砂の鎧をまとう僕らは
田中ケケ
第1話 最悪の出会い
彼女のお腹は【ざらざら】していた。
さらさらでも、つるつるでも、すべすべでもない。
ざらざらしていた。
二人以外誰もいない、日に焼けた本のにおいが充満している放課後の図書準備室。
「そんなにぃ、されるとぉ、くすぐっ、たいぃ」
「悪い! そんなつもりじゃ!」
聖澤の喘ぎ声が聞こえ、諒太郎は慌てて手を離す。
「まあ、そういうことだから」
たくしあげられたセーラー服の下、聖澤のくびれたお腹が声と共に少し凹む。彼女のちょうどいい大きさの胸を支える水色の下着が、少しだけ顔をのぞかせていた。
「だからお願い」
彼女はセーラー服をもとに戻してから、キャビンアテンダントのようにきっちりと体を折り曲げる。ゆるふわボブヘアーの毛先が、あごのあたりでゆらゆら揺れていた。
「私を助けて」
「助けて……って」
彼女の必死な姿から目を逸らして、諒太郎は人差し指の先と親指とをこすり合わせる。
指先には、先ほどのようなざらざらとした感触は残っていなかった。
「もう一回、見せてくれるか?」
「まだお腹、見たいの?」
「そんな簡単に信じられるわけないだろ」
「ううぅ。私にも恥ずかしいって感情があるんだからね」
頬を紅潮させながら、彼女がまたセーラー服をたくし上げる。
諒太郎は彼女のお腹を凝視し、またそっとなぞる。
くすぐったさに必死で耐えている彼女の息遣いが、背徳感を心地よく刺激してきた。
「どういう、ことだ」
やはりざらざらしている。
普通はみずみずしくてハリのある、きめ細やかな肌色のはずなのに。
「……あり、えない」
彼女のお腹は、砂でできていた。
そんな彼女との出会いを一言で表すなら、最悪が適していると思う。
***
学校が休みの日、諒太郎はレトロな雰囲気漂う喫茶店で、ゆったりとしたひとときを過ごすことが多い。
日曜の昼下がりにお洒落なBGMを聞きながら、マスターの入れるブラックコーヒーをちびちび飲み、静かに小説(ラノベですけどなにか?)を読む。
控えめに言って、イケてると思わないか?
しかも、それをやっている諒太郎は、大人っぽい印象を与える切れ長の目と、ただの黒のジャケットをすらりと着こなすスタイルの良さを兼ね備えている。高校二年生でありながら、ページをめくり文章を目で追っていく姿から、大人の色気がにじみ出ている。
ま、彼の心の中は今、台風が到来しているのかってくらい荒れに荒れているのだけど。
くそが。
ぬるすぎんだよ。
そう思ってしまうのは、隣に座っている女子高生二人の会話が耳に入ってくるせいだ。
「でもさ、それってやっぱりDVだよね?」
女子高生のうちの一人、美人の方が前のめりになる。可愛らしい女子にしか似合わない髪型の代表例、黒髪のボブヘアーが小さく揺れた。
彼女の名前は聖澤翼。
諒太郎のクラスメイトで、クラスの上位カーストに所属する女の子だ。
クラスで孤独を貫いている諒太郎は、当然彼女と話したことなどない。
隣にいるのに全く気づいてもらえないレベルの、赤の他人だ。
「いや、私が悪いのは本当だから」
微苦笑を浮かべている幸の薄そうな女の方は、見たことがなかった。
聖澤の中学時代の友達ってところか。
「そんなことない。殴る方が悪いに決まってるよ。絶対別れた方がいい」
「でもさ」
幸薄女がアイスコーヒーの入ったグラスを握る。
彼女の右手首には、五百円玉ほどの大きさの青あざがあった。
「やっとできた彼氏だから。五回も告白したんだよ?」
「それはそうかもだけど」
聖澤は少しだけ眉根を寄せる。
「でも、
「たーくんは優しいところもあるよ。私、知ってるから」
「和沙にはもっといい人がいるって」
「ありがとう。でも私はたーくんがいいの」
聖澤の説得が、和沙という女に届く気配はない。
当たり前だ。
上辺の言葉をかけることしかできていないのだから。
「私には、たーくんしかいないんだよ」
諒太郎は本を机の上に置き、コーヒーを一口飲んだ。
口の中に苦味が広がる。
「だってさ、好きになった人が好きになってくれたの、私は初めてなんだ。心配してくれてありがとね」
聖澤は今、和沙という女に痛烈な皮肉を言われたことに気づいただろうか。あなたみたいに可愛ければ彼氏なんて簡単に作れるでしょうけど、という直接的な言葉を飲み込んで、顔に微笑を張りつけた幸薄女を今は褒めるべきか。
「……和沙」
