19.二度あることは

「やっぱり外にいたか」


 部屋に居ないシスカ達を探して心当たりの庭を見に来たローガン達は、剣を振ってはしゃぐ三人の姿を見つけた。夢中になっているのか、窓越しに伺うローガンとダリルに気づく様子はない。


「おぉ、ユティがあんなに楽しそうに……! よがっだなぁ、ユディ……!」


「…………」


 毎度娘の様子に感極まるダリルに、ローガンはもう突っ込まないことにした。いちいち相手にしていたらきりがない。


 確かに木剣を振るユースティアの様子は楽しそうに……見えるのだろうか。正直ローガンにはその些細な表情や振る舞いから感情を読み取ることは出来なかった。


 何にせよ、シスカとファリスがいつも通りにじゃれ合っている様子を目にして、ローガンは安堵の溜息を吐いた。


「…………ふむ、しかしシスカちゃんは筋がいいな。流石はお前の子だな!」


「急に素に戻るなよ。……親の贔屓目抜きにしてもシスカは才能のある部類だと思ってる。ただなぁ……」


「なんだ?」


「いや、あの子が騎士を志すのは複雑な気分でな。もちろん俺を慕って、目指してくれてるんだし嬉しくはあるが……」


 ローガンが自身の左腕をトントンと指で示して見せる。


「あぁ……そういうことか?」


 言わんとすることを察したらしいダリルが相槌を打つ。


「子には夢を叶えて大成して欲しい。だが一方で、危ない目にはあって欲しくないとも思ってしまう」


「それは分かるとも! 俺だってユティが危ない目になどと、考えるだけで恐ろしい!」


「とはいえ、それは俺がとやかく言うことじゃあない。あの子が剣の道を行くというなら、もちろん出来る限りのことをしてやるつもりだ」


 しみじみとした雰囲気の中、視線の先ではファリスが代わる代わる襲い来る二人から逃げ回っている。


「ふむ、ファリス君はあまり剣術は好きではないのか」


「まあ、あんまり好きじゃないかもしれないな」


 迫る二振りの木剣相手に避けたり、受けたりし続けるファリスは割と必死の形相だ。これを見て楽しんでいるようには見える者もそうはいまい。


 それが分かっていながら、ファリスを引っ張ってくるシスカをローガンは嗜めたことはない。今でこそ少しづつ色々な表情を見せてくれるようになってきているが、元来、あまり感情を表に出さないファリス。そんな彼が多少なりとも表情を豊かにする数少ない場が、シスカと共にする剣術の稽古であった。それにファリスも何だかんだで自分から稽古を拒否したことはない。


 ローガンはそのことに甘んじるままにファリスにも剣を教え続けた。良くも悪くも、それでファリスが多少なりとも生き生きとしてくれるから。しかし、結局のところそれは自身の我儘エゴでしかなかったのかもしれない。


 ふとよぎったそんな思考に、ローガンが自嘲気な笑みを浮かべる。


「向いてもいないことに時間を使わせるべきではない、分かっていたつもりなんだがな……」


「ん? なんだお前はのか?」


「……なに?」


 訝し気な表情を向けられたダリルが薄く笑みを浮かべながら続ける。


「きっかけさえあれば存外伸びる手合いタイプだと思うぞ、俺は」





「あ、お父さま!」


 ファリスにとって悪夢の鍛錬耐久時間は、ローガン達が現れたことで一旦の終了を迎えた。解放されたファリスが地面に手を付き、荒い呼吸を整える。


「はぁー……はぁー……!」


「……大丈夫?」


 ユースティアが近寄って声をかけてくる。ファリス程の運動量ではなかったにせよ、ユースティアもずっと動きっぱなしだった筈なのにその声音にも、様子にも、特に疲労の色は見えない。シスカが疲れ知らずなのはいつものことだが、ユースティアまでこうだと、ファリスとしてもおかしいのは自分の方なのかと心配になってくる。


「……大、ぜぇー……丈夫……ひゅー……、ですっ……!」


 何とか絞り出して、あまり大丈夫そうではない「大丈夫」を返す。ユースティアは気遣わし気に背中を撫でてくれるが、残念なことに彼女自身もファリスがこうなった原因である。


「もうお話は終わったの?」


「あぁ。様子を見に来たんだが、部屋に居なかったんでな。剣を教えていたのか?」


「うん! ユティが教えて欲しいって!」


「そうだったのか?」


 思わずユースティアを見るローガンにユースティアは首肯した。てっきりシスカが提案したものとばかり思っていたので、意外だった。


「そうだ、ユティ! 今日の成果を見てもらいましょう!」


「……うん」


 シスカに促されるままにユースティアが構えを取る。


「ほぉ」


 その堂に入った構えを見てローガンが感嘆の声を漏らす。形だけなら、シスカのものと比べてもほとんど遜色のない仕上がりに見える。


「おお、凄いじゃないかユティ!」


 無論、その様を見て親馬鹿ダリルは娘を賞賛した。ちょっと涙ぐんでいる。ただ、問題はその先にある。構えまでなら確かに上々の出来だが、ユースティアは動かすとダメな感じだ。


