって」


「そういうわけじゃない。名前の件が、俺を信じてないとできないことだから嬉しいって言ったんだよ」


 こういう感情の機微を自分で説明するのは恥ずかしいが、ドMだと勘違いされるよりはましだ。 


「聖澤は、俺が手紙のことをみんなにばらさないって信じてくれた。だからさっきの名前を書かない作戦ができた。そうだろ?」


 聖澤の隠匿作戦は、諒太郎がみんなに言いふらさないことが前提になっている。なぜなら諒太郎には、手紙の差出人が誰か判断できるのだから。


「それ、は……、たしかに」


 今気がついたと言わんばかりに、目を見開く聖澤。


「お前、それ気づいてなかったのかよ」


「そんなこと考えもしなかった」


 諒太郎は、眉間を抑えながらため息をついた。


「でもまあ、そういうことだ。だから気にするな。それにお前は、こうやって悪いことしたって面と向かって謝罪ができる。それはすごいことだ。自分を毛嫌いする必要はない」


 励ましの意味も込めて褒めてやると、聖澤は頬を朱色に染め、前髪を触りながら顔を伏せた。


「あ、ありがとう、ございます」


 そんなあからさまに照れられると、こっちまで恥ずかしくなるんだが?


「でも……そっか」


 聖澤は赤い頬のまま小さくうなずく。


「昨日のもどかしさは、私の嫉妬からきてたんだ」


「は? もどかしい? 嫉妬?」


 聞き返すと、聖澤はゆっくりと顔を上げ、ごまかすように笑った。


「なんでもないよ。泰道くんはすごいって言ったの。私は誰かに嫌われる怖さでいつもいっぱいだから、誰かに嫌われてでも人を救える泰道くんが羨ましい」


「お前の方が普通なんだって。俺は友達もいないし失うほどの立場もないから、こんな風にふるまえるだけだ。誰だって言いたいことが簡単に言えたら苦労はしない。そんな簡単には割り切れない」


「ほんと、泰道くんは優しいね。励ましてくれてありがとう」


 聖澤は諒太郎の目を真っすぐ見て、弾けるように笑った。


 その笑い方がどことなくウヨの笑い方に似ている気がして、諒太郎は彼女の笑顔から目が離せなかった。

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