30.負い目

「それで、わざわざ改まって話っていうのは?」


 団長執務室のソファーでふたりは向かい合う形で腰かけ、ローガンが問いかけた。


 ヨハンは神妙な顔つきで口を開く。


「単刀直入に言います。……団に戻る気はありませんか?」


 ローガンは眉を顰めた。


「……悪いが団に戻る気はない。今更俺なんて必要ないだろう。それに、今の俺には戻る資格も……気概もない」


「……隊長」


「もう隊長じゃない。その呼び方はやめろ」


 ぴしゃりと言い放つ。それまでなあなあで済ましていたその呼称を通して、殊更強く拒絶を示すように。


「…………ローガンさん、災獣被害の増加傾向についてはダリルから聞いている筈です。まだ、この団には……この国にはあなたの力が必要です」


「……百歩譲って本当に俺が必要だったとしても、それはかつての俺であって今の俺じゃない」


「いいえ、今も昔も関係はありません。この団を纏め上げるにはあなたが……“双牙の英雄”が必要です」


「もう“双牙”でもない」


 そう言ってローガンが自嘲気味に左手をひらひらと振って見せる。


「…………ローガンさんもその目で見て、口にしていたでしょう。若手の練度が足りていないと」


「……それは」


 ヨハンが団長になっていることを知らなかった時、確かにその旨を口走った。


「さっきにしてもです。訓練中、前日に私が釘を刺していたのにも関わらずあの結果でした」


「…………」


「分かるでしょう? 結局私では団を纏め切れていない。このままではいずれ致命的な破綻が訪れる……団長には私ではなく、順当に隊長が就くべきだったんです」


 自嘲と諦観と、悔恨。様々な感情がない混ぜになった苦い表情にローガンは一瞬、言葉を失う。


「……それはお前がまだ若すぎるからだろう。それもお前が力を示し続ければおのずと解決する」


 立場に釣り合わない若さというのは、往々にして周囲からのやっかみや侮りを買う。確かにさっき訓練をそっちのけでシスカ達に群がったような団員の反応は、ヨハンへの侮りと取れるかもしれない。


 しかし、ローガンから見ればそこにはある種の信頼からくる気安さにも感じられた。少なくともヨハンが団員から疎まれているようなことはない筈だった。


「……仮にそうだとしても、平時ならさておき今は一刻を争います。団の結束や練度の問題は早急に解決すべきです」


「すればいいだろう。お前になら出来る筈だ」


「……どうあってもお戻りいただけないと?」


「くどい」


「……あなたはまだ、あのことを引きずっているんですね」


 ぴくりと。ローガンの肩が揺れる。


「……ヨハン」


「“双牙”じゃないなんていうのは建前でしょう。あなたは現状でも十分団で通用する、それどころか上から数えた方が早いだけの実力をまだ持っている。その上で戻らないのは、負い目があるから」


「ヨハン」


「しかし、あれは隊長のせいじゃない。が——」


「ヨハンッ!!」


「っ……」


 ローガンの怒声が室内をびり、と揺らす。


「その話はやめろ。……やめてくれ」


「……申し訳、ありません」


 しばし、気まずい沈黙が部屋を満たす。


「……話がそれだけなら、俺はもう行くぞ」


 言って、席を立とうとするローガン。


「…………ここしばらくで多発している災獣被害は人為的に引き起こされている可能性があります」


「……何?」


 突拍子のない情報にローガンは怪訝な表情を作る。ヨハンは引き出しから書類を取り出してローガンに手渡す。以前ダリルが持ってきたものより詳細なレポートが書かれている。


「災獣は基本的に災地からしか発生しない。にも拘わらず、現状把握されている災地とは離れた地域での災獣被害が多発しています」


「これまでもが出ることはあっただろう」


「頻度が桁違いです。通常はせいぜい年に数度のことが、数カ月ほど前から災獣は国内各地で散発的に発生しています」


「……何者かが災獣を連れてきているとでも? そんな馬鹿な……」


 災獣。


 遥か昔、かつての大戦より大地に出でて人類種を滅ぼさんとした邪神の徒。その残滓は、主戦場となったラシル大陸から遠く離れたフェイル大陸において、未だその猛威を振るっており、先の大厄災での絶大な被害はまだ記憶に新しい。


 彼奴らにまともな知能はなく、その存在意義はただ人類を抹殺することだけにある。


 災獣はヨハンの言った通り、災地と呼ばれる発生源でしか生まれない。


 把握されている災地には駐屯地が敷設され、発生次第それを討滅するという方法で被害は抑えられていた。


 災地自体の規模はピンキリであるため、中には認知されていない小規模な災地があるとされ、そういった所から生まれたものがとなる。


 災獣や災地について分かっていることは多くないが、ただひとつ明確に言えることは災獣が魔人を含めた人類にとっての不倶戴天の敵ということである。


 そんな災獣が人の手で操れるとは想像しがたかった。


「大厄災と同様に災地の急激な活性化が起こっている可能性は?」


「その線はほぼありません。それにしては規模が中途半端ですし、何より発生源が全く絞り込めていません」


 特定の災地が活性化しているなら、その地点を中心に災獣の動きが追える。被害場所からはそういった流れが一切見て取れなかった。


「加えて、生き残りから共通の目撃証言があります」


「目撃証言?」


「——隻眼の男を見た、と」


「ッ……!」


 ローガンが目を見開き、息を呑む。


「……それがやつと決まった訳ではありません。ですが、」


 険しい表情のローガンにヨハンが何事か続けようとした時、室ないにノックの音が響いた。


「……誰です?」


「クレイヴだ、失礼するぜ」


 顔を覗かせたのは訓練中の筈のクレイヴだった。


「どうかしましたか? まだ昼食の時間には早いと思いますが」


「そうかぁ? 俺の腹はもう昼時気分なんだけどな~……ってんなこたどうでもいいんだよ。ローガンんとこのガキがどっか行っちまったぞ」


「何?」


 ローガンが眉を顰める。


「どうにもレシウス坊が来てたらしくてな。連れだってどっかに行ったらしい」


「レシウスが?」


「おう、しかもなんか剣呑な雰囲気だったみたいだぞ」


「剣呑?」


「ああ。俺が見たわけじゃねーから何とも言えんが、喧嘩でもしたんかね。まあ滅多なこたないと思うが一応報告だ」


 それだけ言って部屋を後にするクレイヴの背を見送って、ローガンが嘆息する。


「……話は一旦終わりだ。俺はあいつらを探してくる」


「分かりました。……思う所もありますので、私も探します」


 浮かない表情のまま、ふたりも部屋を後にした。

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