 とはいえ、構えだけ見せて剣を振らないのもおかしな話だ。それに、ここまでの時間で最初よりはましになっている。ユースティアの目くばせにシスカが強く頷き、それにまたユースティアが小さく頷きを返す。


 剣を構え、正面を見据えたユースティアの横顔からは、何か決意的なものに満ちているような気がしないでもない。


 ファリスはシスカの後ろに退避した。


 そして、ユースティアが俄かに剣を振りかぶり——


「いかんいかん、涙で霞んでユティの勇姿が……ふべらッ!!?」


 振りかぶった勢いでまたすっぽ抜けた木剣が、狙いすましたかのようにダリルの顔面を直撃した。もはや振り下ろしてすらいない。挙動が謎過ぎる。


 そのまま後ろに倒れ込むダリル。 


「……っ」


 一同が唖然とする中、いち早く我に返ったユースティアが倒れたダリルに駆け寄る。


「ご、ごめんなさい……!」


 本日、都合三度目の謝罪である。


「う、ぐおぉぉ……はっ。い、いや大丈夫だ、ユティ……!」


 顔を抑え身悶えていたダリルが、ユースティアを心配させまいと起き上がり、笑顔を作る。しかし、滴る鼻血と引きつる頬のせいで余り大丈夫そうではなかった。ユースティアが目に見えておろおろしている。


「おいおい、大丈夫か」


「大丈夫だとも! いや、本当だぞ、ユティ!? 何なら今のは俺の不注意が悪い! やはり騎士たるもの常在戦場の心を忘れるべきではないな!」


 一聴するとユースティアが気負わないように気遣う発言ととれるが、実際は本当にダリルの不注意がなければ回避も防御も容易だった。勝手に感極まって勝手に涙で視界を塞いだ末路である。


「これがもし戦場なら俺は死んでいたな、うん! いや、むしろユティのおかげで気が引き締まったぞ! ありがとう、ユティ!」


「う、うん……?」


 もうごり押しである。ユースティアもいまいち腑に落ちていない反応だ。見かねたローガンが口を挟む。


「いいから早く鼻血を拭けよ」


「む……そうだな」


「これ……」


 手の甲で鼻血を拭おうとするダリルにユースティアがハンカチを差し出した。


「おぉ……! ユティはやざじいなぁ……!」


 鼻血の次は涙を流し出すダリルに、ローガンは付き合っていられないとばかりに肩を竦めて視線を移した。


「おじさん、大丈夫かしら……」


「放っとけ、どう見ても大丈夫だろう。あの程度でどうこうなるタマじゃあないさ」


 口調こそぞんざいだが、それはダリルに対してのある種、信頼の表れなのかもしれない。


「そんなことより、いい機会だから少し稽古をつけようか」


「ほんとっ!?」


「最近ちゃんと見れてやれてなかったからな。せっかくだ、ダリルにも教わるといい」


「おじさん、強いの?」


「ああ、強いぞ。今なら俺より強い」


「えー! 嘘よ、お父さまの方がぜったい強いもん! ね、ファリスっ?」


「え、は、はい……」


 話を振られ、気のない返事を返すファリス。鍛錬がまだ続くからか何とも言えない微妙そうな表情をしている。


 ——そういう表情を、見せてくれるんだよな。


 脳裏に浮かんだそんな思いを、小さくかぶりを振って追いやる。そうして次に浮かんだのは先刻のダリルの言葉。


 きっかけさえあれば。


 全くの無才とは思っていないが、シスカと比べて剣術に対しての飲み込みがいいとは言えない。好きこそものの何とやら、本人の意欲も影響はするだろうが、とにかくローガンはファリスが剣の道に進む想像をしたことはなかった。


「ねえ、お父さま!」


「ん?」


「わたしね、これからはもっと頑張ることにしたの! それでね、わたしが剣でファリスのこと守ってあげるの!」


「そうか、それはいいことだな」


「剣だけじゃなくて他のことも全部頑張るわよ! 苦手なことから逃げてるようじゃりっぱな騎士にはなれないもの! ねっ、ファリス?」


「えッ…………ハイ……」


 今のは要するに“お前も剣術頑張れよ”ということだろうか。なまじ言外の機微を読み取れるだけに渋い表情で返答するファリス。その様子が何とも可笑しくて、ローガンは小さく噴き出した。


「……?」


「? どうしたの、お父さま」


「いや、なんでもないさ。さ、稽古を始めよう」


 不思議そうな顔のふたりに、そう胡麻化す。


 別に才能の有無はどうだっていい。子に夢があるのなら、親としてそれを全力で応援するまでだ。


 そして、願わくばふたりが心身ともに健やかに育ってくれれば、それでいい。


 早速、剣術の練習を始めた我が子を前に、そんなことを考えながら、ローガンは目を細めた。

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