呟くことしかできなくなったところを見るに、聖澤もその皮肉に気がついたようだ。自分が男子にモテる容姿や性格であることを自覚しているのは高評価。無自覚よりはるかにましだ。
「じゃあ、私もう帰るね」
幸薄女が隣の椅子の上に置いていた鞄を持って立ち上がる。
「久しぶりに連絡来てびっくりしたけど、会えてよかった。でもほんとに私は大丈夫だから。翼は心配しなくていいよ」
「あ、待って」
聖澤が慌てて呼び止めるも、次の言葉が出てくる様子はない。幸薄女の腕に伸ばした両手が中途半端な位置で止まっている。
「翼? まだなにかあるの?」
「え、えーっとね……、その…………」
気まずさが二人の間に立ち込めていく。
怪訝そうな顔で聖澤を見つめていた幸薄女が、「なにもないなら、じゃあね」と言った瞬間。
「ぬるすぎんだよ。お前らさ」
諒太郎は、喫茶店中に聞こえるような声をあえて出しながら立ち上がると、聖澤を冷めた目で睨みつけた。
「だ、誰、ですか」
聖澤が諒太郎を見る。
その視線には怯えが込められていた。
「誰でもいいだろ。ってかお前はもう引っ込んでろ」
諒太郎は和沙とかいう女の目の前に立つ。
「なぁ、お前さ」
「え、わ、わた、私?」
和沙とかいう女の背中がピンと伸びる。
喫茶店の他の客も、グラスを拭いていたマスターも、諒太郎に動揺と好奇の混じった視線を向けてきた。
「あ、あなたもしかして、泰道くん?」
聖澤に名前を呼ばれる。俺の名前知ってたのかよ、と諒太郎は驚いたが、まあ、そんなこと今はどうでもいい。今後一切この二人にかかわるつもりはないし、そもそも現段階で二人に興味もない。にもかかわらず、ついそんな赤の他人を助けてしまうあたり、本当に俺は過去に縛られているなと、心の中で自分を冷笑した。
「お前、自分がさっきなんて言ったかわかってるのか?」
「……」
諒太郎の威圧的な言動が怖いのか、和沙とかいう女は無言のまま体を震わせ始めた。
喫茶店に流れている小洒落たBGMは、この険悪なムードを和ませてはくれない。
「好きになった人が好きになってくれた? んなわけねぇだろ。バカか」
和沙とかいう女の右手首を掴み、そこにある青あざをぐっと押さえつける。
彼女は「いたっ」と顔を歪めた。
「お前の彼氏……たーくんっつったか。ってか今どきたーくんってダサっ。しかもただのクソDV野郎だろ。お前のことを都合のいい女としか思ってねぇよ。ま、お前みたいなクソ女とつき合う男なんざ、そんなクズ野郎しかいないだろうけどな。クズにはクズしか寄りつかないから」
「ちょっと、泰道くん」
聖澤の声が後ろから聞こえてくるが、ガン無視。
「自分でわかってんだろ? DV野郎とつき合ってるお前自身もクズだってこと。お前は一生クズとして、クズとしかかかわらない人生を過ごすんだよ。お前みたいなやつにはそれがお似合いだ」
こんなにも酷い言葉が出てくる自分って、と逆に笑えてくる。
「ほら、自分で言ってみろ。私はDV野郎に人生を捧げるようなアホ丸出しの女です、って。それに喜びを感じてしまう都合のいい女です、って。ほんと傑作だよ。近年稀にみるバカ女だわ。利用されるだけ利用されて、ほんと惨め……あ、もしかして私より惨めなやつはいないでしょって、みんなの反面教師やってくれてるんですか? あー、そっかそっか悪い悪い。そうだよな。だって普通に考えてお前みたいな依存恋愛、普通の感覚の人間がやるわけないもんな。すまんすまん。俺の考えが甘すぎたわ。反面教師ありがとう。だよなーそうだよなー」
「なんであんたにそんなことまで言われなきゃいけないんだよ!」
和沙とかいう女の顔が真っ赤に染まる。公衆の面前でボロクソに言われたことによる恥ずかしさ、怒り、惨めさが爆発していることは明白だ。
「え? 俺真実しか言ってなくない? ってか図星の人しか逆ギレしないらしいよ」
「ふざけんな!」
店中に響き渡る声で叫んだ和沙とかいう女は、テーブルの上のグラスを掴むと諒太郎の顔にアイスコーヒーをぶっかけた。
「キモ! 死ね!」
その言葉を捨て台詞に走り去る。
からんころんからん、というどこか懐かしい鈴の音が、沈黙の中をいつまでも漂っていた。
「あ、あんたさいってい!」
やがて、そんな言葉と共に乾いた音が鳴った。
聖澤が諒太郎の頬を叩いたのだ。
「ってえ……」
諒太郎が頬をさすっている間に、聖澤は和沙とかいう女を追いかけて、喫茶店からその姿を消した。
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